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ちいかわ学 ~プロセスエコノミ―編~

はじめに

いつも法規制やデジタル関係のネタを書いていましたが、今回は、筆者がどハマりしている「ちいかわ」について、完全な独断と偏見で語るシリーズを開始しようと思い至りました。
本当に極私的な考えを書いていきますので、ファンの皆様、寛容な心で見て頂けますと幸いです。
(ちなみに謎のイラストは生成系AIさんに描いてもらった"ちいかわ")

そもそも「ちいかわ」とは何か、「ちいかわ」は2020年1月頃から、イラストレーターであるナガノさんがTwitter上で発表した作品です。元は「自分ツッコミくま」や「もぐらコロッケ」、「MOGUMOGU食べ歩きくま」を連載していたナガノさんが「こういう風になってくらしたい」と2017年に公表した落書きで、この時点で、現在の「ちいかわ(主人公)」のデザインが、ほぼ完成しています。

この「こういう風になってくらしたい」はいくつかのパターンが定期的に公表され、清書したバージョンが2020年1月開始のTwitterや「ちいかわ」コミックにも、きちんと収録されています。

余談ですが、「ちいかわ」で大人気のキャラクターの「うさぎ」は、「ちいかわ(主人公)」よりも早く、2019年1月22日にちゃんとしたストーリーとして漫画の中に登場しています。この時点で「うさぎ」の独特なキャラ設定が発揮されているのが、後発のファンとしては感激でした。

ちいかわはプロセスエコノミーか?

前置きが長くなりましたが、本稿の目的は「ちいかわ」がプロセスエコノミー的であることを検証することです。プロセスエコノミーとは、2021年7月に幻冬舎より、尾原和啓さん/著、箕輪厚介さん/編集で発売された書籍により体系化された一つのマーケティングアプローチです。

プロセスエコノミーという用語は、元々は実業家「けんすう」さんが提唱した概念で、「完成品ではなく制作過程を通してファンを魅了するアプローチ」とされます。言い替えれば、「アウトプットではなくプロセスに大きな価値が見出されるコンテンツやプロダクト」をいいます。

一方で単に「制作過程やプロセスを小出しにして、ファンを集めればいいんでしょ?」という安易なものではありません。プロセスエコノミーは、非常に深い要素が必要で、これを説明するには困難を極めます。そんな中、筆者は自分が大好きな「ちいかわ」が、プロセスエコノミ―の要素をふんだんに有していることを感じており、この仮定を検証することとしました。

ただし、あらかじめ断っておきますが、本稿は「ナガノさんが、プロセスエコノミーを意図的に実施した」ということを検証するものではありません(そもそも、プロセスエコノミーが世間に認知される前からの作品です)。ちいかわは、「現状から振り返って、たまたまプロセスエコノミーの要素を満たしていた」というのが筆者の考えです。作品の設定やストーリー展開、キャラデザインに至るまで、ナガノさんは「天然の天才」と考えているので、そのようなテクで進めておられるようにはとても思えません・・・。

なぜプロセスエコノミーが注目されるのか

日本は、焼け野原の「何もない状態」から、現代のような「なんでもある状態」に発展しました。その経緯で「社会に必要なモノ」を生み出し、「大量生産する」ことを実直に実行し続けることで、良いものを安く早く提供することができるようになっています。このような「成功体験」が昭和の世代には強くありますが、ミレニアル世代と言われる「およそ45歳以下」の世代(筆者も該当)が社会に出る頃には「ないもの」を探すことの方が難しくなっていました。その結果、「"ない状態"を"ある状態"にする」という「やりがい」を持つことが難しくなっています(昭和の世代は、「"ない状態"を"ある状態"にする」ことで承認欲求が満たされた)。

