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銚子街道十九里#6

─香取から小見川まで─

 利根川土手に登り、東に歩き出した。
 布佐から松戸までを歩く鮮魚街道の旅は三度で力尽きた。今度は鮮魚が高瀬舟で運ばれたこの利根川に沿って銚子まで下ろうと思う。つまり、布佐から利根川の水が太平洋に流れ出るまでの道程を進むのだ。この道を銚子街道と呼ぶらしい。
 布佐河岸に標識が立っている。海まで76 .00キロメートル =19.352 里。約十九里。

    *

 2月上旬。
 朝6時05分に家を出た。
 嫁と娘は義弟とスキーに出かける。私はここぞとばかりに撮影の予定を入れた。
 今回ばかりは前日の酒を抜いた。早朝から活動を始めれば、撮影の時間もたっぷり取れるし、その分夜の予定も入れられる。
 今朝は比較的暖かく、これから温度も上昇するらしい。まだ薄暗い駅前にはウォーキングをするお年寄りが、ちらほらとゾンビのように歩いている。土曜日の早朝とはこんな感じなのか。
 しかし電車に乗ると、これはガッツリと働きに出る人で埋まっていた。あ、それと部活に向かう
高校生。試合なんだろう。だいたい高校名がデザインされた揃いのジャンバーを着ている。
 京成津田沼駅で京成線各駅停車に乗り換えた。後から来る快速よりも各駅の方が早いらしい。
 早朝なので余裕で座れた。ここから長丁場だが、文庫本を2冊持ってきている。荷物にはなるが暇よりは全然いい。なにせ帰る時も何時間待たされるかわかったもんじゃない。待ち時間も楽しむことこそ田舎道の醍醐味である。

 ちなみにこれは今朝悟った。
 悟りたてほやほやだ。


 目の前のシートにはガッツリ東南アジア系の若いお嬢さんが2人。観光帰りか、シナモンロールの水色のクロックスを仲良くお揃いで履いている。関係ないが“ぼくはシナモンウサギじゃないもん男の子の子犬だもん♪”と娘が歌っているのを思い出した。そんなことよりクロックス寒くないのかと思ったが、もの凄く分厚くて、もふもふの靴下を履いていた。そこまでしてクロックスか。あれサンダルだよな。
 車窓には畑が高速で延々と流れていく。途中で佐倉の名所、オランダ風車が見えてきた。東南アジアの娘さんをバックに異国情緒満点である。ここはどこの国だろう。
 成田に着くと急いで乗り換えだ。乗り換え時間が12分しかない。いつも時間を余してゆっくり乗り換えているので不思議な感覚だ。
 慌ただしく連絡通路を渡ると、なんとか無事に乗り換えることができた。なにせこれを逃すと1時間も待たされる。つまり撮影も1時間遅れでスタートしてしまう。
 予定通り8時9分に香取駅に到着した。
 同じ方向をカメラを持って歩く美少女がいた。ハタチそこそこだろうか。

 お、お、お、
 同じ田舎道趣味なのかしら。

 同じ方向に同じスピードで歩いているので、おじさん申し訳なくなって、手前の角で曲がってしまった。振り向くと彼女は公園付きの神社で手を合わせていた。すごく絵になっていた。クソ失敗した。のこのこと変態みたいにあとを付けてればよかった。キャンディッド・フォトで撮りたかった。要するに盗撮したかった。こういうもどかしい行き違いや劇的な巡り合わせがスナップ写真の醍醐味であろう。田舎を歩くと滅多に無いけど。
 彼女がどこを目指しているのかは分からないが、こちらとしては曲がってしまった手前、激細い線路沿いの道を進むことになった。これがなかなか素晴らしい小径だった。車の入れないほど狭い道幅に手入れの行き届いた背より高い垣根がくねくねと折れながら迷路のように延々とつづく。
 朝の冷たく新鮮な空気を思いっきり吸い込むと、少しだけ甘味を感じる。春も近いのか。だがあまり吸いすぎると冷たい空気でお腹を壊すので注意したい。

 線路脇を歩いているが、電車が来る気配は微塵も感じられない。ダイヤが少ないので当たり前なのだが。
 辻々であのうるさい国道356号が目に入る。茨城に伸びる鉄道の鹿島線を見たくて、やむを得ず一旦国道に出る。相変わらず賽の河原のように殺風景な国道で、歩道も整備されていない。大型車がもの凄いスピードで横をかすめる度に身体が少し持っていかれそうになる。
 左手には気が遠くなるほどの圧倒的な面積で田んぼが広がり、その向こうに万里の長城のような利根川の土手がかすかに見えている。そして視線をそのまま下流方面にスライドすると頼りなげな鉄橋が現れる。それが鹿島線の利根川橋梁である。
 そのまま宇宙まで行くかのように真っ直ぐと延びるその線路の向こうにはきっと潮来、鹿島神宮、そして鹿島スタジアムがあるのだろう。そう、茨城県である。
 鹿島線の鉄橋は意外と近づけず写真にはならなかったのだが、線路と並行して続くし、他に道がないのでこの酷道を歩いた。

