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明日が来ないかもしれない。

明日がこないかもしれない。

はじめに
「このままではあなたを家に帰すことはできません」この医者は患者を間違えている。僕のことじゃないだろう。そういう風に思うときはきっと自分の身に恐ろしいことが起こっている時の防衛本能の一つなのだと思う。

 僕は看護師として働いていた。腰が痛いのも、体が疲れているのも慢性的にあったが自分がまだ若いことや職業的にありがちな症状ということを理由に体調不良から目を背けていたところがある。夜勤中に急に息苦しさや耐えられないほどの下腹部痛、腰痛を感じた。その時、確実に「これは普通じゃないし命に関わるかもしれない」と体の悲鳴を聞いても聞こえないふりをしていた。体調が悪いことも「もう多分長くないんですよこの感じは」なんてほかの看護師と茶化しながら話していた。

 ふだん仕事を休むことはほとんどなかった。そんなある日、出勤前に首の付け根のリンパの腫れと発熱があったので仕事を休んで内科を受診した。「たぶん風邪だと思いますよ。この若さで重篤なものはここからは考えにくいです」と言われ薬も出なかった。
 胃が痛むしげっぷもたくさん出ていたし食欲もなく体重が下がっていた。胃に原因があるのではないかと胃カメラをやったけど見つかったのはピロリ菌と慢性的な炎症であり、明確な原因を見つけることはできなかった。

 腰痛はつきもので職業病のようなものなので軽く見ていたけど、あまりに痛いし長く続くのでおかしいと思い、MRIの撮れるクリニックを選んでいった。初めは、「ヘルニアかもしれません」といわれて撮影し、いざ診察が始まると「ヘルニアではありませんでした。3時間後また来れますか?」と医師に言われた。この時点で「普通ではないんだな」と悟りました。

 3時間後「他の先生とも相談しましたが腫瘍です。明日。すぐにでも大学病院に行って全身検査を行ってください」

 目の前がぐにゃりと崩れ、手足の震えが止まらずうまく立ち上がることができなかった。クリニックの方の「お大事にどうぞ」も、お大事にどうぞもなにもがんの可能性が高いのにどうすればいいんだ?信じたくない自分のことではないという気持ちが渦巻いていた。帰りもどんなふうに帰ったのかすら覚えていません。何を考えていたのかも覚えていません。
 自宅に帰って妻に「腫瘍だった。がんだと思う」と伝えた時に泣きながら振り絞るような声で「嫌・・・」という顔と声を見て今まで抑えていたものが溢れて涙が出てきた。
 これからどんな未来が待っているのか、どれだけ過酷な日々になるのかわからない恐怖が僕たちを襲っていた。
 いままでただの腰痛と思って放置していたものが腫瘍だった。だれもかれも考えてもいないことだしなによりも自分ががん?この若さで?と信じられなかった。
 そして、次の日大学病院に受診をした。「このままではあなたを家に帰すことはできません」と言われ緊急入院になった。まだこのときはがんの原発巣もわからず、ここから検査や治療ばかりの入院生活に繋がっていく。
 ようこそ、普通に生きていて突然「がん」とわかった僕の入院中に書いた妻(ゆき)宛の日記の世界へ。

(加筆修正をしている部分もありますがなるべくそのまま書き起こしています)

1日目 1月12日
 緊急入院が決まった。PCR検査の結果が出るのが遅く、2〜3時間外来で待っていてとても疲れた。顔の火照りもあり体温は38℃台になった。クーリングしたがなかなか下がらない。たぶん緊張してるのだと思う。仕方ないか。疲れていたから20時くらいからウトウトしてた。一応持ってきた睡眠導入剤を持ってきてよかった。でもいろんな音がうるさいし、腰も痛いから1時間おきに起きてしまっていた。まだ3時?とかなってたけどまあ眠れたかな。エアーポッズ持ってきてよかった。

2日目 1月13日
 6時から起きた。すぐに検温と採血3本。8時から朝ごはんのパン。8:30〜10:30まではホールでテレビを見ていた。ワイドスクランブルのオープニングが江ノ島だったけどそんなに江ノ島って感じではなかったな。
 11時からはお風呂!!30分の枠だからまあいつも通りやればいっかな。あんまりやることはないけどやる気もわかないけど少しずつ何か見出していく。やっぱりシャワーを浴びると気持ちがいい。鏡に映った自分は少し痩せているけどしっかり食べて元気になろう!腰は変わらず痛いが海賊みたいな縫い跡が残るのかなー?それはそれでかっこいいね。午後は何をしようかしら。今から昼ごはんです。痛み止めの副作用でボーーっとしたりうとうとする。
 いまは19:30。ゆきとのLINEが生命線。

3日目 1月14日
 昨日の夜循環器のDr3人がきた。若年で動けているのに肺塞栓は何かしらの原因があるかもしれないと。色々と自分の体に起こっていること、知識、経験を超えていくから受け止めきれないものがたくさんある。amから入浴して転棟が決まったけど、棟内ではコロナ疑いが出たみたいで呼吸器への転棟がなくなった。
 ゆきの面会でかおも見れないのはとても残念。ベッドからも出るなということでヒマを持てあました病人の遊び状態。これからの仕事や人生についての不安はあるけどゆきとのりこえられたらいいな。というかゆきとなら大丈夫な気がしている。ゆきから荷物と手紙が届いた。ありがとう。乳液が死ぬほどもれてたからほかの化粧水もびしゃってた。トートびしゃ男になった。肌着とかたくさん届いたので大切にきます。TVカードですこしTVも見れる!
 夜になると熱が上がるのはなぜだろう?38℃とかいく。ほかに症状がないのに22時に眠剤のんだけど0時前くらいからねたって感じかな。手術後の患者が0時前にとなりに戻ってきたから、色々処置でうるさかった。忙しそうな職業だとつくづく思う。

4日目 1月15日
 先生が毎日説明に来てくれるけど循環器についての説明は変わらず月曜のCTの結果で、という事。少し昨日より動けるからラウンジまで行ってTVみたり午前をやりすごし、心電図モニターが絡んでめちゃくちゃ動きにくいのなんのって。仕方ないけどね。薬の副作用か昼食後からはウトウト。15時からは入浴なので昨日持って来てくれたパジャマに変えようと思う!
 結構汗もかいてるし、においは自分じゃわからないところもあるからね。髪の毛が長い。12月からクリニックに通ったり友人に会ったり時間が取れなかったのはもちろんあるけど、今、長すぎることがすごく面倒。ヘアピン持ってきてるけど看護師さんの前でつけっぱは恥ずかしいし、でもないよりはマシかなって思いながら悩んでいる。
 簡単に病棟の構造をメモしてみた。詳しくは口頭で言うようにするよ。絵が下手すぎてわからんから。(実際は隣ページに絵がある)
 体力がなくなったのかすこしつかれやすいのでムリはしない。16時天気も良さげで体温も微熱なのでラウンジでクレしんとドラえもんでも観ようかしらん。少し熱が夜になると上がる。アイスノンしながらすわって新しいカギをみた。家でなら笑わないようなところもすこし多めに笑ってたような気がする。腰からの影響か下腹部の方もシクシクと痛む。あまり押すのも良くないと思うからやりすごす。
 一つずつ検査して、一つずつ治療が進んで良くなったらいいな。ゆきとの元の生活に戻れるのをまさに夢見ながら毎日過ごしてる。同じこと書いてても気にしない。
同室者が手術後や明日手術って方がいてみんな高齢だけどつらいだろうなと、痛いだろうなと思ってる。
自分も手術になったら、嫌だけどするしかないわけで、早くできるならしたいし、治療したい。わからないこわさもあるけどわかる怖さもある。
 退院したら体力つけるために色々としたいな。運動とかさ。こまめに検査したりさ。早くよくなりたい。
 毎日どうやって眠りに落ちるまで過ごそうか考えている。
 いろんな病気の人がこんなにたくさんいて、治そうとする医療従事者もこんなにたくさんいるのだと毎日すごいなと思っている。