これは漫画にも同様に当てはまると考えられます。ディズニーなどに影響を受け、SFや、文芸作品の要素だけでなく、ギャグの要素もあるストーリー展開の基礎を作った手塚治虫の影響力にはじまり、藤子・F・不二雄や赤塚不二夫、石森章太郎といったトキワ荘に住んでいた漫画家が、漫画の技術を飛躍的に発展、多様化させました。そして「ベルサイユのばら」、「エースをねらえ!」、「キャンディキャンディ」といった少女漫画や、「うる星やつら」「ドラゴンボール」「聖闘士星矢」などの少年漫画が「オタク文化」を誘発し、「機動戦士ガンダム」、「風の谷のナウシカ」、「AKIRA」、「NANA」などが漫画作品への深みを発展させて、これらは「ワンピース」「ジョジョの奇妙な冒険」「HUNTER×HUNTER」「デスノート」「進撃の巨人」といった漫画の昇華に至ります。

このあたりの世代ですでに「"ない状態"を"ある状態"にする」ことが非常に高いハードルだったように思います。そんな中、「プロセス」という点で、近年非常に大注目されたのが「100日後に死ぬワニ」と「ちいかわ」だったのではないでしょうか。

大事なのはプロセスだけではない

実は、世間的に「プロセスエコノミー」が単に「制作過程(プロセス)」を小出しにしていくマーケティング手法と誤解されていることがあまりに多いので、筆者は常々モヤモヤしていたりします。なぜなら、それはプロセスエコノミーの表面的な側面でしかないからです。

ネット界隈でよく言われる議論があるのですが、それは「どうして同じ頃に展開していた"100日後に死ぬワニ"と"ちいかわ"に、こんな大きな差がついたのか」というものがあります。「100日後に死ぬワニ」も「ちいかわ」も、ともに設定も連載の仕方も、優れたものがあります。また、プロセスを小出しにするTwitter漫画からのグッズ展開、という流れも似たものがあります。にもかかわらず、その結果は雲泥の差です。

このヒントになるのが、プロセスエコノミーが決して単純な「制作過程(プロセス)」を小出しにしていくマーケティング手法ではないということです。著者の尾原さんは、プロセスエコノミーで人を惹きつける重要な要素のひとつに「発信者の見えてる世界観に寄り添う安心感」を挙げています。

実は、世間的には「100日後に死ぬワニ」が炎上した理由として「ステマ(売り込みであることを消費者に悟られないようにこっそり進めること)」が露骨だったことが挙げられることが多いのですが、ITmedia ビジネスオンラインの調査によれば、「(100日後に死ぬワニの)ステマと炎上の相関関係は決して強くない」とされています。

この記事によれば、あくまで炎上は最終回前後に限られており、しかも全体の2%程度。この作品がウケたのは、ワニ単体のキャラでなく「死というテーマ性」と「独特の構成」にあり、炎上は単に「商用展開(公表)のタイミングのミス」と分析されています。

この分析に基づけば「100日後に死ぬワニ」は、「100日後に死ぬことが事前に示されている」ということから、その結末がどのようなものなるか、という一点に非常に強い関心が寄せられ終盤に近付くにつれて反響が大きくなった。他方で発信者側が、その重要な最終回直後に待ち構えていたような商用展開を行った結果「結末の余韻」を噛みしめる間もなく炎上してしまったということです。

こう考えると、「100日後に死ぬワニ」は「発信者の世界に寄り添う安心感」の提供で読者を惹きつけていたわけではなく、シンプルに、この何気ない日常を過ごしているワニが「どうやって死ぬのか」「死ぬ原因は何か」という興味・関心で読者を惹きつけていたことが明らかです。言い替えると「プロセス」や「発信者の世界観」で読者を惹きつけていた訳ではないともいえます。読者にとっては、「寄り添える安心感のある世界観」に魅了されているわけでもない作品の「商用展開」を唐突にされても、それは受け入れられなかったとしても仕方ありません。

「ちいかわ」の提供する世界と安心感

では、次に気になるのは「ちいかわ」が、ちゃんと「発信者の見えてる世界観に寄り添う安心感を提供し、読者を惹きつけているのか」です。これを考察するのにあたり最重要となるのが、冒頭に説明した「ちいかわ」の誕生経緯です。「ちいかわ」は2017年に公表した落書き「こういう風になってくらしたい」が基になっています。元々、ナガノさんは、「自分ツッコミくま」や「MOGUMOGU食べ歩きくま」など、自身の作品の登場人物に自らの想いや行動を投影する傾向があります。

