世界一パワフルな婆ばが、爺じの火葬の瞬間に背中で語ったこと
比較的最近のはなしである。
田舎の山奥に住む僕の婆ばが、爺じの死後、認知症が悪化して残りの生涯を介護施設で暮らすことになったらしい。
僕は婆ばのことを今でも気にかけているが、婆ばはどうも記憶がほとんど飛んでしまったらしい。今は所在も分からない。はてはて、どうすればいいものか。
ちょうど一年半前、僕の爺じは死んだ。朝起きた頃にはもう身体が硬直していて、死因は老衰だと医者は報告している。
他人事のようだが、僕は爺じを尊敬している。
帝大を首席で卒業し、官僚の道に進み、その後発明家になった。
地味な見た目からは想像もできない、目を疑うほどの油絵の技術と、それを右脳で表現するための緻密で正確な数学的感性を持ち合わせていた。
ただ、一つのことに寡黙に没頭するこの芸術家にとって、対人スキルは皆無だったそうだ。
婆ばとどこで知り合って結婚したのかは正直興味がないので知らない。
が、僕が生まれた頃には、同じ家で暮らしながらもお互いが楽しそうに会話している光景はもう見られなかったそうだ。
僕は一人で歩けるようになったくらいから、登山好きの婆ばとよく二人で山登りをした。
その時から、歩き疲れた僕をおんぶしながら、口癖の様に婆ばは言うのだった。
「あんたにお友達とか好きなコができてもねえ、その子に期待しちゃあかんよ」
あんまりしつこく言うもんだから、雨に打たれ続けた自転車にできたさびのように、頭にこべりついて離れなくなってしまった。と同時に、今の僕の生きる信条にもなってしもうた。
幼少期の僕。なるほど、婆ばの言うこともわかる。家の中にいても爺じに何かしてほしいそうなことなどなさそうだ。というかなんなら仲が悪そう。洗濯も料理も掃除も一人でやってのけて、昼には山に出かける。なんで一緒に暮らしているのかも不思議だ。
あれから15年。
爺じの死による突然の葬儀で、僕の親戚は集まることになった。
葬儀の場に集まった頃には、もう婆ばが多くのことを済ませ、亡くなった爺じの身体を拭きながら、全くもう仕事増やして!とぶつぶつ文句を言っていた。
親戚はみんなポロポロ泣いているというのに、婆ばと言ったら強面でぱっぱ、と仕事を済ます。僕はその姿を後ろから眺めているだけだった。
ウチの葬儀では死体を火葬して骨だけにするらしい(一般のことは分からないし知識もない)。
火葬直前には死体を棺に入れて、棺が火葬部屋に入れられると、その部屋の扉が閉まる。
そこで、扉横のボタンを押すと、間も無くして部屋の中で火葬が始まる。
もちろん、婆ばがボタンを押すことになったのだが、僕は婆ばの斜め後ろに立っていた。
ボタンを押す、その時。婆ばの動きが一瞬止まる。
婆ばの手が震えていた。そして、泣かないように必死に噛み締めるシワシワの唇と、真っ赤になった小さな目。
皮肉なことにも、爺じが死んだことに一滴も僕は涙を流さなかった。けれど僕は、婆ばが強がって孤独に生きてきたことを察して涙が溢れた。
思い返せば、婆ばが一番幸せそうに笑った出来事を僕は覚えている。
ある日、婆ばに連れてってもらった、8歳の僕にはまだキツい丘を一緒に二人で登った時。
「爺ちゃんはねえ、私が専門学生の時、私のことをいっつも気にかけてくれて、数学を教えてくれたのよー」
僕は今、婆ばが昔言ってたよく言っていた口癖をそのまま受け入れたことを後悔している。
「人に期待しない」その教えは、「強がり」と表裏一体だ。期待しなければ、辛い思いはしない。けれど、いくら寡黙で相手にされなくても、夫くらいには打ち明ければいいのに。なんで最期まで期待しなかったんだよ。
爺じが死んでから婆ばは重度の認知症になってしまった。それくらい爺じのこと、最期まで愛していたんだろうな。
もう僕は、婆ばと会うことは二度とないかもしれない。婆ばは今、葬儀のことも覚えていないかもしれない。
ただ、全ての記憶が吹っ飛んでも、爺じのことを好きだったという素敵な事実だけ、忘れないでいてほしい。
婆ばへ。
僕は婆ばのようにはなりません。
ただ、婆ばが爺じにそうであったように、強がらずに、素でいられる、少しだけ期待できる人を探して、山を登ります。
ではお元気で。
♪YUI『I'll be』
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