5日目 1月16日
 いつもの6:15に検温で起きる。熱は変わらず高かったからアイスノンで冷やす。日中はまだ体調がよい。
 今日は胃が痛いような重いような違和感がある。喉が詰まるような食道炎的な感じ。これもある時とない時があるけど差はわからない。共通テストに向かっていた学生が2人刺されたけど、刺した人も道半ばだからもったいない。他の受験生も怖かったろうに。
 トンガの海底火山も噴火したし僕らが生きてる間にも地球は大きく変わりそうだね。
  今日は11時からお風呂。午後は買い物できるみたいだからお茶と、イオンウォーターを買いたい。あと、サウナに早く行けるようになりたい。あ、トイレに行きたいのにたった今だれかが入ってしまった。ちきしょ。
 ノートのボーダーに沿って書いてるけど、0.7(ボールペンの太さ)だと太くてちょっと書きにくいですね。
 今、ヘルパーさんとローソンに行ってきた。色々な商品とキラキラしるなあって。いままでの普通が普通じゃなくなってるのもあるし、ストレスもあるし、外には出れてないけど、1.3倍くらい彩りが世界にあるくらい情報が入ってきた。退院日が決まってないのも大きいね。バセドウの時は7日間の入院って決まってたからね。でもいまは違う。いつ退院できるのかわからない。昼食後はしっかりと昼寝した。2時間ぐらい。結構ボーッとしてる感じがする。夜も途中で起きることが多いからその分ということでいいにしよう!
 明日の造影CT用のルートを今日中に取るとか昨日言ってたけど、今日取る意味がわからないから明日の朝取って欲しいんだよな。ルートあると気を使うしさ。痛いし。ラウンジ言って少し気分転換しましょかね。
 ゆきの仕事をTVでみたよ。
 熱も上がってきたから冷やしながらスシローのサーモンについて見てるよ。サーモンはあまり興味がないから流し見。TVカードが残り550。約6時間か?急にマグロに変わった!おいしそうだこっちの方が食いつくやつ。
 点滴のルートは結局今日取らず、明日の朝だろうなあ。その方が良い!
 マグロのいいやつ6貫盛りがすごくおいそうなので食べようね。次行ったら食べる。スシロー食うまでに、魚を育てて、取って、捌いて、運んで、お店で出して。たくさんの人が関わって食べれるって当たり前だけど当たり前じゃねえからなあ!みんな脂乗ってるって言うけどそんなに脂、必要なのかしら?
 今は19:50消灯まであと一時間。昼寝したから眠くないが、暗くなったらボーッとして夢の誘いを待つことにしましょう。マグロからカツオに話が変わった。漁師さんって大変だろうなあ。なんでマグロ追ってる人は前歯がないのだろうか?特に大間の人たち。
 濡れたタオルを干すとカチカチに乾いてるや、病院って乾燥してるんだろうな。

6日目 1月17日
 下腹部のジーンとした痛みがずっとあって、それも心配の種ではある。朝から熱高かったけど、今は下がって7.1℃汗もかいてたし熱そんなに高くないと思いきや高いのはなぜだろう?
 こんなにゆきと離れたのは、結婚してから初めてな気がします。顔も見ずに、というか入院するなんて夢にも思わなかった。書く話題もどんどんマンネリしてるのかもしれないけど、自分が読み返すというよりゆきに見てもらうためだからいいのかなって勝手に思ってる。
 amに造影CTがあるから食事もお預けでいつ呼ばれるかわからないからドキドキしながら待っていると言う具合。今トイレでハーレーダヴィッドソンのエンジン音みたいなおならが出て笑っちゃった。まえ寝てるゆきのお腹が鳴ったのか音がプーって鳴ったのが可愛くて一人で笑ってた。今度から起こして伝えるね!
 9:00 呼ばれるのは10時か11時か。ゆきもポリープを取るのか。大変だ。一人だけの体じゃないからね。二人で乗り越えよう。明日から腫れてるリンパについても調べていくらしい。
 寝違えた右肩。
 息の詰まる首元。
 腫れたリンパ。
 鈍痛の下腹部。
 痛い腰。        早く良くなれ!!
 CTの結果、よくなってるといいな。すごくよくなってるといいなあって心から思う。14:30に先生からCTの話を受けた。すこしは血栓が溶けてるけど、ほんの少しだけであること、いま飲んでる薬がどんな身長、体重でも定量と決まった量しか飲めないから点滴で落として対応すると。24時間持続でしていくこと、血栓は手強いから時間かけて溶かしていくことを説明された。
 明日はリンパの方を呼吸器で診てもらう。とてもショックなことを言われたわけではないけど、入院してやっと6日経ってすぐ7日プラスして、これでまた他のことも進めて予定が決まらないと退院できない。治療を受けられて全てありがたいし、ちゃんとしなきゃだけど、早く帰りたい気持ちが強い。
 18時から点滴が開始になった。24時間で100mlゆっくり薬剤を落としていく。食後のウトウト20分くらいしてまだ19時かとなぜか絶望する。今日はなんだか腰も痛くてじっとしていても右の方がやや痛む。心電図モニターを左腕につけて点滴を右腕につけて自由がさらになくなったことが僕の中で悲しいことだったのだと思った。日程を心の中で決めるのはかなしさしか生まないけど、ゆきの誕生日までには退院したいな。それか結婚記念日。その二つの前に退院できたらいいな。
 同室のメンバー紹介するぜ!まずはAさん。この人は手術後イラついてた感じがあるけどいまは少しずつ元気になっている。ひとりごとがうるさい。Bさん通称健やかさん。いびきが下水道よりうるさい。人生で聞いた中でも一番、いろんな入院患者をみてきたが本当にうるさい。今はお菓子を食べてる。手術後の回復が早い。Cさんは丁寧だけどいちいちうるさいおじい。食べてる音もべちゃべちゃうるさいので好きではない。明日手術らしいのでがんばってほしい。
 個性豊かなメンバー紹介でした!!
 点滴も持続だから電源ついててそれがあるからトイレいくのも電源を抜かないといけないのが本当に面倒なの。一週間乗り切ってやるわ!!こんなのよ!!22時に採血オーダーがあるから眠れないし、その頃には下水道音との戦いもある。
 血栓てのはやっかいだな。悪性腫瘍が原因じゃないかって悪いイメージばかり。
 ゆきの家族が近くにいて本当に良かった。助けてもらってる。本当にありがとう。ゆきも近くにいてくれて力になるよ。ありがとう。

