見出し画像

くすんだ青であっても、のはなし

同じ夢をよく見る。テニス部をやめて何年も経つのに、なぜか合宿に参加させてもらっている夢だ。やめたからには、というと語弊があるが、私は部活に対してそんなに熱心ではなく、やっぱり全然、うまくもなかった。ただでさえそんな状態で、数年のブランクがあれば、下手に決まっている。さらに、だいたいその時、私はテニスラケットを家に忘れていて、(忘れ物に厳しい部活だったので)必死に言い訳を考えている。これは、とっても象徴的な夢だなあと思う。

部活に入っているときの現実の私も、ずっと言い訳を考えていた。部活に熱心じゃないことへの、下手なことへの、勝つことに執着がないことへの、それから、部活を辞めないことへの言い訳を。

こんなにぐずぐずしているのは私だけだった。みんな一生懸命やるか、あるいはあっさりと辞めていった。私は、一生懸命とりくむことも、辞めたみんなほど部活を嫌いになることもできずに、練習に行ったり行かなかったりしながらずるずると続けていた。来年度は辞めると決めた春休みでさえ、部活に参加していた。顧問の先生に呼び出され、「辞めるって聞いたけどいつまでいるの?」というようなことを言われて、それでようやく、私はテニス部を辞めたのだった。

私の学校のテニス部は、特に規則が厳しくて、顧問のワンマン運営だった。毛色の特殊な部活として、学内では有名だった。部員の中にも、部の異色の体制に、疑問を持っていた人たちはいた。そんな感じだから、私も名将として有名な顧問とは最初から最後まで反りが合わなかったし、何人かを除いた部員へはいつまでも心を開けず、ダブルスペアの相手ともうまくやれでいなかったと思う。それでも、いくら思い返してもテニスそのものに対する暗い気持ちや記憶はないのだ。先輩のようになりたかった。

面倒な部員だったことには間違いなく、申し訳なかったと思っている。今入り直したら、もう少しちゃんと練習したのかなあ、とも思うが、当時の私としては、あれが、最大限の力を振り絞った青春だった。

この記事が参加している募集

部活の思い出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?