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2021/07/25 五輪開会式で「挫波」の舞再び?

前回、散々、こき下ろしてしまった東京五輪の開会式だが、個別に見れば、光るパフォーマンスが数多くあった。中でも、一番心を揺さぶれたのは、俳優でダンサーの森山未來の死者を追悼する踊りだ。

真っ白な装束に身を包み、横たわったまま登場した森山は、体を反らしたままゆっくりと身を起こす。黄泉の国からよみがえったかのように。そして、両手を広げ、ほとんど瞬きをしないままゆっくりと旋回しながら、現前の景色を凝視する。わずかに上空を眺め、両手の掌を差し伸べ、虚空をつかんだ拳を握り締めたまま、跳躍の後、床に沈み込むこと5回。打擲(ちょうちゃく)のような動きは、地震や津波、パンデミックなど、人間を打ち据えるあらゆる天災のようであり、忘却の彼方へ消え去ろうとする死者の記憶の刻印のようでもあった。また、人間たちのあがきのようでもあった。

森山のパフォーマンスに、奇縁を感じた舞台ファンは私だけではないだろう。実は彼は、先月の6月、岡田利規の作・演出の舞台『未練の幽霊と怪物』(KAAT 神奈川芸術劇場で上演)で、新国立競技場の建設デザイン案を撤回されたザハ・ハディド氏を表現していたからだ。手を伸ばしても虚空をつかむ空しさ。そこに、撤回後の翌年に世を去った彼女の無念、怨念を感じ、慄えた。

その踊り手が、新国立競技場での開会式で舞うとは、 何という巡り合わせだろう。

もし、新国立競技場が、コンペの結果通りに、ザハ案で建設されていたら? 常識をはみ出し、近未来へと飛び出す流線型のスタジアム。もしかしたら、変わるニッポンの象徴になっていたかもしれない。

あり得たかもしれない、もう一つの未来。

白紙撤回してしまった、もう一つの可能性。

ザハ案を撤回した時、東京五輪は、大切な何かをも、同時に見失ったのでないか。新国立競技場に打ちつける躍りを見ながら、私は今回の一連の出来事を忘れないでいようと思った。

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