7日目 1月18日
 点滴が始まって1日。夜に詰まって警報音で起きたりしたけれど、僕は元気です。ゆきのことを考えて寝たけど夢に出てくるわけでもなくただしっかり眠りました。今日はゆきが荷物を持ってきてくれるので一目でも会えるように努力できたらと思います。直接はムリでしょうから窓ガラス越しにはなると思うけど、点滴の棒を引っ張って行こうと策略している。
 入院中スマホの暗い画面のとき、自分の顔、表情が映ると表情が平坦化してる気がする。だからスマホに向かって笑顔を作ったりあえて口角をあげて過ごしたり、怖い顔にならないよう努力してる。
 今日のワイドスクランブルは、東京の空だった。
 薬の効きを効果測定でこまめに採血を行なっている。これが貧血に繋がるのじゃないの?ってくらい毎日とってる。拒否したって仕方ないからね。12時にもするってなってたけど患者の手術出しにいって忙しいからまだできないんですね。14時には、ゆきが来るのでなんとか姿を診たいと思う。その努力は全力でしようと思います!!このボールペンも書きにくい。
 昼の採血の時に刺しすぎて血があんまり取れなくて
看護師「これ足りますかね?」
僕「いけそうですけどねえ、これだけ取れてれば。出してみましょう!もしだめならもう一回取りましょ!」って話をした。看護師みたい。
色々スピーディに対応してもらってるところ。
 14時にゆきが来てくれて、荷物とか渡してくれた。ありがとう!すこし顔も見れて、顔を見ながら電話できたのは入院中にはない刺激だった。もうすこしがんばろうって思えた。大好きだよ。
 ipadも届いて彩りがでてきた。呼吸器のDrが明日左のリンパが腫れているところから生検して悪性かの有無を確認すると。なにかはわからなきゃいけないのはわかるけども、怖いには怖いし、すごく恐ろしい。いいもの、何か治ったり改善するものならいいのになって心から思う。これからゆきといろいろしたいし、一緒に生きていきたいから、大切に、大事にしたいし、だけどやらないことにはなにも始まらないのもわかっているから生検を受ける。
 抗凝固の点滴もすこし効果が出てないから流量が上がる。小さなことでも一喜一憂することがすごく疲れる。あまりよくないものが体の中にたくさんあるのってすごく嫌なことだ。明日はお風呂入れるかな。心エコーと生検でそれどころじゃないか。汗拭きシートやっぱり言う通りかってきてもらえばよかったなあ。20:40点滴あと8ml、1時間で交換。1時間あたり8ml 12時間30分で終わり。夜中に交換するよりいいね。寝支度する。

8日目 1月19日
 夜は寝苦しくて少しの音とか他の人の話し声で起きちゃったり、腰痛や下腹部痛がひどかった。つらい夜だった。朝痛み止めを飲んで呼吸を整えたけどまだ痛みはある。いつかとれるとうれしいな。朝ごはんを食べたあとは少し寝た。6時の点灯から採血したりもしたけどすこし眠れたからそれがあってスッキリしてる。
 1日ぶりのシャワーへ。やっぱり気持ちいい。全然違うや体を拭くだけとは。看護師さんに「くさかったですね、すみませんね・・・へへへ」って言ったら「いーえ!」って言われたけどそれって本当にくさかった、めちゃめちゃくさかったんじゃないのか?ってとても不安になったんだが・・・。そして病棟が忙しいからか看護師さんがピリついてて怖いぜ。仕方ないよね。
 僕以外の3人の同室のじいさんがつらそうに独り言いってる。つらそうだ。看護師さんからつらくあたられて被害的に受け取ってた。夜中もうるさくてやはり好きになれないじいである。
 今日はシャワーでパジャマを替えた。買ってきてくれた囚人スタイルのもの。生地のうすさとかとてもよいです。ポケットが前になくておしりに一個という使いにくさはあるがとてもいい。考えて買ってきてくれてありがとう。
 昼ごはん食べた。ご飯食べただけでゆきから褒められるのでとてもうれしいです。がんばろうと思える。昼食を食べてから心エコーとって、帰ってきたらすぐに左リンパ節の生検。16ゲージの太い針で何回も刺しながら組織を取るんだけど痛いのなんの。局所麻酔するけどやっぱり痛い。「腫瘍かなあー」って言ってた。しっかりと見てもらって、どんなもんか診てもらい、治す。外来の看護師さんにも「しっかり治して、いつも忙しかっただろうから、ゆっくり休みましょう」って言われたのが印象的だった。
 痛くて病室に帰ってきて今日の担当看護師さんに痛いって訴えたのだけど「痛み止め出しておくって言っていたのにこっち(病棟)にないからなんもできないし外科医ってそういう人多くないですか?」ってめちゃキレてた。クールな看護師さんだからおもしろかった。看護師のキャラクターを見て分析するのがすごくおもしろい。
 ゆきとみたマネーのくず(YouTube)もぐら編を見ている。下腹部痛はCT上でも問題ないみたいで腰の痛みからの関連痛も否定できないということで様子見。
 有吉の壁を見終わって20時。ipadとwifiがきてからより好きに時間を過ごせている。前よりヒマなく1日が終わる。しかし今日は検査がふたつあったしな・・・明日は転棟もあるしイベントはいくつもあるのですよね。どんなところかな。窓際の部屋がいいな、だといいなあ。
 同室者Cが他の看護師から嫌がられるというかイライラされててこっちがつらくなるよ。自分が看護師側に置き換えたら同じ気持ちになると思うけどさ。
 点滴はあと7ml。21時に更新予定。寝る前にって感じかな。夜の看護師さんの名前があまりに素敵で「お名前素敵ですね!」って言っちゃった。名前は苗字よりも特別だから珍しいですねだけじゃ片付けられないよね。たくさんのゆきは世の中にいるけど、同じゆきでもゆきの漢字や名前は世界に一人だからね!
 ゆきのiPhoneでipadとエアーポッズがいつ使ってるかどうかわかるのはずかしいね。お楽しみ中なのさ。
 今日も全然眠くならないなあ。20時40分。あと少しで消灯。明日の朝ももちろん採血があるんだよね。熱がないから体が少し楽。

