帽子屋

エッセイもどき。 文章と漫画とサンリオとカメラ。

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最近の記事

上映型小説?電子書籍もおもしろい ー『るん(笑)』読後感想ー

先日「ツイッターに(読書の)感想書いたりするの?」と聞かれた。咄嗟に、「そんなことするわけないじゃないですか」と答えたのだが、ご承知の通り嘘だし、今もまた懲りずに、こうしてエントリーを書いている。  酉島伝法作品を初めて読んだ。SF小説家ということで、本作品も、SF特有の正体を掴めない違和感を存分に味わうことができる。舞台は、一言でいうと、スピリチュアルが科学にとってかわった世界だ。ただし、もちろん、この一言で片付くほど、単純な舞台装置ではない。本作品は、三つの短編から構成

    • ここは砂漠ではなく、オアシスはどこにもないので、我々は生計を立てなければならない。

       書くことが習慣になっていた時、私にとって書くことは呼吸と同じだと思っていた。正確に「これは呼吸なのだ」という手触りがあった。それなのに、いつの間にか呼吸の仕方を忘れてしまった。  今の生活においては砂漠の湧き水のようだ。どこを探せばいいのかもわからない。時折の読書をするときの、溺れるような快感はもはや麻薬じみている。社会での評価は、ピエロとして笑わせようとしたことを、あたかも主人格として「真面目に」批評されているかのようで、上滑りだ。  トーべの言葉を思い返す。  日本で

      • 春になると柔らかくなるもの

        春になると柔らかくなるもの。キャベツ、太陽の光、雨の音。 雨の音がなにか心地のよいものに思えて、久しぶりにnoteを書きたいと思った。頭の中にしか存在しないバス停があって、そこにはいつも、静かで柔らかい雨が降っている。私は独りの時、そこに座って、耳の奥が雨の音で潤っていくのを感じながら、薄暗い空を眺めている。とても安心する場所だ。どこにも行かなくていいし、どこにも帰らなくていい。何しろバスは絶対に来ないし、移動するための傘もないのだから。今日の雨は、そのバス停に降る雨に似て

        • はやいとこ孤独と仲良くなっといたほうがいい気がするはなし

          寂しいから恋人が欲しい気持ちがわかる一方で、恋人にしか埋められない穴なんかはないんじゃないかという気もする。一人でいることはイコール孤独ではないからだ。ニアリイコールではあっても。 特に落ち込んでいるとき、一人でいることを堪難く感じることがある。そういう時に信頼できる人がいて、愉快に話して、ときには泣けたら少しマシになるだろう。そういうことをしていい関係の代表が恋人なんだろう。でも誰かと一緒にいるときに感じる孤独のほうが一人でいる寂しさより100万倍つらいことをわかっている

        上映型小説?電子書籍もおもしろい ー『るん(笑)』読後感想ー

        • ここは砂漠ではなく、オアシスはどこにもないので、我々は生計を立てなければならない。

        • 春になると柔らかくなるもの

        • はやいとこ孤独と仲良くなっといたほうがいい気がするはなし

          心のかたちを考えるはなし

          最近すごく疲れるな〜と思っていたので、本を読むようにしてました。この世のすべてが本に書いてあると思っているので、困った時は本、に限ります。小説じゃなくて、エッセイとか心理学の本とかです。これは小説好きの私にしては珍しかったんですが、落ち込んだときや悩んだときの私にはこっちのほうが合ってるようです。 小説と、小説以外の本の、今回のポイントだった大きな違いは、描かれている感情と自分の心の間の距離感でした。小説は感情移入してしまうので、小説内の感情と自分の心の距離はまさに紙一枚分

          心のかたちを考えるはなし

          まだフェミニストじゃない私のはなし

          はじめてのジェンダー論『はじめてのジェンダー論』加藤秀一著を買った。私はamazonで購入したが、メルカリをみたら出品された端から買われていた。社会的にジェンダーやフェミニズムへの関心が高まってる証拠だろうか。 この本は、私にとって正真正銘「はじめての」ジェンダーやフェミニズムについての本になる。一冊読んだところで、劇的に価値観が変わったり、世界が開けるわけはないが、勉学としての視点を持つ前の、私が今、フェミニズム的な話題が盛り上がるたびに考えることを、このタイミングで一度

          まだフェミニストじゃない私のはなし

          じきに死ぬ世界線での私達のはなし

          昨日寝る前に、江國香織の『ウエハースの椅子』を読んだから、今朝あんな夢をみたのかもしれない。 夢の中で、私は、じきに死ぬことが決まっていた。スッと死ぬのではなくて、死ぬ病気になることが決まっている。いつ発症するかは人それぞれで、発症したら治すことはできない。私は、まだだった。 同じように、病気になることが決まっている友人たちと、定期的に会っていた。会館のようであり、銭湯のようなところで、私達は久しぶりに再開した。ここでは玄関で靴を脱がなくてはいけない。私は、前に一緒にここ

          じきに死ぬ世界線での私達のはなし

          脳みそからよくなんか出るはなし

          会話しているとパッと我に返ることがある。一秒前とは明らかに違う、冷静な心が戻ってきて、じわじわと脳に血液がめぐるのがわかって、(またやっちゃった)と思う。 頭のどこかがカーッとなってる。「カーッと」というと、怒りの感情を想像するかもしれないけど、この「カーッと」は、喜怒哀楽の感情とは関連がない。激高してるわけでもなく、ただ雑談や、業務の説明を重ねているだけなのに、徐々に、徐々に、ボルテージが上がっていって、気がつくと、「カーッとなる」という表現がぴったりくるぐらい、話すこと

