銚子街道十九里#2
-安食から滑河まで-
2023年9月吉日。
私が一人で遊びに出かける時だけ足下にすがりつく娘(6歳)を跳ね除け家を飛び出し、駅の階段をかけ降りて8時過ぎの電車に飛び乗った。車窓から見える切り取られた空は薄曇りで、いつ雨を降らしてやろうかと手ぐすねを引いて待ち構えている状況だ。今年の異常な8月の気候に比べて気温的にも幾分か楽になっただろうか。雨さえ降らなければ、絶好のスナップ日和だろう。
一澤帆布謹製の地質調査鞄の中にはマイニューギアを忍ばせてある。中古で買ったカメラのバッテリー1本と新しく購入したライカのレンズを2本。ズマリット50ミリF2.5と同じシリーズのズマリット35ミリF2.5の2本である。ヤフオクにて2本セットで手に入れた。2本セットで手に入れるとアホほど安かった。しかも純正のフィルター、レンズフード付き。たとえ要らなくなったとしてもバラで売れば十分元を取れる値段だろう。出品者は不慣れなお爺さんで、丁寧にジプロックに入れて達筆な字で説明書きが書いてあった。
そして、これは副作用なのだが、この2本を買ったことでレンズへの興味が無くなってしまった。まだ試撮前だが、要するに私のレンズ沼の〝あがり〟に近い状態である。ライカ歴30年のあがりがこのライカM型の入門用チープレンズ2本セットかと笑われるだろうが、私の撮影スタイル上この性能で必要十分で間違いなくあがりである。先日、銀座の中古カメラ市に行っても脳内がNT(ニュータイプ)のようにピピーンと反応しなかったのだ。ピロリロリーンだと〝毎度おさわがせします〟なので注意したい。
昼間にしか撮影しないので、絞りの開放値は明るくなくていい。開放値はF2.5まであるから必要十分だ。どのみちF5.6より開けては使わない。色調も35ミリと50ミリ2本のレンズが揃っていればいい。あとは健剛さと耐久性。これは現代造られたレンズなら概ねクリアしているだろう。ボディのLeica SLにはBitというこの新しいレンズに付いているコードも読み込んでくれるという。それがなんの役に立つかは知らないが。とにかくモダンなレンズも欲しかったのだ。その点に於いてズマリットはうってつけである。そうなるとコシナツァイスのプラナー50ミリ、ビオゴン35ミリ
のコンビも候補に上がるが、私はすでに持っていて火災で燃えちゃったので同じものを買い戻すのはなんとなく悔しい。
バッテリーはこれで4本目。うち、中古は2本となる。これは恐らくあと1本買って計5本になるまでは買い続けるだろう。バッテリーは多少重くても多く持っていて損をすることは無いと思っている。デジカメは電池がなければただの黒い塊だ。最悪の場合、SDカードならどこのコンビニでも入手できるが、カメラのバッテリーは特殊すぎて撮影中の町中にはどこにも売っていないだろう。
*
やはり今回もJR我孫子駅のホームで成田線を15分待たされた。だが、朝食をしっかりと食べてきたので、ホームにある弥生軒の名物〝から揚げそば〟は断念した。
そして、珍しくNO蕎麦つゆスメルで乗り込んだ成田線車輌にすんごい美人がいた。歳の頃なら20代後半。麦わら帽子に爽やかなブルーのストライプの清楚なワンピース。帰省なのか小ぶりの旅行鞄を膝に乗せている。長澤まさみの脂分とギラギラ感を無くした感じ。あまりの美人度とローカルな成田線のギャップでついおじさんついチラチラ見てしまった。彼女が女優にならずに普通の女性として暮らしている世界線に私はいま生きている。私が安食駅で降り、彼女も一緒に降りていたのならその瞬間にギターが鳴り、ラブストーリーは突然に始まったと思うが、残念ながら彼女はステイトレインのままだった。
独り残され、走り去る電車のお尻を睨みながら膝を落としてホームに茫然と佇んだ。気持ちを切り替えて改札に向かう。