9日目 1月20日
 入院も9日目。時間の感覚が緩やかになくなっている。早く退院したいな!
 仕事も休んで二週間か、濃いな。濃い二週間というか、もっと情報量がある二週間だと思うけどね。次の二週間も濃いものになるのかな?もうゆっくり過ごしたいんだけど、許されない感じはするよね。ゆきに会いたい。
 昨日した生検の傷を抑えるためのテープでかぶれて水ぶくれになった。痛いけどそのまま様子見。点滴の流量も10ml/h
 にあがった。体に効いてくれ!11時になったらとなりの病棟への移動が待っているし隣の電波事情も気になります。どんな環境かドキドキしながらこの病棟での記録はここまで。

 となりの病棟へ移動してきた。すこし臭う。臭い!と思ったけど人間なれるもんで今はあまり気にならないもんだねえ。病室に窓側のところが空いてたから一言伝えて変えてもらったけどとても気分がよい!雰囲気が明るい。前回来てもらったときに会えたようなスポットを後で探してみる。
 14時からは採血(朝もした)。明日は骨シンチがあるのかしら。造影CTも来週火曜日に撮影するようで、検査と効果測定が同時に進んでいる。なにかわかって今後の見通しがつかねば退院とはならないけども、何があっても毎日少しずつでも進んでいけたらいいなって思ってる。おもいっきりポジティブにはなれないけどね。それでも直してやりたいことやらなきゃね。ゆきともやりたいことがたくさんあるんだから。
 今日の午後はずっと腰が痛かった。こんなに痛い日あったかな?くらい痛くて下唇を噛んでなんとか耐えた感じ。
 夕食まで4時間くらいは少し寝たりTik Tokで時間をやり過ごしてた。夕食後の痛み止めをいま飲んだから効果が出るのをすごく期待してる。午後は痛みに耐えすぎて体と心が疲れてる。ゆきと電話したいけどお風呂はいってるのかなんなのか繋がらないから待つ。眠いって言ってたし寝てるか。
 明日は、骨シンチがある。より細かく詳しく骨全体を診ていくことになる。それくらい時間がかかるのだろうか、知らない。初体験のことばかりだねほんとうに。

10日目 1月21日
 昨日の夜は少しずつ腰は楽になった。だからまあまあ眠れた。今は昨日より楽。
 隣のベッドの方とも朝食後話して、舌癌でリンパも取ったりして大きな手術をした人。話しにくさはあるみたいだけど、しっかりと話している。最近離婚されたみたい。本当は別れたくなかったんだけど、相手が意地になっちゃったみたいでね。お子さんもいらっしゃって、離婚してすぐ舌癌がわかってそれから手術したって。いま転移はないけど怖いよねって。
 「なにがいけなかったのか?どうすればよかったのか?」は考えちゃうけどいくら考えても意味ないし・・・。自分をいじめたり、責めちゃうけどそれもしないように、過去同様、未来、遠い未来の話をしても意味ないから近いことを遠回しにしないという。
 もっと穏やかな最期かと思いきやそうでもないかもしれないと、僕と同じような境遇な気がしてうれしくなった。まだまだ死なないけどね!
 ゆきの保険の見直しはとてもいい考えだよ。何が起こってもおかしくないと思ってるから、世界に対して全てを疑ってるから今。
 さっき話しした隣のかたはやっぱり大人な感じで、骨シンチのときも「いってらっしゃい」と言ってくれたり、帰ってきたら「どうだった?」とか声をかけてくれたり優しい。
 骨シンチはベッドが固くて腰が痛かった。ゆきとのいろんなこと、行きたいところとかそんなことについて考えたり、その場しのぎではあるけど考え事をたくさんした。骨シンチも終わって、ベッドで休んで少し良くなったから日記を書いてる。
 生検後のテープかぶれが1㎝×1㎝の大きさの水疱になってしまったけど、どうしようもないから大切にしようと思う。
 いきたいところ・・・富山かなあ。このまえの江ノ島みたいにラフにいくのもすごくよかったから、別にそういうところで隣にいてくれればいいのかもしれない。贅沢はいわないからさ。
 16時からはシャワーだ。体の筋肉が落ちてるから退院したらお散歩したい。一緒に散歩して体を慣らしていくの。元の体に近い状態に仕上げてゆくの。シャワーはすごく気持ちよかった。点滴に繋がれてない、線に繋がれずいられるのはすごく楽でうれしい!
 明日は土曜日だし、特別検査はない。病室にいるから気温はあまりわからないけど、外はすごく寒いんだろうな。今日となりに入院してきた人も突然悪くなって倒れて、腎臓が悪いなんて言われて・・・本当に突然なんだろうな。体調が崩れるのを自覚するのは、徐々に悪くなってるんだろうけど突然〇〇ですよなんて言われて「はい。そうですか」って100%の受け入れなんてできるわけないのよ。
 今日は午後から少し悪くなったけど調子がなんとなくいい感じがする。毎日ネガティブとポジティブを行き来して疲れるけどのんびりやるしかないよね。
 お腹はややすくけど病院食ってなんか気持ちが満たされることがない。家で料理が食べたい。
 循環器のDrが来て、ヘパリンは少しずつ効いていると、なかなか下がらない値はあるが採血データも見ながら血栓は治療を進めてくれている。25日は造影CTもある。左リンパも生検にかけたし、今日骨シンチも撮った。どんな結果が待ってるか。あまりいい結果ではないことだけはわかっているけどさ、これからも生きられるような結果が来るように待つしかない。この結果って、僕一人できくのかな?コロナで来れないし、きっと一人で聞くことになるよね。怖いけどなんとかかんとか、どうにかこうにかすったもんだで受け入れる。
 熱が出なくなったのもすごくいいし、いい方向に進んでいるものもあるからそういうものにも目を向けて、悪いことばかり考えない。自分をいじめない!
 ゆきと電話した後に家族とも話した。すごく心配してるのが伝わった。心配かけて申し訳ないし、健康ならどれだけよかったのか考えてしまう。
 「早く家に帰りたい」これしか思ってないけどちゃんと家で休める形で帰らないとゆきも困っちゃうからね、しっかりと治せるところは治して・・・ああボールペンが・・・3本目がとうとう終わりを・・・まだインクはたくさんあるのに・・・。
 土日はイベントはないのでゆっくりするしかない。採血は毎日あるよ!!看護師も医師も「ごめんね」って言ってくれるよ!今日はこれでおしまい!!