          脳みそからよくなんか出るはなし

          書きたいことがない方が幸せかもしれないはなし

          メンタルの調子が悪いときほど書きたくなる、文章ってそういうものだと思っている。言いたいことがない人は文章なんて書かない。思うところがあるから、文字にせずにいられないのだ。じゃあ文章を書かない人たちは、どうしているんだろう。

          書きたいことがない方が幸せかもしれないはなし

          くすんだ青であっても、のはなし

          同じ夢をよく見る。テニス部をやめて何年も経つのに、なぜか合宿に参加させてもらっている夢だ。やめたからには、というと語弊があるが、私は部活に対してそんなに熱心ではなく、やっぱり全然、うまくもなかった。ただでさえそんな状態で、数年のブランクがあれば、下手に決まっている。さらに、だいたいその時、私はテニスラケットを家に忘れていて、(忘れ物に厳しい部活だったので)必死に言い訳を考えている。これは、とっても象徴的な夢だなあと思う。 部活に入っているときの現実の私も、ずっと言い訳を考え

          くすんだ青であっても、のはなし

          私の高い建物に関する考えごとのはなし

          会議中、窓の外を見ていて、背の高い建物ってどうやって建てるんだろう、と思った。手元にあった資料に、「背の高い建物 建て方」と書いた。 急速に発展する国の映像でみた、頭の先の方だけ欠けたまま使われているたくさんの高層ビルを思い出す。国の発展に建築が追いつかないらしい。増築できるように、わざと途中までしか作っていないという。 例えばあんな途中からビルを建てようとした時、どうするんだろう。空に伸びてる鉄骨と鉄骨の間に、壁を作ってやらなくちゃならないでしょう。壁は、どうやって作る

          私の高い建物に関する考えごとのはなし

          読書のその後のはなし 逃げ出したい夜に

          『空白を満たしなさい』本、好きだけれど、読んですぐにスッと胸に落ちてくるものばかりではない。なんだか引っかかるなあと記憶のはしにとめていた箇所が、ある日突然手触りをもって現われて、なるほどこういうことかと思うこともある。 ちょっと前に平野啓一郎の『空白を満たしなさい』を読んだ。自殺をした主人公はある日突然生き還る。自分が自殺した理由をすっぽり忘れている。妻と子のいる幸せな暮らしだったはずだ。なぜ自分は死んでしまったのだろう?主人公はその理由を探す。その中で出会うのが、『分人

          読書のその後のはなし 逃げ出したい夜に

          暮らしはつまらないことをずっと続けていくということのはなし

          コーヒーを自分で淹れるようになった。今までは、一日に二本以上缶コーヒーを買う生活だったが、今では一日大体2杯分のコーヒーを、ハンドドリップで淹れている。 コーヒーはずっと前から好きだけれど、豆や淹れ方による味の違いを楽しめるほど、造詣が深いわけではない。まあ、そんなのはこれからでいい。コーヒーは大人の飲み物だし、私は最近やっと大人になったばかりだ。 好きなものの手入れはそんなに苦ではなく、コーヒー周りの機器の手入れはすぐにやるのだが、それ以外のものを片付けることができない

          暮らしはつまらないことをずっと続けていくということのはなし

          おひさまのにおいのはなし

          布団を洗濯して外に干すと、あったかくてふわふわになる。こまかい綿と綿の間に、いっぱいおひさまの光を蓄えたみたいだ。 取り込んだばかりの布団に寝転がっていると、いつの間にか自然とまぶたが降りてしまう。干し草で練るってこんな感じなんだろうなと、思う。 でも、ことにおいに関しては、洗う前のほうがいい。洗濯してから数日経った布団やシーツは、若干クタッとしている。柔らかくて、肌なじみがいい。布団を顔までかぶったときの、ほん、と香る匂いは、多分自分の体のものだ。シャンプーの匂いかもし

          おひさまのにおいのはなし

          キュートでハッピーな女性版おっさんずラブがみたいはなし

          おっさんずラブinthesky、盛り上がってきましたね 私は山崎育三郎さんが大好きなので、第六話で登場するのを待ち望んでいました。途中参戦だから、どうやって絡んでくるんだろうと思っていたら、なんだかかなり重要な役どころのようで。今から来週を楽しみにしています。 ところで、おっさんずラブの女性版はやらないんだろうか。 この自己紹介が必要かどうかわかりませんが、私はNLもGLもBLも全部同じように等しく好きです。「全部同じように等しく好き」というのは例えば、簡単に言うと、N

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          女の子の魔法の話

          はじめの記憶は七五三。 着物にはたぶんすんなり袖を通した。髪もおとなしく結ってもらった。コンプレックスの、エラの張った四角い顔も、無防備に晒していた。たぶん。よくも悪くも記憶にないから。 口紅のことだけは、いやによく覚えている。赤いベタベタしたものを唇に塗られる。もともとぽってりした唇が、鏡越しに余計に腫れ上がって見えた。クリッとしたいかにも子供然とした顔立ちに、異様に赤い紅はちぐはぐに見えた。私は幼かったが、はっきり自覚した。 くちべに、すきじゃないな。 成人を超え

          女の子の魔法の話