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いつかどこかの旅先で

昨年の夏、旅行した時の事を書こうと思う。なぜ今書こうと思ったかというと、今年は旅行せずに終わりそうで気が狂いそうだからだ。

一口に旅といってもそれぞれ旅行観はあるものだ。つまるところ旅行に何を求めているか。それは優雅な休息であったり、非日常の刺激であったりする。絶景や秘湯を求める人もいれば、美食を求めて地方の名店に訪れる人もいるだろう。

例えば三宅日向女史は「引き返せるうちは旅ではない。引き返せなくなった時に、初めてそれは旅になるのだ 」という言葉を残している。今いるこの日常から乖離し、非日常を日常と認識したとき初めて旅になるんだという感覚は長期旅ならではの感覚であり、蓋し名言だ。そんな旅のワクワクと過酷さを通して成長する女子高生を描いた作品『宇宙よりも遠い場所』、ぜひ鑑賞してください。

僕の場合は自転車を連れて何日も移動し続けることが好きで、それこそが「旅」だと思っていた。観光地だけでなく、そこに至るまでの道や生活圏、町の雰囲気といったものを直接五感で感じられるし、疲れたら速度を緩めふらっと休憩、テンションが上がったらシャカリキにペダルを回し速度を上げる。そんな風土ごと楽しめて自由な冒険心に寄り添ってくれるのが自転車旅行の醍醐味だと思う。対して旅行会社なんかがやっているようなツアー、バスや電車をふんだんに使って観光地のみ下車し、町の上澄みだけを切り取った観光は「旅行」と自分の中で区切ることにしている。僕は「旅行」よりも「旅」がしたいと思って遠出するし、自転車が好きだから連れていく、楽で楽しいを求めているわけじゃない。そういう価値観というだけの話だ。よく変だとは言われるので、それ故に自転車と旅が自分のアイデンティティとなり、そのアイデンティティを失うのも嫌なのでここまで続けてきたのかもしれない。

九州欄 184

△初めての自転車旅行はこんな装備だった。

2020年8月末、GO toキャンぺーンで宿が安くなっており、夏季休暇で時間はあるのに同行してくれそうな仲間も誘いづらい、とにかく死を感じる暑さ、コロナ感染のリスク等が自身のものぐさを加速させてしまい、最後の休暇チャンスまで悩ませていた。

関東圏に住む僕は、都会やかなりの遠出は避け、近めでふらっととまでは言えないくらいの距離且つ、行く機会を見いだせなかった県を対象に考えたところである新潟か静岡で悩み、宿が安かった新潟を選択した。この選択に至ったところで既に出発前日の夜中である。限界までものぐさをしていたため、とにかく下調べも不十分で、行き当たりばったりの弾丸旅行をすることにした。前述したように自分の中で旅といえば自転車旅という感じだったのだが、意を決して今回は初めてのタイプの旅行に踏み切った。自転車を持っていかない選択、そして一か所に連泊することとした。いや、割と普通に近づいただけじゃんと思うかもしれないが、逆に普通がわかっていないのだと痛感した。

当日、リュックサックに着替えを詰め込み、6時の電車へ乗りこんだ。ここですでに選択をミスることになる。夏といえばということでいつものノリで18きっぷを購入したのだ。具体的にどういう旅程をすればいいかも浮かんでいないため、とりあえず行きと帰りだけでなく中日も電車に乗ることもあるかもしれないと思って購入した。しかし今回はホテル1か所に連泊するため、移動距離もたかが知れているに決まっているので必要ないことに磐梯山を眺めている頃気づいた。自転車を連れて移動し続ける旅しかしてこなかったため色々とぶれている。慣れないことをしてるんだなと少しおかしくなりつつ、車内の揺れを揺りかごにうつらうつらと目を閉じるとふと、先輩の事を思い出した。

S先輩さんとは大学2年の時、飲食店バイトで会った。夏休みの長期旅行に向けての旅費とロードバイクが欲しかった僕は金払いがいいということで知り合いと共にリゾート地のイタリアンレストランでアルバイトをしていた。芸能人なんかも訪れるような場所で、当たり前のように会計時ブラックカードなんかを提示されることもあったり店員側も結構意識高いことを求められることがしんどかったが、休日は朝の9時から夜の11時まで働くことができるし、まかないも朝昼無料で食べられるし割に合わないなんてことはないなと思っていた。パスタ皿の熱さに耐えられず素手で持てなくて怒られたり、メニューをド忘れして覚えてる単語を早口で繰り返してそれっぽく説明したり、トレーを滑らせてお客さんに水ぶちまけてしまったりと無能ぶりを存分に発揮しながら続けていた。