 潰れたガソリンスタンドが観光会社に変わっている。コロナを乗り切れたのだろうか。ネットで調べたら「閉業」となっていた。
 そして今度は小学校の廃校が見えてくる。2022年3月末に閉校というからなんとも生めかしい。ついこないだやんけ。

 並んだ朝顔の鉢植えからは
 雑草がすくすくと育っていた。


 国道からやっとこさ脇道に逸れることができた。この国道と並行する脇道を使って、目指すゴールの小見川駅まで行けるようだ。最初は用水路にデカい野良白鳥などもいたりと、なかなか面白かったのだが、左は田園と利根川の土手、右は農家という利根川お決まりの王道パターンに痺れをきらしてしまい、ロイヤル団地公園を経由して国道の反対側へ移動しようと思う。
 ロイヤル団地公園は宅地の隙間に作られた小さな公園だった。入口もなくフェンスもないロイヤル。滑り台と鉄棒とベンチがあるだけのロイヤル。鉄棒にはまるで事件現場のように黄色いテープが巻かれ、遊びにくる子供たちを拒んでいた。
 さすがに足もキテいたので、ベンチに腰掛けると向かいの家から威勢のいい布団を叩く音が鳴り響いた。まだ10時だというのに。これは、よそ者は公園で休むなという意味の警告音なのだろうか。そう思うと寛げる訳もなく、ささっと脚をマッサージして、そそくさと公園から立ち退いた。 

 またほんの少し国道を歩き、信号から入るY字路で再び脇道へ。これはなかなかいい感じの脇道だった。この辺は古墳がいくつかあり、豊浦古墳群と呼ぶそうで、古墳巡りが趣味だとされ思わせれば、カメラを下げてほっついても誰も不審に思わないだろう。
 最初に現れたのが三ノ分目大塚山古墳といって、かなり大きめの古墳だった。看板も駐車場もあるが、てっぺんに普通に地元の人の新しめの墓もくっついていて、おいおい! これ、こんなん作っちゃって大丈夫かよと変な心配をした。

 トイレに行きたくなってきた。はっきりとした尿意はないが、膀胱の奥底に微かに疼く感じではある。小見川北小学校は老人たちのちょっとしたパーティーを体育館でやっていた。どさくさに紛れてトイレを借りることもできただろうが、まだそこまで危険水位ではない。校庭に富田1号墳があるという。確かにこんもりとした小さな丘がある。とくに古墳を巡っているわけではないので素通りした。

 熊野三社という公園と合体したような神社があった。ワンチャン御手洗があるかと探したがなかった。いよいよ私の膀胱もビブスを脱いでアップし、積極的に存在をアピールし始めた。
 なおも国道356号線(利根川水郷ライン)を避けて2本内側の並行に伸びる道を行く。
 JR成田線はさらにその奥にある。この辺から表札に「高岡」姓が多くなってきた。前回、香取駅まで来たときに思い出したデザインスクールの同級生、高岡君は実はこの辺の生まれなのかもしれない。しかし、どれが高岡君の実家なのかわからない。なぜなら表札は高岡だらけだからである。

 ちくしょう
 高岡くん
 ばかりでは
 ないか


 高岡君はこの辺の地元のヤンキーだったのか。前回来たときに香取駅だと想定した高岡君の思い出を高速で書き換えた。高円寺の風呂無しアパートに住んでいた高岡君は急にロックに目覚める。私の影響ではないと思うが、突然ロカビリーを聴き始める。そして、童貞がいきなりソープに行くようにクリームソーダやピンクドラゴンなどのロカビリーショップに一緒に付き合わされたのだった。
 私は当時USハードコアバンドが好きだったのだが、ロカビリーショップをハシゴして、こんなきらびやかな世界があるのかと感心した。 
 彼は店員のお兄さんに勧められるがままに買い物をして散財していた。なんでもロカビリーバンドのマジックというバンドを観に行くために一張羅を揃えなきゃ行けないのだという。タッパもデカいし顔ももともと二枚目なので、ロカビリーファッションさえ手に入れたら無敵だった。
 そして、彼は突然ウッドベースをやりたいなどと言い出した。その辺りから少しずつ住む世界が違くなり、さらに卒業を経て疎遠になってしまった。

