見出し画像

川とビルと珈琲の街

今朝は突然、無性に安藤裕子の「JAPANESE POP」が聴きたくなり、ここ1週間高熱で寝込んで疲れ切った病み上がりの体を休ませながら、今日は何故かこの音楽の気分なんだな…としみじみ思っていたところ、ふと窓の外のこれでもかという程晴れ渡った空が目に入った。

安藤裕子と晴れた空、そしてこのひんやりした季節。
私の思い出がぶわぁっ…と蘇った。


大学の頃、大阪の北浜という街にあるカフェでバイトをしていた。
4回生(関西では何年生ではなく何回生という)の秋から卒業までのほんの半年間だが、北浜にある小さなカフェで、私はバイトをさせてもらっていた。

元々は大好きな料理を少しでも勉強出来れば…という想いで梅田にあるイタリアンの厨房でバイトをしていたのだが、大好きだった料理長が店長を兼任し出した頃に横領をやらかして店をクビになってしまい、副料理長だったオラオラ系シェフが料理長に変わったことでとても働きづらくなった私は、その店を辞めた。それでもなんだかんだ、その時点で2年半程はお世話になっていたと思う。ちょうど就職活動が忙しくなる頃だったこともあり、それを言い訳にして辞めた。
社員さんたちは「就活が終わったらまた戻っておいで」と声をかけてくれたけど、オラオラ系シェフの下でビクビクしながら働くのはこりごりだった私は「とりあえず就活頑張ります…!」とだけ答えて、2度とその店には行かなかった。

その後無事にとある企業に内定をもらったのだが、そこでの仕事に接客も含まれるということで不安になった私は、北浜のカフェでバイトを始めた。
イタリアンの厨房の仕事では一切接客をしていなかったからである。

元々カフェ巡りが好きだったので、カフェで働くのはちょっとした夢…みたいなところもあったのだが、スタバ!タリーズ!と言ったメジャーなお店で働くのは何だか自分らしくないような気がして、…というか私にはあのキラキラ感がどう頑張っても出せない気がして、個人のお店を選んだ。

オフィス街の大きなビルの間にスポッとはまるように、その小さいお店はあった。
特に何の変哲もない、こぢんまりしたお店だったけれど、時々作家さんの絵や作品を展示しているところが気に入っていた。

そして、このお店を選んだ理由はもうひとつあった。

「朝が早い」

ということである。
出勤は6時だった。

それまでの私はとにかく朝が苦手で、本当に早起きが苦痛だった。
大学では何としても1限目の授業を受けたくなく、どうしても取得しなければならない単位以外絶対に入れないようにしていた。
今の私からすれば、1限目は9時スタートかつ大学までドアtoドアで20分程度のところに住んでいたのだから何がそんなに辛かったの…?!?!と思ってしまうのだが、当時の私には1限目に出席することがこの世で1番しんどいと感じるくらい辛かった。
例えば旅行をした先のホテルや旅館の朝ごはんが用意されています…!となったところで、10時までに朝ごはんの会場に行かなきゃいけないなんて無理だ…と思ってしまうレベルには、朝起きるということが重くてつらくて嫌いな人間として生きていたのである(実際旅行でご飯を食べ逃したことも何度もある)。

そんな生活をしていたもんだから、私は社会人になることにものすごく不安があった。
私はちゃんと朝起きられるのだろうか。
でもバイトとなれば起きられるかもしれない…!!!

そんな動機が含まれていたこともあり、このお店を選んだ。
このお店のバイトが決まった時「え、嘘やろ?!そんな時間から大丈夫なん?!?!」と友達から口々に心配されたことを思い出す。

6時に出勤して何をするかというと、とにかくお弁当を詰める。
そのお店は店先でお弁当を販売しており、それを詰める作業を早朝に行なっていた。

社員さんはたしか5時頃に出勤してお弁当の中身を調理し始め、6時にバイトが集まって調理されたものを詰め始める…という内容だった。
そして3時間ほどでお弁当を詰め終え、そのあとは全員で店内を清掃して、11時頃からランチの接客…という流れである。