繁忙期のGW期間をすべて稼働し、20万を貯めてロードバイク購入に至った7月頭頃、先輩は現れた。始業際に店長から「今日から助っ人で以前働いてくれていた美人さん呼んでるからはとぶん君喜んじゃうんじゃないかなぁ?」なんて言われたので「ほんとですかぁーそれは色々とうれしいなぁ!」といった小言を交わしていると背後から「おはようございます」と声がかかった。

振り向くと視界に入ったのは黒髪ロングで身長も165㎝以上はあるようなすらっとした体形に切れ長の瞳、凛とした印象を与える美人な大人といった女性だった。芸能人に例えるなら黒木メイサに近いのだろうか。店長に声をかけたのだろう。

「おっ、Sさん久しぶり!就活や卒論で忙しいって言ってたのに突如ヘルプに応じてくれてありがとうね!!」「いえ、丁度時間持て余してる時期だったので」「助かるよー」なんてやりとりをしていたので大学4年生と推察できた。

S先輩を確認するや否や、面識ある他の先輩や社員みんなからもお久しぶりですと声をかけられるくらい慕われていて、仕事もテキパキと周りに指示を出しつつ動けるほどの有能ぶりを見せていたのでかっこいい人だなぁと思いながら、僕はといえば前菜のサラダ盛り付けに手間取っているのをメイン料理担当の社員さんから「もうはとぶん君大丈夫かー?」と急かされたりしていた。

S先輩が来てから一週間程経ち、彼女について2つ気づいたことがあった。1つは通りすがりに柑橘系の香りが気持ち強めに香ってくる。苦にならない程度で美人じゃなければ苦になる程度とでもいおうか。もう1つは他者とはある程度の距離感を必ず保つ冷たさのようなものを纏っている感じがした。接客中や店長などと話すときなんかは笑顔で応対していて素敵なのだが、日常会話には全て愛想笑いで返す程度のやりとりで締め、深入った話はさせまいとするようなオーラがあった。オンオフのスイッチがあるとしたら、僕が見ている彼女のなんでも卒なくこなしそうな姿は休憩時でさえ常にオンで、オフはどこにあるんだろうと少し気になった。

いつもは行き帰り共に社員さんが車で学生全員乗せてくれるのだが、その日学生は僕とS先輩だけで誰も都合がつかず、行きはバスを乗り継ぎ、帰りはS先輩の車に乗せてもらうことになった。帰り道、じゃあ行こうかと連れ立って歩くものの僕はS先輩と直接話をしたことはなく、しばしの沈黙の中お互い満点の夜空を眺めるようにして駐車場に着いた。先輩の車は赤色のセダンだった。

車中に入りエンジンがつくと、ジャブの打ち合いみたいな当たり障りのない会話が始まった。今日はお客さん少なくて良かったですねーとか、先輩は何年働いていたんですかーとかから入り、その流れの中でバイト代どうするの?という話を振ってもらって「ロードバイクも買ったし夏休みに一週間旅に出たいんですよ」と答えてからS先輩の食いつきがとてもよくなったように感じた。「へぇー、いいね。私もしたいなぁ。どこいくの?」「富山から南下して京都まで行こうかなって思ってます。先輩も結構旅行行くんですか?」「行くねぇ」

話していくとS先輩とは何をしに旅に行くかってコンセプトがまるで違っていて、1週間フルに自転車で走り回り、時折死ぬ思いをした先に得た景色と達成感を欲す僕に対し、先輩は毎年決めている南の島に行って原っぱやらビーチに寝そべって音楽を聞いたり、行きつけの宿で島の人と戯れて過ごすというのだ。お互いの旅の思い出を出し合いながらそんな楽しみ方があるもんなんだねと話していると、片道40分近い時間もあっという間に過ぎて最寄りのコンビニに着いた。

「今日は送ってくれてありがとうございました。」と告げシートベルトを外すと、S先輩は「いやいや、なんかこっちがありがとうだね。最近、就活とか将来とかいろいろなこと考えて気が滅入ってて...だから正直車に人乗せるのも嫌だったんだけど、はとぶん君と旅の話ができてほんといい気晴らしになったよ。」

1回行ったことのある場所にはあまり重き価値を置かず、新しい場所を求める自分にとって、同じ場所に何回も好んで行くS先輩の楽しみ方はとても斬新だったのでその時の事は今でもよく覚えている。固まっていた価値観を少し軟化させてくれた存在が僕にとってのS先輩だった。なにかとデキる美人というレッテルで見られがちなS先輩にとっては、心許せる場所というのが普段の自分を気にせず、人と関われる旅行先にあったんだろうなと思ったものだ。もう一つ、S先輩との距離を縮めていくにつれ、香水を強めに感じていた理由も後々分かった。近くにいるとたまに柑橘系の香りとはまた違うツンとした香りが鼻孔をくすぐったので、彼女はそこを気にしていたんだなと。人間完璧に見えても気にしている所はあるもんなんだなと謎の納得感を得たものだ。