その中でも「ちいかわ(主人公)」は「こういう風になってくらしたい」とナガノさんの欲望がストレートに投影されているわけです。「ちいかわ(主人公)」は、初回の解説で、怒られたらショックを受け大騒ぎし、その場から逃げ出し、疲れたら泣きながら暴れて、泣き疲れたら眠り、嬉しいことがあれば身体全体で喜びを表現するとされています。

実際にストーリー展開後の「ちいかわ(主人公)」は、常に感情をムキ出しにし、嬉しいときには激しく喜び、イヤなことは断固拒否し、欲しいものには一直線に努力し、すぐに泣いたり、逃げたりするなど、初回の解説通りの行動を取ります。これは読者にとって「分かる、分かる」、「そう思っていたっていいよね」「泣きたいときには泣こう」「うまくいかなくったっていいよ」「頑張り続けなくてもいいんだよね」といった安心できる世界の提供とも言えます。

「ちいかわ」や「でかつよ」というWhy

実社会において、ヒトがこのように、自分に正直な行動を取ることは、かなり難しいのではないかと思いますが、この作品内でそれを可能にしているのが「ちいかわ(主人公)」が「ちいかわ」であることです。「ちいかわ」は「なんか小さくてかわいいやつ」の総称です。小さくてかわいければ「自分に正直な行動を取っても」許される、みたいなことはあるかもしれません。ちなみに「ちいかわ」というのは、広義では、主人公の名前ではなく、この作品に登場する「なんか小さくてかわいいやつ」全てを指すと言われています(以下「ちいかわ族」という)。

余談だが、主人公は他の作品のように「くま」ではない。(一説によればナガノさんがネズミのスタンプを使ったことから「ネズミ」という説もあるが、筆者の見解はネズミのスタンプは「なんか小さくてかわいいやつ」の表現を既存のスタンプから一番近いイメージを選んだだけと考える。

実は、ナガノさんは「なんか小さくてかわいいやつ」とは対照的な「でかつよ(なんかでかくて強いやつ)」という願望についても説明しています。

嫌なことがあったら(ちいかわのように泣いたり、逃げたりせず)力でねじ伏せて、生きるために(他者を)食べ、闘志を燃やすという生き方です。

マーティン・セリグマン(心理学者)が唱えた「幸せの5つの軸」では、「人の幸せ(ウェルビーイング)」は「達成」「快楽」「意味合い」「没頭」「人間関係」の5つとされます。先述したように昭和世代は「"ない状態"を"ある状態"にする」といった「達成」で幸福を感じることができました。また、「"ない状態"を"ある状態"にする」ことで、新しい楽しみが生まれ「快楽」も得ることができました。

一方で現代は、「"ない状態"がほぼない」ことから、「求められる幸福の価値観」が残りの「意味合い」「没頭」「人間関係」の3つに移っているとされています。そういう観点で考えれば「でかつよ」は、「昭和世代な幸福感」で、「ちいかわ」が「現代的な幸福感」とも言えるかもしれません。

ナガノさんが示す「こういう風になって暮らしたい」は、まさにこの現代的な幸福感の一つである「意味合い」を掲示するものであり、「ちいかわ(作品)」の最大の魅力は、作品全般に渡って、この「意味合い」を哲学的に表現しているところにあると筆者は考えています。

 プロセスエコノミー著者の尾原さんは、近年において、企業が愛されるのは単に機能的価値※の提供ではなく、「何にこだわりを持って冒険をし続けて行くのか」「お客様に寄り添っていくのか」という、その内側にある「Why」の部分に移り変わっていると説明しています。

※「機能的価値」とはコンテンツやプロダクトの機能や品質の良さなどから人が感じる価値のことをいいます。

Why」は、「何でそこにこだわり続けれるんだろう、なんでそこまでユーザーに寄り添い続けるんだろう」みたいな「意味合い」を指します。コンテンツやプロダクトの裏側にある、こういう発信者の「意味合い」が、プロセスに組み込まれているからこそ、受信者がストーリーに惹きつけられるということです。