 そんなことを思い出しながら歩くとコメリの看板が見えてきた。前々回、神崎町の農家さんが息子にブロックを買わせたホームセンターである。もちろんあの時の店舗とは違う店だが佐原市、香取市に結構進出しているのだろう。いたる所にあるようだ。一度、どんな店か入ってみたかったし、トイレをお借りしよう。コメリに入るとまずは外に園芸コーナーがある。こういうホームセンターはトイレってのは大体店の外にあるもんだが、パッと見どこにあるかわからなかったので、とりあえず入店すると館内は意外にも狭かった。いや狭すぎた。なんならコンビニくらいの狭さ。そして中も園芸というか農業用品が所狭しと置かれ、レジにはおばちゃんが2人。相当暇なので私のことを防犯カメラのように追尾していた。確かに農家でもないカメラぶら下げたおじさんが入店したら何事かと思うわな。店内の隅々まで見渡したがトイレは無いし、場違いなのでクルッとターンして、視線が背中に刺さったまんま店をすぐに出た。
 出てすぐ店の脇にトイレを見つけた。来たときは全然気がつかなかった。
 手を洗い、もう用はない。恐らく一生コメリには来ないだろう。そう、トイレを借りる以外には。
 駐車場を渡ると見慣れた看板が目の前にあった。「くるまやラーメン」である。大好きだ。ここで素通りする手はない。しかし、時間がない。駅の時刻表をみるとあと40分ほどで次の電車がこの先の小見川駅に来る。グーグルマップで見る限り、駅まで徒歩30分圏内だろうか。
 この電車を逃すと1時間待つことになる。しかし、私はくるまやラーメンを選んだ。お腹は減っていないが足が疲れた。それに時間を気にしながら撮影しても撮れ高は無いだろう。
 くるまやラーメンに入ろうとしたが、暖簾が出ていない。時計を見ると10時59分だった。すぐに店長さんがきて暖簾を出した。すると駐車場にいた漢たちがぞろぞろとそれぞれの車から出てきた。彼らはオープン待ちだったのだ。
衣装を揃えたわけではあるまいが、みんなジャージにクロッカスだった。
 私は2番手で入店した。なんか気合い入ってるみたいで恥ずかしい。まぁ、こいつらより歩いて来てるから気合いは入ってんだけど。
 私は布のおしぼりで丁寧に顔を拭きながら、さらりとメニューを見たあと、ねぎ味噌ラーメンを頼んだ。無料のライスはお願いした。すると、なんと全員がねぎ味噌を頼んでいた。お前らわかってるな!
 そ、そして全員餃子も頼んでいた。
 私だけ餃子を頼んでいなかった。なんか失敗した。ひょっとして半額かなんかか?
 慌ててメニューを見るととくに半額ではない。だが、5個で262円という安さだ。なるほど。しかし、私はそんなにお腹が空いていないので全然悔しくない。
 でも、悔いは残った。

 着丼!

 恐らく10年ぶりに食したねぎ味噌は痺れるほど美味かった。最後までねぎを切らさぬように丁寧に分量を計算して麺とともに口に運んだ。この時、少しだけスープに浸すのがプロの〝くるまー〟である。

 お店のお姉さんがチャキチャキ仕事をしていて見ていて気持ちいい。昔は相当ヤンチャだったんだろうなぁという感じ。いや、いまでも特攻服が似合いそうだ。紅夜叉似のきつめの顔なのに愛想もいい。危なく惚れそうになる。ここでビールでも飲みながらお姉さんの仕事っぷりをいつまでもいつまでも見ていたかったが、嫌われたくないので、食べ終わったらすぐに店を出た。

腹の皮が張れば目の皮がたるむ。

 まさしくその通りで、急に眠くなった。天気はぽかぽか陽気だし、写真なんてどうでも良くなる。

 もう電車も逃したのでゆっくりと小見川駅までの道を楽しむことにした。佐原ほどではないが、それなりに栄えている。情緒ある黒部川を渡り12時9分小見川駅着。
 電車は12時39分に来るので30分待ち。ちょっとだけ駅前を散策した。かの明治天皇の侍医長で順天堂病院初代医院長、佐藤尚中先生出生の地である。直立姿勢の銅像が眩しい。うちの娘が浦安支店で大変お世話になりました。
 軽く挨拶を終えてさらに駅前通りを進むとやっぱりシャッターを下ろした店が続く。昭和や平成初頭は賑わっていたのだろうが今は見る影もない。どの道次回のスタート地点になる訳だし大人しくUターンして駅に戻る。

 15分ほど待って電車が来た。今日はこのまま埼玉県越谷市のライブハウスに向かう。長旅になりそうだ。そのための文庫本は2冊ある。

12kmから先は電車に乗ってます。
GPSのスイッチ切り忘れました。

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