そんな先輩との最後の別れは卒業式間際に偶然大学前の駅で出くわした時だった。就職で地元に帰るという先輩へ卒業祝いの言葉と共に「今日会ったみたいにいつかどこかの旅先でバッタリ会いましょう」と冗談めかして言った僕に「ありがとう。それ、いいね。」とこちらを見ながらニヤリと笑って返した後、視線を線路側の景色に移し替え「旅かぁー、続けていきたいよね。続けられるかな...」と物憂げに呟いた。

それ以来、卒業して何年も経ってようやく今、僕は一か所に何日も留まる旅をする機会に至った。

—―微睡から覚め、目を開けたら会津若松駅についていた。そこから乗り換えて全8時間の鈍行を楽しみ、14時頃ようやく新潟駅へ着いた。その日の最高気温は37℃、猛暑ではあったので外にいるだけで体中から汗が噴き出す。

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お腹は減ったが土地勘もないので、まず情報を得るために駅前の観光案内所に立ち寄った。しかし、扉前に「室内は1グループのみ入場可」の張り紙がされていて既に先客があった。そのため案内所前にこれでもかと置かれているパンフレットの中で使えそうなものを粗方ピックアップし、市内バスの待合ベンチに腰掛けパラパラと情報を探す。新潟と言ったら米に海鮮、つまり寿司が喰いたかった。市内マップを眺めていると鮮魚市場らしきものがあるとわかったのでそこへ向けてひたすら歩いた。

待合ベンチでパンフレットを読みながら、感じていたのは、新潟市のバスの充実具合だ。駅前に常に1台は停まっているのではないかと思えるくらい、運行ダイヤが密なのではないだろうか。ベンチも3人掛けのものが9組は置いてあって、観光者だけでなく、市民も日常的に使用しているような光景には特筆すべきものがあった。一般的には歩かずバスを使えばいいのだが、じっくり町の雰囲気を味わいたいので僕自身は車やバスはあまり使わない。猛暑だったが、熱中症の恐ろしさも普段自転車に乗っているので経験済みで、対策も心がけているし、知らない町に着いたワクワクでアドレナリンが出ていてさほど苦にならないし、なんといっても徒歩の選択を嫌がる相手もいない一人旅だし気兼ねすることもないのだ。

20分ほどかけて着いたところはピア万代。そこにある「廻転寿司弁慶」は本当に値段に見合わぬ感動の味だった、140円のアジがうまい。500円ののどぐろは溶ける。400円の南蛮エビも溶ける。空腹の中歩きついた分、美味しく感じるのも倍増されているし冷房も効いている快適空間に甘んじゆっくり食べていたかったのだが、隣にデート中の付き合っていない程度の仲を思わせる30代程度の二人組がおり、お寿司の事なんかそっちのけで男の人がひたすら株やお金についての自慢話を繰り広げていて、女の人がすごいねー、そうなんだーと相槌を入れ続けるのが耳に入ってくる環境になんとも居心地の悪さを感じ、10皿をさくっと平らげお茶を2杯飲んだ後、席を立ち会計時にご馳走様と告げ後にした。接客もお寿司もすごくよかったのでまた新潟に行ったら絶対に行きたい。

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お腹はある程度満足したので、観光をすることにした。先ほどパンフレットで目星をつけていたところがあったため再び歩き出す。そこが以下の写真だ。

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新潟市マンガ・アニメ情報館である

旅行地選定中には新潟にアニメ情報館なるものがあることなんて全く知らなかったが、オタクは知らないうちに呼ばれるものだなと思い、当然のように足を運んだ。奇しくもちょうどマンガタイムきららの企画展を行っており、きららが萌えに転換してから歴代の雑誌表紙や作品紹介、原画展時を行っていた。きららへの愛がそれほどあるわけでもない僕であったが、驚いたのは見ている人はカップルに加えて割と女性のペアが多かったことにあった。これがきららの力なのだろうか。リアルのファン層も百合。とりあえず大好きなキャラパネルの前で周りに人がいなくなるタイミングを伺い写真を撮った。

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△オタクは『キルミーベイベー』と『城下町のダンデライオン』と荒井チェリーと『ひだまりスケッチ』を応援しています。