 では、作品全般を通した「ちいかわ(作品)」の「Why」とは何でしょうか。ここで筆者の考える「Why」を説明してみたいと思います(以下、ネタバレを含むのでご注意ください)

「ちいかわ(作品)」には、大きく分けて3種類の種族が登場します。

ひとつは「なんか小さくてかわいいやつ(ちいかわ族)」、登場人物は、みんな身体が小さく、ウルウルとした瞳をしている可愛いキャラクター達です。ほとんどの「ちいかわ族」は、草むしりをしたり、討伐(後述)をしたりと、毎日の生活をするために「労働」を行って対価を得ています。(「労働」は実社会でいうところの「日雇い派遣」に近い不安定なもののようです)。ハチワレ(猫)やラッコのように饒舌にしゃべる「ちいかわ族」もいれば、主人公や、うさぎ、くりまんじゅう(ラーテル)のように、しゃべれない(?)ものもいます。

 次に「ちいかわ族」とは対照的な「キメラ」と呼ばれる種族がいます。その出自や存在理由、生態などは不明なことが多く(2022年12月-執筆時-)、ナガノさんの「こういう風になって暮らしたい」に出てくる「でかつよ」もキメラの一種です。現在分かっている範囲では、キメラは「なぜか、ちいかわ族を襲う(捕食している?)」「基本的には強い」「しゃべる種族が多い」などの特徴があります。なお作中では、ちいかわ族と仲良くする「友好型」と、ちいかわ族を襲う(捕食する)「擬態型」に分かれるような説明があります。ちいかわ族の労働の一つ「討伐」は、この擬態型を討伐するものであり、「ちいさい討伐」と「おっきい討伐」に分かれるようです。

3種類目は、最も謎の多い「鎧族」です。鎧族は実社会の公務員、議員のようなポジションにあると推察されますが、鎧が身体なのか、着ているものなのかも謎でキメラを討伐する仕事や草むしりなどの労働を斡旋したり、ちいかわ族をお店に雇用したり、資格制度を管理したりしていると思われます。

この3種で、二項対立しているのは「ちいかわ族」と「キメラ」と考えがちなのですが、先のナガノさんの「Why」「意味合い」から紐解くと、筆者は少し違うと考えています。ここまでで述べたように、ナガノさんの発信者としての「意味合い」「Why」として、「こういう風になって暮らしたい」があり、この「こういう風に」には、「ちいかわなんか小さくてかわいいやつ)」と「でかつよ(なんかでかくて強いやつ)」があります。これを「ちいかわ(作品)」の世界観を踏まえて、2種の二項対立(2×2)のマトリクスで整理すると以下のようになると考えています。

ちいでか

 基本的に「かわいい」属性のキャラは戦闘力が低い傾向にあり、湧き出る食料を食べたり、「草むしり」や「アルバイト」により、日銭を得て生活していますが、欲しいものがあるなど、理由があれば徒党を組んでキメラの「討伐」に行くこともあります。

一方で「かわいくない(マトリクスでは『いかつい』と表現)」キャラは、戦闘力が高い傾向にあり、ほぼ全てが「キメラ」です(現段階では「オデ」と言われるサイクロプス型の謎キャラがおり、その正体は不明)。ただし、「キメラ」の中には、ハチワレどころか、ちいかわ(主人公)にすら、簡単に討伐されるような弱いキメラも、一応は存在しています。

複雑で闇を抱えるナガノさんのWhy

 先に「ちいかわ族」と「キメラ」の構造が、ナガノさんの「Why」「意味合い」から紐解くと単純な二項対立ではない、と述べましたが、それは上記のマトリクスを見ると一目瞭然です。

 ナガノさんによれば、「こういう風になって暮らしたい」の「なんか小さくてかわいいやつ」は、怒られたらショックを受け大騒ぎし、その場から逃げ出し、疲れたら泣きながら暴れて、泣き疲れたら眠り、嬉しいことがあれば身体全体で喜びを表現するとされており、これはまさに「ちいかわ(主人公)」のような生き方です。一方で、マトリクスを見る限り「かわいい」属性のキャラクターにも、圧倒的に「つよい」キャラクターが存在しています。それが「ちいかわ族」の討伐隊で上位ランカー(おそらく1位?)とされる「ラッコ」です。

