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変人だと認めること

先日綴った、「会社員を辞めて、独立しようと決意した理由 その2」に、自分が少し変わり者だから独立することを決断できたみたいたことを書きましたが、果たして自分が変わり者という定義付けが必要だったのか、と何度か振り返りました。

会社員を辞めて、独立しようと決意した理由 その2

結論、独立するためというより、自分を受け入れるために、定義付けしてよかったなぁ、と思っています。

変人だと決めることのメリット

正直、誰しも変なところはあって、自分は、「やや変人」レベルであって、そこまで周囲に変人扱いはされません。

私って変わってるかな?と聞けば、うーん、まぁ発想が少し独特だよね、と。親しい友人に言われるのは、器用だからそこを中途半端に隠せてしまう、らしいです。

どんな異性が好みなのかと聞かれた時には間髪入れず、石野卓球さんを挙げます。

顔というより、生き方と、声と、服の趣味と、手の形と、あとミュージシャンとしても尊敬しています。彼のSNSをじっくりと眺めるのがとても好きです。以前、パンツ一丁の姿をアップされていて、その夜は卓球さんとデートをする夢を観ました。

そのくらい好きです。

で、この話をすると、大方変わり者のレッテルを貼られます。

男の好み、というトピックで話すのであれば、いわゆる魅力的な男性として媒体に取り上げられているような方(福山雅治さんとか松田翔太さんとか?)を好みとするなら、'普通ゾーン'にセグメントされているのではと思います。

変わり者であることを自ら認めて良かったと思った理由は、過去の自分を許容できたということです。

大体の方が過去の自分の言動に、恥じらいを感じると思いますが、私はずっと、ささやかにこの事実を直視できずにいました。

自分はダメだから、あんなコトを友達にあの時言ってしまった。あんなクソ男とデートしてしまった。あんな変な格好してた。

過去の後悔は、もうこの先消すことができないと本当に辛く思っていましたが、「私、変わり者だったから仕方なくない?」と思ったら、恥だと思っていたことがどうでもよくなりました。

そして、この先の不安を考えても、変わり者だからまたやらかしちゃうよなーあはははー、って思ってます。

独立して失敗しても、やっちまったなぁーって少し痛い目を見るだけだ、と思ったら、気持ちが楽になりました。


認めるためのプロセス

自分が変わり者かどうかなんて、他人には関係ないですし、繰り返して言いますが、別に定義付けは必要ではないです。

でも、少なくとも、今の時代、「普通であること」がマジョリティで、そうあることが教科書(理想)通りと言われる生き方です。

だから私も娘が、普通の子でいてくれるように、レールから踏み外さないように、と、ずっと思っていました。(今はそんなことどうでもいいと思ってます)

きっと私の母も同じように、思っていたと思うし、それがエライんだって何となく子どもの頃に刷り込まれてきたと思います。

だから、普通の型に自分がはまっていこうと必死に生きてきました。

普通に学校行って、普通に会社勤めして、普通に結婚して、って。

多分、やっぱり、離婚がきっかけで、私、変わり者?って思ったのもしれません。

そこから、子ども時代に苦しかった集団行動を思い出して、少しづつ、点が線に変わっていったのです。

三つ子の魂百まで、ではないですけど、十代の頃、いじめを受けていたわけでもないのに学校がイヤになったんだから、そりゃ会社もイヤですよね。

イヤ、というより、表面上とても上手くやっているけど、ものすごくストレスで、毎日毎日疲れちゃうんです。

こうやって、私は変わり者、ということを認めることで、よくやく心を休ませることができるようになったのです。

小さくカミングアウトすることで、決定した

周りに関係のないことであれば、自分の心に留めておけばいいのですが、フツフツとどこかで、それを他人に認められたいと思うようになりました。

それは、「よし、カミングアウトするぞ!」と思ったのではなく、人と話している時に、衝動的に、ふと言いたくなっただけなんですけど。

2人に話しました。1人は母親、もう1人は好きな男性に。

母に話した時は、「子供の頃学校しんどくてさ、なんか私ってそういう人みたい」と、言いました。

答えは、「そっか、それは辛かったのね」。

好きな人には、ご飯を食べている時で、お酒を飲んでいたのであまり覚えていませんが、「私、集団行動、苦手って、最近なんかちょっとわかったんだよねー。」とか?相手は、ふーんみたいな、興味なさそうな当たり障りない返事をして、特にこれと言ってその後の関係性も変わることがありませんでした。

母親に関しては、伝えたことで何か関係性が変わることもないだろうと思っていましたが、好きな人に言った時は、もしかすると彼は私のことを、変なヤツみたいだから今後あまり深入りしたくないかもと思うかもしれない、と少しビクビクしていたのは覚えています。

その人は、私にとって、多分、いわゆる彼氏、なんだと思うのですが、特に付き合おうと言ってないし言われてないので、その辺はよくわかりません。でも、これを言うことでフェードアウトされてしまうかなーとかは少し思ってしまっていたので、何も変わらずにいてくれていることで、他者に肯定されたように感じて、伝えてから一ヶ月半経った今はホッとしています。

ぼんやりだけど、自分の中での変わり者という肩書きが、口に出すことによって、確定したように思えました。

ああ、よかった、私は35年生きてきて、ようやく、言葉にできない、耐えられる程度のモヤモヤから逃げることができるんだ。

これを20年くらい前の自分に教えてあげたいです。

普通であることをもう求めないでいいんだよ、と。

早くからそれに気づいていただろう友人たち、本当に羨ましいです。というか、よく若くして気づいたね!よく受け入れられたね!と尊敬します。


世の中、「普通の人」はいないです。でも、自分は普通の人じゃない、と決めることで、初めてマイノリティな感情・行動が肯定できるんだと思います。

もっと多様性を認めてもらえる社会だったら、きっとこんなことを定義付けなんてしなくても苦しまないんだろうな。

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