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劇団唐ゼミ☆「唐版 風の又三郎」雑感【2021/10/15】

浅草のテントに、風が吹いた―。劇団唐ゼミ☆の公演『唐版 風の又三郎』を観た。会場は、浅草花やしき裏の特設テント。チラシに「第30回特別公演」と書いてあって、もう、そんなになるのかなと思った。

【劇団唐ゼミ☆とは】横浜国立大学の教授を務めた(1997〜2005)唐十郎が、授業のゼミナールで演劇公演を行い、それをもとに発足した劇団。
横浜、東京を中心に全国で唐十郎作品を上演。
オリジナルの〈青テント〉を用いて公演を行っている。
代表・中野敦之。(劇団公式サイトより引用)

唐十郎さんの横国招聘に動いた室井尚教授が私の恩師だった縁で、劇団発足の2000年頃から付き合いがあった気がする。劇団唐組のテント芝居の地方巡業へ行けばお目にかかることも多かった。あの頃はまだ、みんな若かった!

「もう、20年だよ!」
今回、幕間で中野さんと立ち話をした。そんなに月日が経っていたのだなあ…。それなりのボリュームがあったから、短いとは思わないけれど、しみじみしてしまった。

『唐版 風の又三郎』は何度か観ている。一番鮮烈に覚えているのは、2003年7月、愛知県・田原町地域文化広場内・はなのき広場での新宿梁山泊公演だ。当時、私は愛知県内に赴任していた。休日をとって、高速を2時間飛ばして駆けつけた。

『唐版 風の又三郎』のあらすじを説明するのは、とても難しい。なぜなら、いくつかの筋が交差し、飛躍し、プリズムのような光を放つ物語だから。理詰めで追えば、ワケガワカラナイ。唐作品を味わうには、乱反射するイメージの奔流を、そのまま全身で受け止めることだと思うから。

冒頭、白のハットに白いスーツ、白いマフラーを翻して颯爽と登場する「風の又三郎」。実は、宇都宮のホステス、エリカの男装姿だった。一方、精神病院を抜け出してきた青年、織部は、偶然、彼女の姿を見かけて、思わず問い掛ける。
「『風の又三郎』ではありませんか」
この言葉が、物語の始まり。
宮沢賢治の熱烈な読者である織部は、長年夢想してきた姿が現出したように思われたのだ。エリカは「風の又三郎」に成りきってみせる。
思い込みと妄想と幻想と。

エリカは、酔った挙げ句に自衛隊機を乗り逃げして、海の藻屑と消えた恋人の自衛隊員の高田三郎三曹の死を追い、怪しげな帝國探偵社(テイタン)にたどり着く。街をさまよう織部を誘い、ともにテイタンへの中へ侵入する。そこには、高田三曹の遺体の入った棺があった…。

タイトルとなった宮沢賢治の物語のほかにも、ギリシャ神話『オルフェウス』や、シェークスピアの『ベニスの商人』、 ダンテの『神曲』で主人公ダンテに地獄と煉獄を案内するウェルギリウス(古代ローマの詩人)など、古典のエッセンスがちりばめられている。美しい詩歌のようなせりふが膨大に吐き出される一方で、挿入される曲は、情感たっぷりの昭和歌謡なので、文化混在の闇鍋のよう。

今回の舞台は、コロナで中断した昨秋の新宿公演の「延長戦」だけに、出演者皆さんの熱量がいつもよりも増していた。中でもエリカを演じた禿とく めぐみ さんの存在感に圧倒された。叫びの中に切なさがあり、色気の中に凛々しさがあり、情感のあらゆるグラデーションを一瞬のうちに放出する。

幕が下りてテントを出ると、冷気の秋風が吹いていた。ラストシーンで夜空を「待った」ヒコーキが夢の骸のように佇んでいた。

芝居とは、ひとときの夢。それでも、心の中にざわついた痕跡がある。今しばし、その夢の骸を抱いて、ままならぬことの多い日々をやり過ごしていきたい。



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