 ラッコは基本的には「ちいかわ(主人公)」や「ハチワレ」「うさぎ」といった人気キャラと近いデザインで、いかにも「ちいかわ族」ですが、意外にも戦闘力が圧倒的に高く、また意思も強い描写があります。

 さらに複雑なのが、作品のテーマ上、トップレベルに入る「つよさ」と「いかつさ」を持つはずの「でかつよ(なんかでかくて強いやつ)」が、作品冒頭のナガノさんの説明「嫌なことがあったら力でねじ伏せて、生きるために(他者を)食べ、闘志を燃やす」という風に描写されていないことです。

上の話で気になるのが、流れ星を見た「でかつよ」が、ボソっと「叶うかな・・・」とつぶやいていることです。圧倒的な強さを持つはずの「でかつよ」が、力でねじ伏せずに、何を流れ星に願うのでしょうか・・・。

このヒントになる、とされている話がいくつかあります。まずは、下の「ちいかわ族」である「モモンガ」初登場の回です。

 「モモンガ」は初登場そうそう「ついにやったゾ!!」と叫び、心の底から「おもいっきり かわいこぶってやる・・・」と述べています。この回はちいかわの中でも、わりと初期の作品で、当時の読者には、モモンガの発言の意図が分からず仕舞いでした。しかし、この回から20日ほど経って、以下のような話が公開されます。

 鬼の形相で何かの返還を求める「でかつよ」と、それを拒否して逃げ続ける「モモンガ」。これだけだと、いったい「でかつよ」が「モモンガ」に何を取られたのか、判然としませんが、実はこの回の2カ月ほど前に公開された、一見何も脈絡もない話が、この答えを示しています。

 あるとき自分達にソックリの人形「なんとかバニア」を手に入れたハチワレは、それを「ちいかわ(主人公)」と「うさぎ」にプレゼントします。しかし、「なんとかバニア」をプレゼントされた「うさぎ」と人形の身体は入れ替わってしまい、その際に現れた「魔女」によって、ハチワレと、「ちいかわ(主人公)」も、同じく人形と身体を入れ替えられてしまいます。

 そこで魔女が発言した謎の一言「なりたいやつがいるんじゃ・・・こういう・・・風に・・・」というセリフと、身体を入れ替えることができる魔女の存在、これらを組み合わせると判明するのが「でかつよとモモンガの身体が入れ替わっている」という驚愕の事実です。

 つまり、流れ星に「叶うかな・・・」と「でかつよ」が願ったのは「身体を取り戻すこと」であり、「でかつよ」が作品のテーマとしてトップレベルに入る「つよさ」と「いかつさ」を持っているはずなのに、極めて「らしくない」キャラクターとして描かれているのは、その中身が「(元の)モモンガ」=「なんか小さくてかわいいやつ」だからです。

 他にも本作には、闇を感じる「Why」が描かれています。ちいかわ族には、討伐や草むしり以外にも、いくつかアルバイト(派遣?)のような仕事があり、それはラーメン屋であったり、カフェだったりするのですが、その中で「ちいかわ(主人公)」は、「レモンのシール貼り」のアルバイトをしています。

 このアルバイト先で、「ちいかわ(主人公)」は、お揃いのピンクパジャマを来ている「ちいかわ族(読者には"あのこ"や"オフィスグリコ"と呼ばれている)」と知り合い、仲良くなります。
 しかし、この「あのこ」は、ある日を境に出勤しなくなってしまうのです。

 その「ある日」とは、奇しくも「ちいかわ(主人公)」が、ハチワレや、うさぎと、はじめて「おっきい討伐」に出たシリーズ直後を指しています。
 はじめて参加した「おっきい討伐」では、ハチワレが討伐対象であるキメラの攻撃を受け、重傷を負ってしまいピンチを迎えますが、その際、なぜか討伐対象のキメラが「ちいかわ(主人公)」に対して友好的なコミュニケーションを取ろうとするシーンが描かれています。

