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玉造小劇店『お正月』 "大阪"と"日本"を詰め込んだあたたかいお芝居

 玉造小劇店の『お正月』を観た。わかぎゑふさんの舞台である。


 前回の『眠らぬ月の下僕』を観たところあまりにも私好みだったため、「いやもうこれ観に行くべきだろ」と悩む間もなくチケットを取った。

 演劇好きの友人Iも、わかぎさんのお芝居が好きだと言っていたため、二人で観に行った。


 この『お正月』は、玉造小劇店ではおよそ十五年ぶりの再演だという。百年以上もの時を、ひとつの家のお正月だけを切り取って描かれる。明治から始まり現在まで、たったの二時間で描ききる。


 もうこの表現方法はわかぎさんにしかできないんじゃないか、と思うくらい面白かった。

 とっかかりが「嫁の料理がまずい!」というところから始まり、ひたすらに美味しくないおせち料理を食べる。お正月の一日を切り取っているだけなのに、その時々の日本の動きが自然に、しっかりと伝わってくる。


 どこまでもあたたかいお芝居だった。やはりわかぎさんのお芝居が好きだ、と思った。


 貧乏士族の鈴木万太郎が嫁をもらうところから物語は始まる。

 万太郎の嫁・育子は、女らしいことをあまり教えられず育ったために、女らしいことが壊滅的なまま大人になってしまった。

 嫁入りして初めてのお正月で張り切っておせち料理を作ってみたはいいものの、万太郎の好物の高野豆腐すら破壊的にまずい。

 万太郎の弟・千太郎がなんとかしっかり嫁に言ってやるべきだ、と言うものの、万太郎は育子に強く出られず、「おいしいぞ」と言ってしまう。


 長い長い悲劇の始まりである。


 それから鈴木家の女はみんな料理ができなくなった。薄味のまずさから濃い味のまずさまで、あらゆるまずさが鈴木家のおせち料理を飾った。


 ご近所の茅野さんだけが救いである。茅野さんは鈴木家に毎年黒豆のおすそ分けをしてくれるのだが、それがもう本当においしい。

 しかしこの茅野さんも妙な家系で、茅野家の女性はみんな顔がそっくりなのだ。

 百年以上もずっと鈴木家に黒豆をおすそ分けしてくれる人として茅野さんが出てくるのだけれど、「茅野のおばあちゃん」だと思っていたらその娘さんだったり、お孫さんだったりする。顔は一緒なのに中身が全然違うので本当に面白い。


 何よりも思うのは、やはりわかぎさんはすごいな、ということだ。


 わかぎさんの演出がすごいことは言わずもがな、わかぎさんの持つ空気というものが私は好きだ。

 今回も、少し役者としても出ていたのだが、わかぎさんが出てきただけで舞台の空気が変わる。はきはきとした大阪弁、立ち居振る舞いの美しさ。わかぎさんが出ると、舞台が一気に華やぐように感じた。


 万太郎が死に、息子世代になり、孫世代になる。時代は流れ続けるし、日本も、鈴木家を取り巻く環境も大きく変化する。

 それでも鈴木家のお正月は明るかった。暗くなったとしても、その暗さの中に留まり続けることはなかった。

 いつだって万太郎の持つおおらかすぎるほどのおおらかさは受け継がれていたし、育子の残したまずい料理の伝統も味を変えつつ受け継がれていた。


 文明開化があって、戦争があって、三度の震災があった。嫌味なく楽しく笑って日本の近代史を学べるような、日本の、大阪の良さをぎゅっと集めた素晴らしい舞台だった。


『眠らぬ月の下僕』で喜久雄を演じていて好きになった、うえだひろしさんのサインをパンフレットにもらえたので、小躍りしながら帰った。


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