新潟出身には今を時めく佃煮のりを、最終話を最近掲載し終えた『夢喰いメリー』の作者牛木義隆、『中華一番!』の作者小川悦司、今なお多くの人気作を出している高橋留美子、アニメ界ではガイナックスの山賀博行、ジブリで一番好きな作品『耳をすませば』の監督近藤喜文、といった好きなアニメマンガの著名人が多く衝撃的だった。

ここで新潟にいることを察知した地元民のフォロワーが反応してくれて曰くラーメンはいっとうや、まっくうしゃ、味がいいらしいとのこと。ラーメンも専用パンフレットが出てるくらいには激戦区のようだった。結果としてはいけなかったので次回行ってみたい。

その後、ショッピングモールに足を運んでみたり、夕食によさげな飲食店を探しに大通りから小道までぐねぐね歩いてみたりして敷居の低そう且つ、そこまで騒々しくなさそうな街の居酒屋でお酒をたしなみつつ夕飯を食べた。宿は連泊でドーミーイン新潟。なんてことないビジネスホテルだが、Gotoキャンペーンのため2泊で6500円という破格の値段で泊まれた。10階に温泉がありサウナと露天風呂も付いているのが嬉しかった。自転車旅だと大体夜遅くにチェックインして早朝に出発するという完全にシャワーを浴びて横になるためだけの場所なのだが、この日は21時にはもう就寝可能なほど余裕があって、次の日も早起きする必要がないのでゆったりするってこういうことか...と持て余し気味ではあった。


1日目は町の中心部を大体見れたので、2日目はより北側を散策することにした。駅前でレンタサイクルを借りて35℃という猛暑の中漕ぎまくる。結局自転車に乗りたくなってしまう性なのだ。久しぶりにママチャリに乗ったけれど重心の低さによる安定感とカゴがあると取り合えず何か入れておきたくなる利便性に関しては随一だ。

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北側は古町、鍛治屋町といったアーケード街がいくつもメインストリートを形成していた。
新潟市は自転車へのケアがしっかりしていて、自転車専用の信号があった。雪国だけあってファットバイクに乗った女子高生がいた。ほかにも小径車、ロードバイク、クロスバイクといったスポーツ自転車も多くみられる。地元民も生活用として路線バスを利用している人が多く歩行者も多い。宇都宮とはそこが活気という意味で大きく違うように感じた。

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△路側帯に気持ち程度に設置されがちだったり、逆に歩道と同一になりがちな自転車優先・専用道路だが、こんなにも明確に区別してスペースを作ってくれていたのは自転車好きにとっては感激だった。専用信号もある。

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夏なので海にも行った。それなりに離れていたので汗だくになったが、大自然を見るとテンションが上がるし、長時間見ていると心がのどかになる。そういえば先輩はひたすら海を眺めているって言ってたなと思いだしながら眺めていたつもりだったがいつの間にか浜辺で遊んでいる元気なギャルを目で追っかけていたりした。

アニメマンガ系の専門学校付近にはマンガの家があり、地元出身者の作品だけでなく、新しい人気漫画なども併せて10,000冊程度取り揃えていて、無料で読書可能という素敵な施設だった。僕が地元民なら多分図書館行かず、毎日のように入り浸ってる。多分新潟市民は若い子もみんな高橋留美子ネタが通じるんだろう。

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△専門学校付近にはドカベンの像がある。野球に疎いので読んだことがないのだが心優しい主人公のイメージはある。

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△この構図でケツバットされているように撮りたくてセルフタイマーとミニ三脚を駆使し挑戦したものの思ったよりタイマーが早く、再度挑戦するのも恥ずかしいので諦めたという写真

それほど理解されないことなのだが、僕は旅先で行くスーパーなんかも大好きだ。地元の人特有の生活文化が嫌でも根付く場所なのでよく見ない食材や商品を見るのも楽しい。サイクリングはさすがに暑さで干からびるので街中のイオンに入り、ペットボトルと軽食を買った。地元民は普段食べるものではないだろうが、笹団子が投げ売りされていた。

昼ご飯は教えてもらったラーメン屋にしようと思ったが、暑さで胃腸がやられてないか心配だったことから、お腹に優しめの食べ物を探してたまたま目に着いた蕎麦屋に入った。これが良くなかった。

お昼時を外した時間だったので中に入ると常連らしいおじいちゃんと接客のおばあちゃんの2人だけで軽い世間話のようなものを話しており、僕の存在に気づくと「いらっしゃいー」と気さくに声をかけてくれた。老夫婦で営んでいる店なのだろう。メニュー表をざっと眺め、無難に冷やしとろろそばを注文した。