 このシーンには奇妙な点があり

・なぜかキメラが主人公には友好的
・意味深なカエルを指さす行動
・主人公らを捕食することなく退散するキメラ


 といった、イレギュラーなキメラの行動が目立ちます。そしてこの日を境に「レモン貼り」のアルバイト先から「あのこ」が突如として消えてしまいます。工場にはオフィスグリコ(カエルの貯金箱にお金をいれるとお菓子が食べられるシステム)が設置してあり、「ちいかわ(主人公)」と「あのこ」は、このお菓子を交換することが楽しみの一つでした。
 つまり、はじめての「おっきい討伐」対象のキメラは、ピンクパジャマを着ていた「あのこ」がなんらかの理由で「キメラ化」していることを示唆しています。
 「ちいかわ(作品)」には、先に述べたモモンガのような「キメラと身体が入れ替わっている」ケースよりも、むしろ「ちいかわ族」が、なにかをきっかけに「キメラ化」していると匂わせる場面が多く存在します。

 なんなら、ハチワレとうさぎですら、一度キメラ化を経験しています。

 これらキメラ化がなにをトリガーになされるのかは、本稿の執筆時点では明らかとされていませんが、数々の描写や、「ちいかわ」という世界観に存在する「Why(「こういう風になって暮らしたい」)」から鑑みると、「ちいかわ族」の持つ「欲望」が一定の沸点に達することが「キメラ化」のトリガーになるのではないかと考えることもできます。
 (上記のハチワレとうさぎのキメラ化は「ハチワレがカメラが欲しい」「うさぎがケーキを食べたい」を「ふしぎな杖」の力で実現した副作用で発現している)
 
 この仮説の正しさは定かではありませんが、少なくとも、いなくなってしまった「あのこ」が「おっきい討伐」対象だったキメラと同一人物であり、「強くなりたい」という欲望を有していたことは、暗に示されています。

 このように「ちいかわ」という作品を通して描かれているナガノさんの「こういう風になって暮らしたい」という「Why(意味合い)」は、かなり複雑で闇を抱えているように思えます。
 かねてより「強くなること」を望んでいたハチワレが最近のシリーズでラッコに弟子入りしています。
 その欲望が加速した先のストーリー展開が悲しいものとならないことを祈るばかりです・・・。


結局「ちいかわ」はプロセスエコノミー的なのか

 以上をまとめていきますが、まずプロセスエコノミーの前提としては「完成品ではなく制作過程を通してファンを魅了するアプローチ」であり、「アウトプットではなくプロセスに大きな価値が見出されるコンテンツやプロダクト」です。
 「ちいかわ」はこの前提を完全に満たしています。まず、「ちいかわ」は元来ナガノさんが、ほぼ毎日1ページづつTwitter上に更新して公開するというスタイルで連載されています。ここまであえて特筆はしていませんでしたが、筆者の見る限り、ナガノさんは、スト―リー展開などを投稿ごとの読者の反応をみて柔軟にストーリーを変えていっているように思えます。
 これは、毎週日曜日の朝に放送している仮面ライダーシリーズなどで有名な手法で「ライブ感」と呼ばれたりします。古くは週刊少年ジャンプなどで、読者のアンケート結果(順位)をみて、当初の設定やストーリーのプロットをテコ入れする等は存在しましたが、仮面ライダーシリーズでは、SNS上の視聴者の反応を見ながら設定を変えたり、キャラクラターの登場割合を変えたり、結末を変えたりといったことが行われています。
 「ちいかわ」を日々見ている感覚として、この「ライブ感」に近い読み味を感じることが非常に多いのです。
 そもそも「ちいかわ」には、タイトルであったり、主人公が「ちいかわ(主人公)」と呼ばれたり、「ハチワレ」「プルャ(うさぎのこと)」等々、名付けられているのも、すべて読者のコメントをナガノさん本人が「暗黙の了解(タイトルは明確に採用)」にして、定着するといったカルチャーが存在しています。