あれだけ早起きが苦手だった私が、このバイトは何故か気に入っていた。
人がごくわずかな早朝の電車で出勤するのも、お弁当を段々と仕上げていく作業も、カフェの店内を掃除することも、お弁当を売ったり店内で接客したりすることも、どれも楽しかった。
お店の規模感も私に合っていたのだと思う。

働いている人たちも皆親切だった。
面接をしてくれた女性の店長はあまりにも顔が怖いので圧迫面接かとドキドキしたけれど、何回か会う内にそれが普通の顔だとわかった。
決して愛想の良い人ではなかったが、困ったことがあって相談をすれば真摯に受け答えをしてくれる人で、とても信頼出来る人だと感じた。

大学4回の秋、私はとても幸せだった。

北浜の街はオフィスビルが立ち並んでいる。
街は綺麗に整備されていて、いつもどこかパリッとした空気が流れていた。

バイトは朝6時から13時まで。
その後はまかないを食べて、帰宅する。

でもこの街の雰囲気が気に入っていた私は、いつもそのまま電車には乗らず、よほど疲れていない限り毎回梅田まで散歩をした。梅田まで行けば阪急電車で家まで10分で帰ることが出来たからだ。
北浜から梅田までたしか30分程度、この帰り道の散歩も大好きだった。

オフィスビルの間には川が流れていて、素敵な橋がかかっていた。
近くにお洒落なお店もあった。
「今日は頑張ったぞ…!」という日は、店構えからして「す、すてき…!!!」と思ってしまうパリにあってもおかしくないようなお店(大袈裟)の珈琲をテイクアウトして散歩した。私はここで初めて、本当に美味しいカプチーノに出会った。
当時大切にしていたiPodでその日の気分の音楽を聴きながら、街並みやすれ違う人たちを眺めていた。

秋から冬にかけての季節だったこともあり、空はよく晴れていて、毎回とても気持ちが良かった。
その時にこの、冒頭でお伝えした安藤裕子の「JAPANESE POP」もよく聴いていた。

彼女はこの散歩コースにある中央公会堂でライブを行ったこともあり、それが本当に素晴らしくて、この建物を見かける度に彼女のことを思い出していた。

それが今朝、今の私と過去を繋げてくれたのである。

この時期の晴れた青い空、ひんやりとした冷たい空気、安藤裕子の懐かしい音楽。
私は一気に大学時代に戻っていた。

内定をもらった会社での仕事は全国転勤があり、私はその時、翌年からの自分がどこにいるかわからない状態だった。

大阪のことが大好きだった私は、本当はずっと大阪にいたかった。
でもそれは叶わなかった。

自分が「素敵だなぁ…」と思う街並みの中に身を置くことは、私にとってとても心の充足感があった。
自分が好きだと思う景色を眺められる時間が、とても貴重で幸せに感じられた。

だから大阪を離れる時は本当に悲しかった。
自分でした選択にも関わらず、私は大好きな街やここで出会った友人たち全員と離れて、何故ひとり関東に行くんだろう…と思ったこともあった。


仕事で来たこの街に結局棲みついてもう13年。
何の思い入れもなかった、むしろ早く出て行きたかった街で結婚して定住するなんて、人生はわからないものだ。

でも今はこの街のことも、それなりに好きだ。
中央公会堂のような歴史ある素敵な建物や、ビルの隙間を縫って流れる川や、パリかと勘違いするようなお洒落なコーヒーショップはないけれど、春にはたくさんの桃の花に囲まれて、少し足を伸ばせば沢山の温泉に入ることが出来て、雨が少なくほとんどの日がカラッと晴れていて、寒くなる頃には山が雪化粧する、そんなこの街もわりと気に入っている。

それに、今日の空の色は、あの北浜で見た青と同じ青だ。

私はどこにいても、何をしていても、ちゃんと自分の好きな色を自分で見つけられる。
全部繋がっている。

そんなことを思う朝だった。


1枚だけ残っていた当時の写真 中央公会堂

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?