11日目 1月22日
 土曜日のため特に今日はイベントがない。
 おとといあたりから左足が右に比べて重いような気がする。痛い左足をかばって歩いてるからか、筋力低下が進んでるのかな。歩けなくなるなんて怖すぎる。そこまで奪わないでくれ。運動で回復する単純なものならどれだけいいかって思う。歩かなくなるのは入院中はしかたないからね。
 今後の予定としては25日に造影CTがあるだけで、あとは結果が出次第伝えてくれるんだと思うんだけどね。今後の治療方針とか決まって来るかな。いつ退院になるのかな?安心して退院したいね。土・日。月はなにもなくただ点滴を受けてやり過ごすだけだ。乗り切ろう、やりきろう。
 午前中はラウンジでTVを見てた。ややふっくらしたソファの方が腰には優しいのかもしれない。ほかの患者さんと話してやりすごしたり、一人じゃ塞ぎ込みがちなところだけど明るい雰囲気でやれた午前中だった。
 100ml生食、5mlヘパリンを2ビン。これを1時間あたり11ml点滴してるのだけど、看護師さんが「え!11ml??11mlか。」って言っててこれが多いのかあまり知らなかったんだけどきっと多いんだろうな。ヘパリンが体を巡って血栓を溶かしてくれるように願うしかない。がんばれ自分の体!!!
 フットサルのグループラインを退会した。多分もう参加できないしな!!
 ゆきと結婚してよかった。ゆきも少しだけでもそうやって思ってくれたならとてもうれしい。
 いろんな看護師から「看護師さんなんですよね?見られてると緊張します」って言われる。そんなに見てないし、思っても口に出さないし、大丈夫だよって思うんだよね。風のうわさでどんどんと拡大していくのを感じる。やりにくいぜ。
 ここの病棟の看護師さんはあまり来ないからそんな人なのかあまり分析ができない。いま書いてるボールペンは前の病棟から借りたままのも。何本か書けなくなったものがあるからそのまま借りて来てよかった。おかげで書けてます。
 ゲームをあまりやる気にならないことについてのゆきの考えはその通りだと思った。やっててもなにになるんだろう?やっててもほかのこと考えちゃって集中できなかったり、面倒だったりね。ゲーム嫌いじゃないのに。
 せっかくラウンジに出たのに点滴の電源を拾えるところに人がいるので断念・・・。ベッドで横になりますか・・・。
 夜ご飯食べてラウンジに行けたらTVでもみようかしらね。
 僕はゆきのために生きる。これからどれくらいかわからないけど、もっとゆきのために生きる!自分のことももちろん大切にするよ。

12日目 1月23日
 昨日の夜は腰の痛みでつらかった。ゆきが祈ってくれたりしてやっと眠れた。一緒に過ごしたい。
 左脚がやっぱりおかしい。少しずつ力が入りにくくなってきている。歩けなくなるのか?怖い。怖い。怖い。今まで与え利前にできていたことが少しずつなくなっていくのではないか。日一日ずつ奪われてくような気がする。
 でもまだ歩けてる。大丈夫だ!大丈夫。
 これからも回復できる!する!
 食欲もあまりないけど、詰め込むだけのご飯を食べる。15時にお風呂に入ってパジャマを替えた。やることがないからTik Tokが僕を助けてくれてるんだ。すこし電波は悪いけど。
 そのまま横になって時間が経つのを待つ。
 夜になると腰が痛くなるのかな。怖いな。
 ムリはせず横になったりする。ストレスはたくさん。
 入院して12日。どんな期間だったかな。ゆきにとっても僕にとっても・・・。

13日目 1月24日
 今日はゆきが来てくれる日でうれしいよ。そのまま一緒に帰りたいくらいだ。夜の時間の仕事の時はちゃんと家に帰れてるのか不安になる。夜も遅いし。
 夜は、左脚全体が筋肉痛みたいになって痛かったな、そのあとは眠れたからいいけども・・・ずっと眠れるってことがない。となりにいてほしい。
 いつまで続くのか。ずっと続くのか。
 いまコロナがあるから一回退院すると入院が難しいところもあると思うし、この後もなにかしら治療が進んでいくのだろうと思う。
 治療できる体なのか?痛みも楽になってほしい。いままで生きてきた体が嘘みたいだ。
 今日は雨とか言っていたけど、そんなこともなさそうだ。9時に点滴更新して、次は夜中の3時だ。約9時間で交換のサイクル。
 リハビリが始まった。入院が長くなってきているし、筋力低下予防も兼ねている。左脚の方に力が入りにくいのはすぐに見抜かれてしまった。血圧も高くて140/90くらいが平均。脈拍も早くて80〜100くらいで歩くとすぐに上がってしまうんだ。でもウェーイ!って感じでアゲアゲな感じでやらせてもらってるんだわ!
 土日が終わったから、月曜日は医者もいるしとてもいいね。話も進むし。造影CTもはやめてくれて今日入れてくれてるわけで、すこしでも血栓がよくなってくれてればよい。
 13時に入浴してすぐに造影CT。16時にはゆきが来た。状況説明はゆきにも参加してもらってよかった。来た時のゆきは不安と恐怖に怯えてる顔をしていたよ。
 話した内容は「何かしらの悪性ガンだけど細かくはわからない。」
 なぞ・・・。
 腫瘍内科へ次は回されるのか。
 何かわかってくれ!!
 久しぶりに手を繋いで、あったかくて安心したよ。ずっと座ってたからか腰も痛いや。それ以上に安心した1日。全然満足感とか安心感とかが違うや。医者の説明も淡々としてなくてわかりやすくてさ。職場からも病欠1年間OKと言われたけど、1年後のことを考えるのはやめよう。
 ガンのTik Tokとかもあって、たまにレコメンドで出て来るんだけど奥さんが亡くなってるやつとか悲しくなるね。
 僕は生きるよ。
 今日目を見て話ができて本当によかった。明日からも退屈な日、入院生活だけどなんとかポジティブに変えられるようにプラスに変えていけるようにする。
 身体中が痛いのが活動を制限する。こんな体だけど、死ぬそのときまではよろしく!って自分に思ってる。

14日 1月25日
 夜は結構眠れた。眠剤を追加したってのもあるかもしれない。バイクに乗る夢を見た。「あ、乗っていいの?」ってのと、自由にどこでもいけることがうれしくて「うわあーー!」ってなる夢。
 左脚全体の痺れはすこし強くなってるような、そんな気がしないでもないんだよね。いやだよーまったく。右腕から左腕に点滴の刺入を移動したのもストレスにはかなり影響がある。スマホを左で触るから右のほうがいいね。
 今日はなにして過ごそうかな。退屈かな。腰と脚が痛いだけで心は塞ぎ込むからね。
 昨日ゆきと会えたからそれをもとに乗り切ろう。LINEでハートマーク使ってくれるのがかわいいね、色付きじゃないとこにも恥じらいがありつつ、とても愛おしく見ている。
 腰が痛くて時間も過ぎなくて、えっちな動画を見ていたの、じっくりとね。時間がすこしはやく過ぎた気がする。多分気がするだけだよね。
 いつもありがとう。
 退院までにこのノートが終わるか、早く退院するのかどっちかな。はやく退院したい。髪も切りたいけどどうしたら表参道までいけるか・・・最寄りで切ろうか。
 いまたのしみにしてるのは、27日のサッカー日本代表の試合だね。
 日に日に脚が痛くなってる気がして怖いな。力は相変わらず入りにくいし、リハビリがあるからそれで見ていく。
 仲良くなったとなりの方からLINEがたまにくる。退院が延びたらしくとても悲しい顔をしていた。入院が長引くのはどれだけつらいかわかるから言葉が出なかった。家族からのサポートもないとすこしイラついていた。僕は奥さんがいてサポートしてくれるからいいなと羨んでいたよ。一緒に頑張ろうしか言えない。
 僕らは入院というストレスと病気というストレスに向き合わなきゃいけない。看護師していたのにいざとなると弱いもんで、家族の支えなしには生きられないのです。
 働くことも大変。今までの仕事の大変さに僕の人生までゆきに乗っかって、重くさせている。
 生きる意味というか、まだ生きる時間がある。やれることはやる!そのために早く退院する!
 ずっとベッドにいるとバカになるからラウンジにいったりするけど、ずっと座ってるのも腰が痛くなっちゃうし、イヤになるなあ。今の治療は血栓。早く腰の治療もできたらいいな。いいなあ。