 さらにナガノさんのちいかわアカウントには堂々と読者による漫画画像の切り取りや、加工、二次創作などが続々とアップされています。
 現在、ちいかわの権利関係の管理は、株式会社講談社と株式会社SPIRALCUTEが行っているようですが、これらの複製、加工、二次創作などは黙認(OKの明示ではなく、黙示の承認に近い?)されていると思われます。これも、「ちいかわ」がアウトプットではなく、ファンの楽しむ経過も含めた価値をコンテンツ化しているのかもしれません。
 とくに読者は、ナガノさんのちいかわアカウントのリプ欄を通して交流したり、ちいかわ達の「泣いてるコマ」や「転んだ際のお尻のアップ」「敵にやられて石化したコマ」などを切り取り「この場面、スタンプ化希望!」「このうさぎ、フィギュア化お願いします!」のような要望までリアルタイムに書き込まれ、株式会社SPIRALCUTEを通した商品開発を行う各社も、それを参考に商品化するシリーズを決めています。
 (そもそもナガノさん自身が「スタンプで使いたいシーンを教えて」と、わりとオープンに自らの漫画画像の切り取りを承認しているようなツイートも見られます)

 これらは間違いなく「完成品ではなく制作過程を通してファンを魅了するアプローチ」であり、「アウトプットではなくプロセスに大きな価値が見出されるコンテンツ」と言えるでしょう。
 
つづいて、プロセスエコノミーで重要な要素のひとつ「発信者の見えてる世界観に寄り添う安心感」についても、「ちいかわ」は有しています。
 「ちいかわ(主人公)」は、常に感情をムキ出しにし、嬉しいときには激しく喜び、イヤなことは断固拒否し、欲しいものには一直線に努力し、すぐに泣いたり、逃げたりするなど、読者にとって「分かる、分かる」、「そう思っていたっていいよね」「泣きたいときには泣こう」「うまくいかなくったっていいよ」「頑張り続けなくてもいいんだよね」といった安心できる世界の提供を行い、マーティン・セリグマンの唱える「幸せの5つの軸」に根差した「現代的な幸福感」を提供していると言えます。
 
 さらに、プロセスエコノミー著者の尾原和啓さんが重要性を唱える「何にこだわりを持って冒険をし続けて行くのか」「お客様に寄り添っていくのか」という、その内側にある「Why」の部分についても、「ちいかわ」には、非常に分かりすいテーマとして掲げられています。
 「ちいかわ」には、「こういう風になって暮らしたい」がメインテーマとされており、この「こういう風に」には、大きく分けて「ちいかわなんか小さくてかわいいやつ)」と「でかつよ(なんかでかくて強いやつ)」が示されており、作品に登場する「種族」として「ちいかわ族」「キメラ」「鎧族」という、それぞれが「なんか小さくてかわいい生き方」や「なんかでかくて強い生き方」などを志向している場面が描かれています。
 中には例外的に「強い中身」を持っているのに外見は「ちいさくてかわいい」状態である者(ラッコ、モモンガ)や、「ちいさくてかわいい中身」なのに、外見は「でかくて強いやつ」となっている者(元モモンガのキメラや、あのこキメラ)がいたり、中立な立場の鎧族などがいて、作品に見事な彩りを与えています。

 このように「ちいかわ(作品)」には、読者の反応を踏まえた毎日更新を行うライブ感があり、読者同士の交流や、読者のコメント自身が作品に影響を与えるなどの要素を持ち、読者にとって「分かる、分かる」、「そう思っていたっていいよね」「泣きたいときには泣こう」「うまくいかなくったっていいよ」「頑張り続けなくてもいいんだよね」といった安心できる世界の提供と、「なんかちいさくてかわいいやつ」や「なんかでかくてつよいやつ」という軸を踏まえた「こういう風になって暮らしたい」という複雑で闇を抱えたWhyを提供し、作品の発表過程において常に、読者を魅了し続ける作品であり「アウトプットではなくプロセスに大きな価値が見出されるコンテンツ」であることから、明確にプロセスエコノミー的な作品と結論づけることができるだろう。


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