安食駅から国道356号線沿いを歩いて利根川を目指した。前回は交通量が多いのに歩道や側道のない危険ルートに手こずったが、連休の中日だからか車も少なく比較的安全に歩けた。朝は曇っていて涼しかったのに今は晴れて陽射しが強い。たまらず道路脇にある自販機でポカリスエットを購入した。
前回来安した時に気になっていた利根川の手前にある高台は量産型の新興住宅地だった。無駄足を踏みたくないので、前日にグーグルビューで確認しておいたのだ。ほかに良さげな街並みも無さそうなので前回と同じルートで利根川に戻る。この間約2km。なんか損をした気分だが安食駅と利根川が少し離れているので仕方がない。途中、高浜虚子の句碑があるようだが寄らなかった。とにかく利根川、銚子街道をテーマに撮影している手前、そこに着かないとスタートラインに立てたことにならないのだ。
なんとか利根川にたどり着いたが、土手には登らずにその脇にある側道を歩くことにした。ちなみに利根川に沿って走る国道356号線を歩いても車がバンバン通るだけで風光明媚な景色など微塵もないし、土手は土手で高い堤防から見下ろすが延々と同じ景色が続く。2kmにひとつ現れる水門ぐらいが唯一のイベントとなる。いつ消えてもおかしくないような頼りない側道には農家が軒を連ね、その裏には見渡す限りの田んぼ田んぼ田んぼ。たまに住人と出くわすとカメラをぶら下げた私は疑いの眼(まなこ)で凝視される。最近はお年寄りを狙った強盗が横行しているし、やむを得ないだろう。閉鎖的な田舎の町が益々閉鎖的になる。
リタイア後に引っ越してきた老夫婦が場違いなデザイナーズハウスを建て、ランクルを横付けして荷物を運んでいたが、今後どういうご近所付き合いをするのか見モノである。そのぐらい町に溶け込んでいなかった。ラピュタ並みに浮いていた。
景色がちーとも変わらないので、この利根川と並行して続く道の更にもう一本奥の道を歩いた。
茨城県
利根川
堤防
国道356号
一般道
農家
用水路
一般道←いまここ
こんなブルボンルマンドように幾重にも重なった道が利根川に沿って綿々と海まで続くのだろう。
農家の裏には大きめの用水路が流れ、それぞれの家庭が自作の橋を渡して裏口にしている。鉄板1枚を渡している家、建築用の足場を組み立て利用している家、コンクリートで製作した手すり付きの本格派と個性豊かで楽しい。
そんな用水路のドンツキに運動公園があった。そろそろ最初に買ったポカリスエットが切れてきたので、ここらで補給できると助かる。私の推理だと大きな運動公園なので絶対に自販機があるはずだ。裏手から入ったので詳しい施設の位置は分からないが、テニスコートでは若いテニブスがギャーギャーと大はしゃぎしながらプレイしている。はしゃぐなら酒飲んでROUND 1でやれ。そして死ね。そのままテニスコートの脇を通り、近くにあったベンチに倒れ込むように座った。今まで気が付かなかったが、意外と体調が危なかった。熱中症寸前だったのだろう。ここに運動公園が無かったらどうなっていただろうか。しばらくして落ちいた。冷静になって辺りを見回すとベンチの左側にトイレ、その横に狙い通り自販機がある。正面が駐車場で地元の草野球の兄ちゃんらが軽口をたたきながら阪神そっくりなユニフォームに着替えていた。今年は阪神が138億年ぶりに優勝したのでさぞ嬉しかろう。右側に野球場。ベンチには他にサイクリングジャージを着たピナレロローディが1人いるだけ。とりあえず自販機でコカコーラを買って、コント赤信号のリーダーばりに一気飲みした。デカいゲップ。そしてストック用に麦茶も1本購入。トイレに行き、目の前のカマキリに威嚇されながら真っ黄色なオシッコをチョロっとだけして私は公園から出た。
今度は土手を歩く。土手から見下ろして良さげな景色があったら降りようと思ったからだ。しかし、土手のサイクリングロードは草ボウボウで脇道や獣道も無く、降りるに降りれなかった。私を追い抜いたローディーは2人、それぞれ抜く前の声かけと丁寧にお辞儀して去って行った。やはりローディーは礼儀正しい。私もそうありたい。