15日目 1月26日
 今日は調子がすごく悪い。腰も痛いし、徐々に左脚が動かなくなってるのも確信している。少し転びそうになったりもしてるし・・・。トイレに一人で行けなくなるのだろうか、なにもできなくなるのかな・・・。なんもやってないのに、なにも成し遂げてないのに。
 腰の痛みと治療の遅さと全てに嫌気がさす。こんな入院になるなんて、中途半端じゃないかこんなん。
 14時のお風呂は注意して入ろう。転んでしまわないように、力をしっかり入れて耐える。ご飯も食べる気しない。夕食は食べよう。
 すごく調子悪かった。めちゃ腰痛くて、夜から痛み止めも倍量になった。早めに飲んで40分。お腹になにもはいってないけど少し効いて来た。よかった。少し熱が出ている。腫瘍からくる熱かな。でも大丈夫、痛みが少ないだけでこうやって思いとか日記が書ける。レントゲン撮っても明らかな悪さはしてない。土曜に造影MRIを撮って詳しく見ていく。
 家で一人にさせてるのも嫌だし早く家に帰りたいね。ずっと言ってる気がする。精神科の看護師とも明日かな?話すことになった。不安とか話すみたい。
 休めるようになりたい。ゆっくり眠りたい。いまは少し楽。少し楽になるだけでこんなにも違う。こんなにも!ありがたい。「頑張ってる」と言われてうれしかった。
 19:15まだ寝るには早すぎる。

16日目 1月27日
 鎮痛剤が増えたことで腰は少し楽になったけど左脚の力の入りにくさは加速している。困っちゃうぜ。看護師にポジティブに見られたけどそんなことはなくて、早く帰りたいだけ、治療を早く進めてほしい。
 合併症は治療につきものだけどさ!これはつらいぜ!左脚もなんとかしてくれ!今日は電話できなくてごめん。
 ゆきと同じ時間に同じ番組を見てると一緒に見ているようでうれしい。
 鎮痛剤が2錠あって、夕食の時に1錠飲んだあと、もう1錠はもう少し痛くなってから飲むようにしてコントロールしてみる。今日の日記はこんな感じで終了。今日もなんとか生きたね。

17日目 1月28日
 入院も17日目。こんなに長くいるもんと思わず、退院のメドもたってない。悲しいし、悔しい。
 昨日話してた寿命50年半分をってやつね、できたらもらうのかどうかって。お互いの寿命もわからないし、もしもらえたとしてももらわんだろうな!二人で楽しい時間を過ごせるならそれ以上のうれしいことなんてないんだけどね!
 最近夜から朝にかけて熱がまた出始めた。体はそんなにつらいないのにね。
 循環、呼吸、整形、消化器、リハビリ、精神、いろんな大人の人が動いてくれている。早く何かしらわかって次のステップへと行きたい。体も心もつらいところがある。
 夕方にはゆきも来てくれるので、顔が見れたらいいな!少しでもね。何も見えて来ないってストレスと不安はとても大きいものがある。頭はしっかりしてるのに体が動かなくなるの怖いね。夜、熱が上がるから感染症を否定するための採血と採尿がされることになった。炎症反応も高めではあるようで心配。いつまで入院なんだろうか、一体。果たして退院できるのかな。いつかゴールがあって少しずつ近づいてるのもわかるけどとてもつらい日々だ。真っ暗なトンネルの中にいるみたい。早く光が見えてくるといいのにな。ネガティブなことも書くけど、ポジティブなことも書きたい。
 今日は隣のベッドからAVの音が聞こえて来たよ。先生の病状説明を家族で受けてるみたい。
 大学病院だからもっとスピード感もっていろいろと動いてくれって本当に思うよね。不信感が強くなってきている。
 タイミングよくゆきがきてくれて、会えてうれしい。少しだけだったけども会えてうれしい。もっと体調よくなって会いたいな。退院した時のことばかり考えちゃう。
 生検の結果はまだ出てないし、なにもいい方向には進んでないんだけどもさ少しずつでも前を向いていきたい。一緒の未来と考えていきたい。体がね、入院するとこんなになるだなんてね。
 ゆきの手にこの日記が渡るのは退院してからだろうけど、どんな顔して読むんだろうか。同じような内容がつらつら書いてあるだけのこの日記。
 ストレスか胃が重いや。これも何か変なものじゃないことを願う。

18日目 1月29日
 ゆきの言う通り感情も混ぜつつ先生に伝えてみようともう。早く治療も進めてほしい。早くなにか次に行ってほしい。もう入院して18日になる。あと少しで三週間だ。
 MRI中、なんか閉塞感でパニックになりそうになった。すごく汗をかいた。息が苦しくなってなんとか耐えた。歩けなくなるのか。あまり神経にはいってないみたいだけど足は日々悪くなってる。早く対応してほしい。早く帰りたい。今日は調子もよくない。

19日 1月30日
 14:30 フロ

20日目 1月31日
 昨日は体と心がつらかった。じっと横になってることしかできなかった。痛くないところをさぐり、横になって時間をやりくりすることしかできなかった。
 夜には高熱が出た。ものすごく体が重かった。なんとか頑張ってくれた体。ありがとう。
 今日は血栓評価の造影CTがある。左脚についてもなにか繋がってほしいな。何か治療するならもちろん退院は延びちゃうけどさ、外来で様子見れるくらいにはなってほしいな。少し血栓が溶けてくれれば。でもこの前先生に「このような状態だと退院させるのは難しい」って言われたのがぐるぐるする。
 体のいたるところがいたい。痛み止めを増やしてもらおうかとても悩むレベル。副作用を考えた時にどうなるかも不安だし、この先の治療も大いに不安。痛みによるものか息苦しさもある。入院して三週間か。とても長くいろいろあった。二度と戻りたくない三週間だな。人生の中でも過酷な日々。これなら自分で死んで楽な方に逃げたいってすごく思った。どうにか良くなってほしい。最近の医療ってこんなもんなのか?日々不信感ばかり募っていく。
 動くとすぐにあがる息と心拍数。僕の体はこんなもんなのか?ネガティブなことしか考えられない日々がとても嫌。もっと進んでほしい。先が何も見えないの、何かみえないと、じゃないといつか耐えられなくなってしまう。
 先生の診察で「精巣がん」の疑いも入って来た。怖いことだらけだ。明日はとうとう放射線を腰に当てる日が来た。どうなるんだろうか・・・。脚は改善するのか?毎日絶望と戦ってるような、でも体はがんばってくれてるしゆきも一緒になってやってくれてるかたできるところはやれるだけやっていきたい。退院の話も少しあがってきたけど、腫瘍の話にもよるからなんとも。でも退院したい気持ちは変わらない。やれるだけやる。明日から2月だ。二月だあ。一月の思い出は江ノ島に行ったことだな。