大盛も無料でできますよーとかサービス良い印象を与えてくれるのだが、出てきたものがくるみを利かせたつゆと水菜なんかが散らしてあって、小粋な涼を感じることができたのだが問題は肝心のそばなのだ。冷やしとろろそば、滅茶苦茶ぬるいのだ。確実にゆでた後水に晒すくらいしかしていない。締めていないのがよくわかる食感の悪さとぬるさがそこそこに冷えていたつゆとのとんでもない不調和を創出し、数口すすって胸やけがした。いくら昼過ぎに来た客がめんどくさいからといっても料理人としてひどすぎないか。あそこまで不味い蕎麦を食べたのは初めてだった。接客に罪はないので完食したようには見せたい。その一心で体が受け付けない中、身を震わせつつそばをすすり、そば猪口になんとか押し込めるようになったくらいで会計を願い、足早に店を出た。あちらが悪いのにどうしてこちらがきまり悪くなるのだろう。いまだに納得がいかない。

気を取り直し、新潟県新潟市といえばマンガやアニメだけでなく文学的にも著名な文豪がいるのをご存じだろうか。『堕落論』、『桜の森の満開の下』で広く知られる近現代を代表する作家のひとりである坂口安吾だ。

僕自身としては特に大好きな作家というわけではないが、大学時代の友人が大好きでしばしば話を聞く機会があったからか、どことなく親しみがある。安吾の「必要であれば法隆寺なんかとり壊して駐車場をつくればいい。」というような言説は痛快で記憶に残っている。この言葉の意味するところは「文化的価値のある物には当時そうであったように、生活が変わらず根差していてほしい。形骸化したものを伝統として有難がって残す意味はない」といったような解釈で僕はとっていて、最初の方に述べた自転車旅が好きな理由に近いものがあるが、やはり観光地なども観光客だけがいるようなスポットなんかより、地元民も入り混じって地元民の生活文化圏が見える活気が混ざっていた方が遥かに好みだ。

安吾の記念館「風の館」に足を運んだ。入り口にはマスクを着けて気だるげに応対する職員さんがおり、「コロナのため人数制限、マスク着用をお願いします。」といった張り紙がされており、記名の上無料で入場することができる。ここには遺族からの寄贈を受けた遺品や所蔵資料が展示されており、奥まったところにある厳重な扉を押して入る空間は隔絶されたようでなんともいえない心地がした。30分ほどで出て、受付の職員さんに「住んでいた住居はもう跡形も無いんですけど、代わりに近くに石碑がありますよ」と教えてもらった安吾の生誕碑がある新潟大神宮へ向かった。

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△私のふるさとの家は 海と砂と松林であった そして吹く風であり 風の音であった と書かれている。

昨日回転すしを食べた弁慶の隣にあるピア万代が鮮魚市場になっており、この日は夕食にパック寿司を買った。16時半に買おうとしたところおそらく現地の人だろう、おばちゃんに「お兄ちゃん、時間あるなら17時まで待ちな」とご教授を受けたのでお土産コーナーなんかで不揃い品で安くなった煎餅を家族への土産にしようと買っていると17時、もう半額のシールを貼り始めており、先ほどのおばちゃんに感謝しつつ、すし20貫とホタテフライを買って1,000円ちょっと。味も地元の新鮮な質で美味しかった。ピア万代の観光客も現地の人も混ざった賑わいは僕の好きな観光地のそれだった。高知のひろめ市場くらい間違いない場所だった。

3日目はチェックアウトギリギリまでホテル内の温泉に入り浸ったあとすぐに帰路へ着いた。結局2日分だけしか使わない18きっぷ。普通に行くのとそれほど変わらない金額だったので痛手ではなかったが、誰かと2人で行けたら丁度良かったななんて思ったりした。そうしたらこんなに人を選ぶ旅はできなかったけれど。

先輩はこんな旅をしていたのかなと想像で模倣してみようと思いつつ先輩の面影を追って、結局は自分なりの楽しみ方を実行することになった。ただ、心持ちがいつもとは全く違う旅になったことは事実だ。0の情報で現地へ降り立ち、情報収集を始め、自分の興味のある分野をひねり出して行く。安吾生誕の地も訪れることができたこの旅行。英気を養うことができた。

S先輩との話題で、一人旅が良い旅になるポイントだけは一致して盛り上がったことが一つあった。人と出会うこと。また会うためのアクションは必ず心がけること。今回の旅もギリギリそれには成功できた。これはまたいつか書こうと思う。

先輩といつか会う時が来ればいいし来なくてもいい。ただ会えた時には先輩の旅をもっと理解できていればいい。そう思った。

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