やっと獣道を見つけて土手を降りれたと思ったら、今度は砂利道でさらに行き止まりになった。藪の中を手探りで渡り、更に交通量の多い国道をまたぎ、足元の悪い土手に再び戻った。なにをやっているんだか。
飛行場が近くにあるのか、飛行機が2機飛んでいる。1機はオーソドックスなタイプの白いグライダーでこちらに向かってグワンと飛んできたり、ガウ攻撃空母のようにゆっくりと旋回している。もう1機のほうは遠くで錐揉み飛行や急降下、急上昇をドップのように繰り返している。グライダーが向こうに行くと2機はかなり近づくので危なっかしい。もしも衝突したら大変な事故になるだろう。なんて心配しながら歩いて近づくと錐揉み飛行をしていた飛行機はラジコンだった。どうりで近づいてもなかなか大きく見えないワケだ。当然ラジコンと本物のグライダーなので飛んでる高度が違うので衝突するワケがない。
矢口明神というエリアで利根川は大きくカーブする。これを直線でショートカットしようと思いついた。川沿いのマンネリ風景からも脱出できるし、我ながらナイスなアイデアだと思った。しばらく工業地帯や下水処理場の脇を順調に歩いていたが、そろそろ土手に戻ろうかというタイミングで痛恨の通行止めを食う。
←まわり道→
と書いてはあるがそんな道は見当たらなかった。仕方なくさらに遠回りするハメになる。
途中で公園を見つけたが草ボウボウで休憩しようにも中に入れなかった。もう何十年と近所に子供などいないのだ。公園の柵のブロックで少し休んだ。
ここからが本当に辛かった。長豊街道(国道408号線・諭吉街道)という道を利根川と並行にひたすら北に歩く。陽射しもこの時がピーク。歩道には亀が干からびて死んでいたり、動物であったであろう毛のついた物体が干からびていたり、とにかく全てのモノが干からびていた。そして、私も。
予備で持っていた麦茶は残りあと1センチ。どうしても水分を補給しないとマズいのは、たまに脳内が揺れる感覚があるからだ。揺れていいのは湘南とロージアだけだ。
だが、そんな時にオアシスいやオエイシスが見えてきた。ENEOSの赤い看板だ。あそこまでたどり着けば給油はせずとも水ぐらい、自販機くらいは置いてあるだろう。いや、下手すりゃドトールなんぞもあるかもな。私は確認もせずにさっさと残りの麦茶を飲み干した。あるに決まってるという思い込み、陽炎の向こうには自分の家の近くのENEOSレベルを想像していたのだ。ブレンドのLサイズとウォーターサーバーでサーバーでお冷や2杯を一気飲みしてやろうなんて考えていた。だが、たどり着くと全然違っていた。高いコンクリの塀に囲まれ給油機が3台ぽつねんと佇むだけ。事務室もない。見たことのないほどミニマムなガソリンスタンドだった。
アムロの母親のように愕然としながら立ち尽くす。逆にENEOSが私の期待燃料を奪っていった。
そういえばこの時間、写真をビタ1枚も撮っていない。私の命がそれどころではないからだ。あの運動公園で麦茶を2本買っておけばよかった。そんな後悔を胸に再びよちよちと歩き始める。油切れなのか歩くたびにボスボロットのように股関節がギコギコ音を立てるので不快だ。
すると今度は蕎麦屋が現れた。腹はビタイチ減っていない。欲しいのは水だけだ。しかもちょっと無駄に混んでいる。おじちゃんとおばちゃんの夫婦が爪楊枝でシーシーしながら暖簾をくぐり出てきた。満足そうな、いや、そうでもなさそうな表情だ。
なんか街道はその先のほうも賑やかに旗が立っているし、ここはパスして次に行こう。そして、次に現れたのは本格派スリランカ料理の店、無理無理。だが、その次に現れた漬物屋の軒先に自販機があった。アクエリアスと麦茶をゲットした。助かった。
しかし、本当にしんどい。何もない国道を歩くので、休憩する場所がまるで無い。ここでリタイアして帰りたくなったが、コミュニティバスも日曜日は夕方まで来ない。途中のどの駅までも気絶するほど遠い。だって一番近い駅が今日のゴール地点の滑河駅なのだ。
