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自己紹介

人生の転落をきっかけに30を手前にして派遣を始めることになりました。

もちろん最初は本当に嫌だったのですが、銭がないと食っていけないので、渋々はじめました。

最初の頃は、派遣先、派遣元の派遣労働者に対しての温度感が分からず苦労しましたが、始めて数ヶ月経った頃から色々と見えてきました。

その頃から非正規労働者として次々現場に飛び出しては、山あり谷あり悔しい思いもしました。

通常派遣、紹介予定派遣、日雇い派遣、日々派遣、請負、単発、アルバイト、お金が稼げるなら、、、と来る日も来る日も情報誌、アルバイト、派遣登録を増やし、仕事を増やす為には労を惜しまず、なんでもやりました。

給料の未払い、パワハラ職場、風塵が飛んでて物理的に危険な職場、何かと適当すぎる職場、割りの良い職場、色々と引き当てました。

当時はただただお金のために必死で働いてましたが、今、振り返ってみると、もっと効率の良い働き方、割りの仕事があったと思います。

明らかに危険な現場もあれば、ほぼ座ってるだけの仕事もありまし、中には観光地に出向いてPRするだけのほぼ旅行案件もありました。

とにかく、日々やってくる案件メールをチラシのように睨めっこしては、野性の勘で良し悪しを見極めて、ポチ(応募)って折り返し連絡を待つ日々。

スケジュール帳にも案件が多すぎて、何が何だかわからなくなることもありました。

早朝、朝、昼、夕方と何個も何個も掛け持ちして、スケジュールを埋めることに必死になっていた時期もあります。

仕事の隙間時間には、同じような働き方をしてる仲間たちを見つけてきては、グループLINEなどで割りの良い仕事、やばい派遣先などの情報交換に明け暮れました。

気づけば自分の人生の中心が日雇い労働になっていました。

分刻みで次のシフトを入れ、割りの良い案件を求めて、どこまでも貪欲に日雇い道を邁進しました。

毎回メンバーが変わると不安という声もありますが、不安定な雇用の働き方は、その働き方の環境に慣れるまでが大変で、むしろ慣れると、自分の中に作った同じ台本を使って、一期一会に変わるメンバーと毎度ほぼ同じ会話しかしなくていいので、むしろ楽です。

ドラクエ、ポケモンなどに登場する街の住民Aのように、聞かれたことだけ、いつも通りに同じに答えれば良いのです。

雨の日も風の日も同じことを答え、毎度変わるメンバーに何気なく同じ話をして、ペットボトルのカルピスに3倍の水を足して、薄めた会話をひたすらするだけです。

仕事の内容は期待されるようなものはありません。その日雇った人ができるレベルの仕事です。そのため、身の危険があった現場以外は、どんな辛い現場でも、現地に行けば終わりといつも思っていました。

そして、現地に行けば、いつも通りの台本を頭から取り出して、脳のスイッチはほぼ切った状態で、二つ返事にハイ!と言うだけのことがほとんどでした。

仕切り屋、サボり魔、トイレ行って帰ってこない人、誇張話をする人…

それぞれにそれぞれの非正規労働事情があって、人間模様だけでも楽しめました。

突如、感染症現れた感染症のために、非正規労働(イベントスタッフ、設営撤去、店の売り子)などがなくなり、同時に失業者が増えたことで、案件の競争が激化したのを確認したので、ほぼほぼ撤退しました。

なので、今はほとんど辞めていますが、今でも欠かさずタウンワークを読み、派遣サイトに登録して求人を読んでます。

あと時々、日雇いなどは出没しています。

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