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映画「グッド・ウィル・ハンティング」に思う

 ささやかに薦めたい作品です。言葉が邪魔をする、いつものこと。
「おすすめ名作映画」というタグを見つける。
 休日に見返すのも良い。深夜にも。ドライブは好きかい?
 ある程度、世に知れ渡っている作品だと思うので、(例によって)映画にまつわる時代の匂い、個人的な経験を文章にします。

 2000年前後を10代として過ごした。懐かしきY2K。

 地方で過ごし、インターネットは普及していたものの、現在のように完全に商業化、もしくはサブスク化されてはいなかった。企業のホームページも貧粗だったし、ネットはまだ実社会に浸透していなかった。
 2ちゃんねるはアングラの匂いがしたし、夕方、それを見る僕は道を外した気がしていた。大きな事件もあったし。Youtube はないから、海外のバンドのウェブサイトで、カクカクしたミュージックビデオを見ていた。
 それでも新たな文化を求めていた。目に入るもの、触れるもの全部が貴重だったんだ。

 兄がTSUTAYAでビデオテープを借りてきた。アカデミー作品だと。キャスト二人で脚本賞を受賞している。その時、スピルバーグ位しか名前を知らなかった。映画といえば連想するのは、アクションといった娯楽作品や、最後に必ず口づけを交わすラブストーリーだった。それも全てイメージの域を出ることはない。大人の世界は遠くにあった。

 そうだ、ある種のリアルさがこの作品にある。
 皆が生きている。友情がある。自らを脅かされ、それでも相手との関係を保とうとする人がいる。自らと戦い、和解する人がいる。交流し、離れていく、近づく。影も光も描く魅力的な登場人物。端役の数学教授が今、自然と目に浮かぶ。肩書きではなく凄い人だったと気づく。

 もしくは、”苦しみ”みたいな事柄が主題にあるだろう。やや図式的に言うと失うことへの苦悩、畏れ。喪失を避けるため、得ることさえしない青年と、足踏むかつての青年。人生はこのままでもいい、のだろうか。友人たちは世の中に戯れ、彼を支え、送り出す。

 当時、僕は未熟ながらの不器用な恋をした。言葉にすると恥ずかしいが、後の自分を形成した体験だった。余波は今も続く。だからこそ、ウィル・ハンティングに半ば過剰に感情移入しさえする。似ていた部分は、実は少なくても問題ではなかった。

 13歳。迷いと積もる苦しみ。割り切れることなんてない。シンプルに生きたかった。だが言葉は存在を縛った。
 だけど、自分に相応しい人なんて良くも悪くもどこにもいなくて、恋人ごっこなんか本当はしたくない。彼女に「お前は恋に恋しているんだろ?」と言えなくて、けど強く思っていて、自分にとってリアルなのは性欲と侮蔑心と恐れで、つまり、時を経て懐古する。”自分には何もできないだろう”と実感していた。
 苦悩を碇シンジ君みたいに呟く。往時、彼をまだ近くに感じずとも知っていた。また別の話だった。

 部屋でうずくまり、声さえ届かない。失恋だけではない。世の仕組みを全て見抜いてしまったからではない。もう誰にも触れられない。その事実は人生で何を意味するだろう。今は当時を翻訳した。自分勝手な解釈だ。

 でも、傷心の僕を救ってくれたのはこの映画だった。
 繰り返し、出会った。
 今なら言える。
 望まなければ強くいられる。
 だが北上しろ、と。

 マット・デイモンが演じる主人公の青年(作中で21才になる。そう、紛いもなく青春物語だ)は特徴的な性格、人間性を有する。あらすじやキャラクターの説明なんかは実際、僕では上手くできそうにない。

 変わらない日常を過ごすしかなくても、どこかに今向かうと感じられる。濃密な人間関係を経験せずとも、それは確かにあった。
 特に一人で世界を開こうと思う勇者と愚者に。知的好奇心を持ち、探求心やプライドがある弱き人。優しさ。保有するそれらが、必ずしも人生や恋愛で効力を発揮しないと気づいた瞬間と、かつての風景に。
 ただ、人を知りたい人へ。
 おすすめの映画です。

 

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