ここで改めて時間と位置を確認した。現在13時10分。なぜなら17時に友人と地元の立ち飲み屋で待ち合わせをしているからだ。地元までおおよそ2時間かかると想定しても田舎の日曜ダイヤなので15時には滑河駅に到着しないと危ない。私は撮影よりもその後の呑みがメインなのだ。遅れるワケにはいかない。だが、まだ行程の半分を過ぎたあたり。要するに今までの倍あるということ。
気絶しそうになり、大声で叫びたくなった。
この機会に真剣に考えた。今はただ黙々と歩くだけなので色々考えた。本当に今後あと何回かこのエリアを撮り歩くには、手段を変えなくてはならない。もう無理ゲー。やはり折り畳み自転車の導入だろうか。ただ、自転車を使って撮影行する場合、目立つ景色にしか足を停めないので、距離は稼げても写真のクオリティやシャッター回数、撮れ高は極端に減るはずだ。熊谷での撮影はレンタサイクルで25km走って90枚しか撮影していない。では、自転車を使ってラクをして、どうやって写真のクオリティを上げたらいいのか。
撮影ポイントを決め、その都度自転車を停めて、そこから徒歩で移動しながら撮影するとか。ではそのポイントはどうやって決めるのか。5km範囲で自動的に停めてポイントにする。良さげな場所をあらかじめ調べてそこをポイントにして停める。だが、どこかに停めると必ずそのポイントに戻らなきゃならない。街道は一本道なので退屈しないか。あと、そもそも田舎には勝手に駐輪できる場所などほぼないのだ。これは意外かもしれないが、だだっ広い土地はあっても私有地だったり悪目立ちしたりでなかなか駐輪できら場所ってのは無いのである。
そもそもの話し、そんなことより自転車でカメラ機材担いで地元駅まで行って、折り畳んで輪行バッグに入れて電車で移動して駅着いて降りてカメラ出して輪行バッグしまって自転車乗って、ブレーキかけて自転車停めてカメラ構えてシャッター押してって面倒くさくないか。サイクリングメインにならないか。とりあえず一巡目は銚子街道を徒歩で終わらせて、二巡目は自転車で茨城側に行ってみようか。なんてぐるぐる考えながら歩いていたらやっと利根川に出た。
ここからは時間との勝負なのでスーパー堤防を一心不乱に歩くのみ。左足の親指の付け根にマメができているが、こんなの慣れたもんだ。構わず歩く歩く。途中で根木名川を渡る新川水門付近がヤバかった。土手も途切れ、側道も無い。国道357しか通っておらず、その国道には歩道もないのだ。大型ダンプカーが爆速で掠るなか、命からがらで通り土手に戻った。
この辺りは土手が一番高い位置にあり、見渡す限り周りには何もない。なのでゴール付近まで見えてしまう。恐らく遠ーくの米つぶぐらいのマンション辺りが滑河駅付近だろうと予想がつくが、とんでもなく遠い。まるで富士山目指して歩いているような感覚で、いつまで経っても近くにならない。
あと水門を3つ越えれば滑河駅だ。その水門の脇で必ず小休止することにした。足が限界4649なのでびっこを引いて歩いている。傷を負ったソルジャーのようだ。最後の水門のタイミングで脇道から土手を降り、滑河の町に入った。駅前だが何もなく、なんなら駅がどこかも分からなかった。感を頼りに線路の向こう側が改札口と予想して踏切を渡り、ぐるっと回ってほらごらんと駅舎についた。14時55分。駅舎には待合室があるのだが改札の外だった。そんな事もあるのかと思いながら入るともわっとした。なんとこのくそ暑いのにノーエアコンだった。時刻表を確認すると15時10分に来る。こんな田舎で15分しか待たないなんてエクセレント!さらに計算すると友人の待つ立ち飲み屋には16時45分に着くというグレイト!
前の座席にはこの片田舎に似つかわしくない、乙アリスのようなとんでも無いギャルが座っていた。
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