21日目 2月1日
 ゆきは最高の妻だよ。いつもありがとう。
 精巣がん疑いでエコーを撮った。午後はすぐに放射線を打った。動かずに30分間機械の中に入れたれた。これで少しでもいろんな腰からくる症状が抑えられたらいいな。
 最近は胸が、胃のあたりが苦しいことが多い。痛み止めばりだし胃が荒れてるのかな。
 今日はゆきがゆきバーイーツ(病院に物品を届けてくれること)してくれたものでウィダーがとてもよかった。なんかわからない気持ち悪さはあるけど、何からくるものなのかはわからない。寝てるといいけど座ると少し悪くなるような。よくわからないことだらけ。明日起きてよくなればいい。大腸検査があるからそれは頑張らねば。

22日 2月2日
 朝から大腸カメラのためにせっせと下剤を飲んで腹痛と下痢を繰り返している。きれいな水が出るまであとすこし・・・。ただ、疲れたので休憩をください・・・。
 ゆきと腫瘍内科を受けたあと、泌尿器科で左精巣摘出手術を抗がん剤(BEP療法)の説明を受けた。
 左精巣がんという診断。一緒にさっき腫瘍内科で受けた説明とは違った。泌尿器科で話す内容も同じだろうとゆきを家に返したけど全く違う内容だった。一人で説明を受けた。なんの感情も出せず、車椅子から外を見ていた。とても苦しいと説明をされる抗がん剤。しかも4コースという長さ。いつになったら安心して家に帰れるの?どれだけがんばればいいんだ?

23日目 2月3日
 午後から気持ち悪くて何もできん。来週火曜には手術。とてもイヤ。でも前しか見ない。

24日 2月4日
 午後からどんどん熱も上がってさ38.5℃とか平気でいくしさ。腫瘍性みたいだけどさつらいね。少しは楽になることはないのかしら。はやく体が楽になったらいいな。
 昼には少しイラついてたのがLINEで伝わったのか「病院の食事楽しみにしてると思ってるの?」とかトゲのあるような言い方をしてごめん。しっかり支えてもらっていたのにそれが当たり前のようになってた。おかげでがんばれてるのに・・・いつもありがとう。
 誕生日プレゼントも何も考えることができなくてごめんなさい。体のことで必死で毎日、一日一日を生きることが大変すぎて。

2月5日
 入院日数を数えるのはもうやめよう。(日記上に入院日数を書くのをこれ以降やめた)生活の主体が病院にあるのは変わらず悲しいことだけどさ、すこしだけの抵抗。
体重も入院してから58kgから53kgに落ちてる。食事も口に合わないし、40kg台に乗ったらそれはそれで大変なことだ。一ヶ月で5kgも減るなんてね、家ではもりもり食べてたしおやつももっちゃり食べてた。ぱりんこを検品しながら食べていたのがとても愛おしい思い出。(おせんべいに不備がないか検品しながら食べるのが好きでした。)
 昨日の夜は息苦しくて寝るのが怖かった。このまま明日が来なくなるんじゃないかって。寝て起きたらもう死んでるんじゃないかって恐怖がすごくあった。
 15時からゆきと手術の説明だ。息が詰まるくらい緊張してる。でも暗くなってもしかたないし、無理に明るくする必要もないからフラットにいくよ。ヘタに知識があるから考え込むからなあーーんも考えんとドンといけ!!
 一緒に説明を聞いた。サバンナ高橋似の先生がなんか言ってたけどちゃんとやってくれるよね!!って話。そんな話よりゆきと同じ空間にいて家の匂いを感じてそれがすごく幸せな気持ちになった。ありがとう。

2月6日
 朝ごはんのごま塩もうまく食べることができたことがうれしくて、しかも食事量も安定して来ているのも安心する。箸を拭いてたらパキっと折れたのはなんか不吉で悲しい出来事だった。
 食後もヒマでビスコを食べたりアーモンドチョコを食べたりカロリーをひたすら体に入れてテレビみたり。そんなにやることがないうえに明日はフィルター(がん性の血栓があり手術中の肺塞栓予防でフィルターを入れる必要があった。)明後日は手術したり、んーー。大きな手術とはいうけどさ、イヤじゃんね。循環器の先生は僕が退院をしたくてたまらなかったのを知ってるからとてもとても気を遣わせてしまったと思う。
 何もやる気のない日とかボーーっとする日とか高熱の時とか、腫瘍のせいでいろんな壁があるんだけどさ・・・熱は疲れるけど体が慣れてる感すらあるんだよね。ヒマではある、緊張もある、体調不良もあるがなんとか今日も生きている。
 寝る時は、もう死ぬんじゃないか目が覚めないんじゃないかって怖さがある。寝たように死ぬって意味でそのまま目が覚めないのもいいかもしれない。その代わりにまだ元気すぎるからまだまだ生きるのだろうと思うの。
 夕方から熱が上がるのではないかと怯えながらも日中楽しく過ごすことができたらいいなって思う。
 昼ごはんもよく食べました。今後はふりかけも活用していきたい所存。わさびふりかけ食いたい。
 病院食ばかりで、口がいま繊細だからタバスコとか食べられなさそうだな。ヤワな人間になっちまったぜ。
 3時間くらい電話してた。腰は死ぬほど痛いし、体調も悪すぎて何もできなかったことを言われて思い出した。たしかに電話もできない、できても15分くらいのときもあって3時間なんて話ができなかった。それくらい今日は体調がいいんだな。あまりにつらかったからないものとしてるかもしれない。あまりにも痛すぎて、つらすぎて。
 腰の痛みも今日は少し楽。歩きにくさはあるがまあなんとかやってるし退院もいけるのでは!?
 手術ちゃんとやってくれよな!フィルターも入れてくれよな!夜上がりがちの熱も16時現在36.6℃!めっちゃ珍しい!!!!!すごいことよこれ!!!!!
 長電話も結構疲れたから夜もよく眠れそう。LINEだけで僕の体調とかつらさをわかってくれて、覚えてくれて安心した。しっかり支えてもらってる。

