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冤罪事件で真実と個人の自由のために闘った仏の文豪ゾラに続く者たち【2021/11/26】

高校の世界史を選択した人なら、「ドレフュス事件」は聞き覚えのあるキーワードだろう。私が高校時代に買った『世界史用語集』(山川出版社、第1版第4刷発行。今でも重宝している)で調べてみると…

ドレフュス事件 ユダヤ系のドレフュス大尉(1859~1935)がドイツのスパイ容疑で終身刑にされたが、1896年別の真犯人が判明した。軍部は威信保持のために真犯人をかばい、あくまでドレフュスを有罪とした。“愛国的”排外派と人道的真実派との決戦とあり、99年特赦、1906年無罪となった。

国論を二分する闘いで、人道的真実派の立場から論陣を張ったのは、フランスの文豪エミール・ゾラ(1840~1902、見出し画像)である。新聞紙上に『私は弾劾する』で始まる大統領宛ての公開質問状を発表、世論を大いに喚起した。

なぜ、この事件を持ち出すかというと、朝日新聞の11月25日付朝刊に、ドレフュス博物館の開館を考える慶応大教授、小倉孝誠氏の寄稿が掲載されていたからだ。「仏共和政の苦闘  記憶の場 /ドレフュス博物館 社会の連帯問う」。この博物館は、ドレフュスの生涯に敬意を表するため、公式に初めて、パリ郊外の町メダンに開設された。その開館セレモニーには、マクロン大統領も駆けつけ、真実と正義を守った過去の記憶を伝える場にすべきであるという感動的なスピーチをしたという。

先日、取材させて頂いた二兎社の公演『鷗外の怪談』で、鷗外がドレフュス事件におけるゾラについて言及するせりふが出てくる。

「このフランスには、ゾラに続く人々がいた。ゾラを支持して湧き上がる世論があった。これ即ち十八世紀に市民革命が起きた国の文化だよ」

ドレフュスが無罪を勝ち取ったのは1906年。社会主義を弾圧するためにでっち上げた大逆事件が起きたのは、それから4年後のこと。つまり、2つの事件はほぼ同時期だったのである。

1911年に幸徳秋水や大石誠之助ら12人が処刑されてから、2021年のことしはちょうど150年に当たる。今では、でっち上げだったことは明白なのに、政府による謝罪や追悼はあったのだろうか? 「ゾラに続く人々」が今なお事件を語り継ごうとしているフランスの現状を知るほど、やりきれない気持ちになる。

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