2月7日
 昨日の夜、いろんな考えや不安が頭の中をぐるぐるして寝たいのに思考が冴えてるような感じで、いま思い出しても何考えていたのかさえ覚えてないんだけどそんなくらいのもので。眠剤飲んでやっと寝むれたような感じです。
 足の痺れは朝のリリカの量が失敗したので少なくしてみようかしら。日中も気持ち悪くて仕方ないし。(薬は自己管理していました。)
 13時に首から大きな動脈へフィルターを入れた。首からカテーテルを入れたのだけどこれが結構太くてとても不快感が強い。痛いというのもあるけど、なんかこうよくわからないけど首からいろいろされるのがすごくイヤな感じがあったかな。
 病室に戻ってきてからは臥床安静中、すぐにといれいきたくなったけど我慢した。そのあとは先生と今日入れたフィルターを取り除くタイミングや退院を内服薬で遅らせないようにするための配慮といった具合のことを話した。すこし疲れた。
 調子は悪くないけどやはり一日動くと疲れはきますよね。
 いろんな先生や関係者がきて明日の手術の話をして帰っていった。明日手術でどんな日かな。
 ゆきの誕生日でもあるというかそっちの方がでかい。

2月8日
 ゆき誕生日おめでとう!!!
 29歳 ゆっくりやっていこう。
 いつもありがとう!
 これからも一緒に人生を歩んで生きましょう!
 誕生日プレゼントにしては細やかだけど、三ツ矢サイダーをあげるね。「どうやって買ったの?」って驚いてくれてうれしかったよ。病棟に来てる移動販売で買ったんだ。
 左脚の痺れがすこしあって左腰もすこし痛いなあ。せっかく退院を目指せるようになってきたところでのこのイヤな痛み、しびれは怖い。歩きにくさもあるけど今の所大丈夫ではあるが、いつどんな症状がでるのか怖くて、毎日心配で怖い。昨日より動かないのが当たり前だなんてそんな悲しい体験を33歳にてやってる。とても怖い。歩けなくなりたくない。せめて歩けていたい。杖を使ってもいいから。
 10時現在手術の緊張はさほどしてない。

2月9日
 手術後すぐに病棟が移動になった。手術が終わって麻酔で朦朧としてたけどゆきが声をかけてくれたことはちゃんと覚えてるよ。
 手術の創部は痛いけどすこしずつ少なくなってきている。右腰の痛みが強くなっている。不安は尽きない。怖いことばかり。怖い怖い。考えちゃう。歩けなくなったらとか、たらればが全て怖い。今は痛いから心が弱い。痛いところがあると心は急に弱くなる。

2月10日
 8時主治医がきて傷口確認をして「キレイ」の一言に安心した。
 外は雪ですごく寒いのが窓越しにもわかる。あと、またヘパリン点滴が始まる。脚が動かなくなった一因なような気がするし、点滴を毎日するのが苦痛。採血も毎日たくさん針に刺される。
 この雪は、駐車場に置いてある僕のバイクにも積もるかな。倒れないといいな。雪が強いな。外はどんな気温なのか肌に感じたい。暖かい上着もってないね。
 レントゲン撮ったけど、整形的な問題なし。放射線もしてるしというのでできることはあまりないと。
 いつ退院できるんだろうか。早くしたい。いろんな科が関わってるし、それぞれが押し付けあって遅れるのだけはやめてほしい。早くしたい。また入院したら次はいつ退院できるのか。抗がん剤治療で今の4倍くらいの長さの入院?怖い。どんだけ長くなるんだ。4ヶ月近くかかる治療でもよく効く治療だからはやくやりたいみたいという話も看護師長から聞いた。
 僕ら二人がんばってるよね。本当にがんばってると思う。一人じゃなんも耐えられないや。ゆきや家族の顔は1万回以上は思い出してるよ。
 ずっと外を見て、雪を見て時間が過ぎるのを待っている。

2月11日
 今日退院だ。
体は、すこし息苦しさはあるけど前からだし、右に痺れがで始めたのはイヤなことだな。
帰ったら特別なにがしたいってわけじゃないが、ゆっくり過ごせたらいいな。

あとがき
 「このままではあなたを家に帰すことはできません」この医者は患者を間違えていなかった。
 事実として、僕は「がん」であったし転移もしているステージ4だ。おまけにがんによる血栓で肺塞栓症で即死の危険や骨転移による影響で歩行障害もありさまざまな症状が僕を苦しめている。
 前にも書いたことがあるが、腰痛から腫瘍が見つかった。まさか腰痛が腫瘍だなんて夢にも思わない。骨転移による腰痛は、日に日に痛みが強くなって、本当に痛くて、見つかるまでの2週間は日増しに痛みが増していて家にいるときのほとんどを横になって過ごしていた。
そして、入院してから麻薬に近い薬効を示す痛み止めを飲んでも全く効かないレベルでの痛みになっていた。寝てられない、座っていられない、だから立ち上がって足踏みをしたりしてやり過ごして、眠くなったら寝るようなことをしていた。立ち上がることができないくらい痛い時には、もう寝たきりになって時間が過ぎるのを待つことしかできなかった。
 痛みは骨の内側からきて、中からハンマーで打ち付けているようなズシーンとした痛みで説明が難しいが、この世のものとは到底思えない苦痛であまりの痛みに失神するのではないかと思うくらいだった。
 日記のなかにも書いてある「下腹部の痛み」は精巣がんによるものとわかった。
発見までに入院して20日程度かかっており、その間も体はがんに侵されているのに原発がわからない状況で不安に押しつぶされそうな毎日を過ごしていた。いまは、そのような不安が嘘のように楽しく毎日を過ごしていて、この入院期間のことを考えると「いま」がとても幸せ。幸せな日々を過ごしている。
 ただ普通に働いて、ただ生活していたら急に人生のどん底に落とされる。それが病気の本当の怖さかもしれない。でも僕は自分の人生について、病気になってからより深く考えるようになったと思う。思い描いたような人生や老後を送ることは難しくなったけれども、新しい自分の生きる道を見つけようと思う。



 この日記は、僕が生きていたということがなにも残らなくなることに少しでも抗うために妻にあてた至極私的な文章の羅列で、読んでくださった方の共感や理解できない部分もあるかもしれません。しかし、僕が生きていた、生きている証しの一つであるのは間違いありません。
この日記の後の治療は、抗がん剤治療、転移巣の手術を3回、リハビリ・・・。書き出すと一行で済むことですが、一行では伝えらない出来事の数々を体験してきました。そのほとんどをブログに書き残しました。またそれらもまとめて、このような形にできたらいいなと考えております。
 ずっと支えてくれているゆきには感謝しきれないほどのものを与えていただきました。もし、逆の立場であったならここまで献身的に寄り添うことはできなかったと思います。ゆきとの人生をこれからゆっくりとですが、楽しく過ごしていくことが僕の幸せです。

 ここまで読んでいただき心より感謝申し上げます。

 最後になりますが、この文章を読んでくださった全ての方、またさまざまな病で闘病をされている方、支えになっている家族のみなさまのご健康とご多幸を心より願っております。

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