座間9人殺害事件裁判を傍聴して〜あとがきのあとがき

先日座間9人殺害事件裁判を傍聴した時の話を、まとめた。

今回はあとがきのあとがき、という感じで裁判傍聴の内容とは直接関係ないけれど、まとめを書き終えてから、少し経った自分の事を書きたいと思う。

わざわざ書く内容じゃないかもしれないけど、あまりにまとめようのない事件の裁判の傍聴の事を書き終えた後に起こった、自分の気持ちの変化について書くのは、大事なように思った。

座間9人殺害事件裁判を傍聴して:まとめ

裁判の傍聴したのも人生で初めてで、衝撃の内容だったので、終わってからすぐ書き終えようと思って、かなり急ぎで書き終えた。

急いではいたけど、私はノートもペンも持ち込んで傍聴しなかったから、頭にこびついた自分の記憶と、世間に出ているニュースを見比べながら、間違いがないように書いた。

ただ、書き終えるまでは何か気が張ってたのかもしれないし、事実とは別に自分が感じた事をなるべく齟齬なく伝えたいと思っていたので、気持ち的なショックをあまり感じ取っていなかった。感じ取らないようにしていたのかもしれない。

・書き終えた後に起こった変化

一気に③、④、⑤と計4時間くらいで書き終えて、私はいつも通り立川から電車に乗って帰った。

そろそろ夕方が訪れるかな、というくらいの時間で、陽が沈み始めていた。
駅まで歩く間、周りには子供連れの家族や、老夫婦や、学生の集団がいた。

私は一気に書き終えた疲れも引きずりながら、ごはんを食べていなかった事を思い出して、定食屋に入った。

ちなみに、裁判を傍聴してからは肉を食べられない心境になっている。
別にベジタリアンでもないのだけど、そこは裁判の内容が身体に影響しているんだと思う。

魚なら食べられるかな、と思い魚の定食を頼んで食べた。魚を食べる時も別の事を考えながら食べる。

その後また帰路について、無事に家に帰宅した。
いつもどおり飼い猫の世話をして、飼い猫と一緒に少し横になった。


すると、結構突然、憤りでもなくて、怒りでもなくて、辛さでもなくて、複雑な感情が自分の中に溢れた。

被告の事はもちろん理解したくないし、できない存在だけど、
なんでなんだ、なんであんなに堂々と自分本位でいられるんだ、
という感情が、まず最初に湧いた。

やった事に対しての、堂々さの意味がわからない。
どこまでも自分本位。どこまでも自分ファースト。
逮捕される前も、逮捕された後も、公判中も、おそらくいつも。

羨ましいとか、悔しいとかではもちろんなくて、
一番近い感情としては、怒りなんだけど、怒りの感情をあの被告に使っているのかと思うと、それも癪。

多分堰き止めていた感情が溢れ出した。

確かに、SNSで”死にたい”と発信した被害者も絶対的に全く落ち度がなかったわけではない、モンスターに対してSNSという公の場で隙を見せてしまっていた。そして、被告宅へ行ってしまったのだ。被告は、被害者を拉致をしたわけではない。

とはいえ、今日も立川で見た普通に暮らしていた、子供連れの家族や、老夫婦や、学生の集団と大きく変わり無い人達だったはず。
自分の隙を見せる人はいなかったかもしれない。
私は被害者の人と知り合いだったわけではないから、何もする事はできなかったのは仕方ない事。

だけど。

そのどっかでその最悪な化学反応が起きないようになった方法はなかったんだろうか。何かの選択が違っていたら、そうならなかったんじゃないか、と怒りに加えて悲しさが気持ちの中に広がっていった。

自分の知らないところで起きた事件だし、全部が全部その時その時のそれぞれの人の選択肢を経て、事件の結末になっているんだけど。

それでも、殺されて解体される被害者が9人にも達せるくらい、最悪の方向へ進む事なんてあるの?と。

やりきれない。
怒りと、悲しさと、やりきれなさで私の胸はいっぱいになった。

横になったまま、その気持ちを持て余していた。

・突然思いつく、唯一対抗できる方法

そんな気持ちが身体にも蔓延した時に、突然気づいた。

被告はもう、できる事がとても少ない。

被告にはもう、宅配ピザを頼む事はおそらくできない。
被告にはもう、友達と気軽に話す事はおそらくできない。
被告にはもう、紅葉を見る事はおそらくできない。
被告にはもう、旅行に行く事はおそらくできない。
被告にはもう、家族とみかんを食べて正月を迎える事はおそらくできない。
被告にはもう、ライブに行って大好きな音楽を聴く事はおそらくできない。
被告にはもう、誰かと温かい鍋を囲んでごはんを食べる事はおそらくできない。


あんなに自分本位で、自分ファーストで生きてきて、法廷でも自分勝手に、自分だけを大切に生きてきている被告にできた事は、普通に考えると、とてもイレギュラーで残酷で残忍で理解しがたいくらい特異な事だ。被告にとっては普通の事でも。

最後の被害者のIさんのお兄さんの行動がきっかけにならなくたって、その自分本位・自分ファーストに抗えなかった被告は、遠くない未来に捕まっていたと思う程に。

私は人生においてあまりに強烈な体験をした事で、被告からの世界をベースに物事を考えてしまっていたけど、私たちには被告がもうおそらく二度と経験できないような、想像ができないくらい多幸な事や多幸な人生を選ぶ選択肢がある。

今回の事件で被害者になってしまったような方達にだって、同じ事が言える。

SNSに自殺希望について書く労力を持って、ピザを頼める。
SNSに自殺希望について書く労力を持って、家族や友達にメールできる。
SNSに自殺希望について書く労力を持って、旅行の予約だってできる。
SNSに自殺希望について書く労力を持って、追い炊きできる。
SNSに自殺希望について書く労力を持って、ネットショッピングだってできる。

被告がもうこの先おそらく二度とできないような事を、たくさんできる。

それは、これから被告のようなモンスターの餌食になりそうな人にも、普通に暮らしている人にも言える。
実際被告は、自殺希望をSNSに書き込んだ弱さの隙につけ込んだ。

つけ込む隙を、その一瞬でも与えなければいいのだ。
つけ込む隙ができてしまう環境の人もいるかもしれないが、日本は恵まれた環境だから無料で楽しめる事だってたくさんある。

つけ込む隙を、自分で埋める。
これが被告のようなモンスターに対抗できる、最大の方法のように思った。

そして、さっきからピザピザ言っているが、お察しの通り私はこれを思いついてからすぐに、宅配ピザを頼んだ。

自分に弱さの隙が生まれたわけではないと思うけど、これからこの幸せを選べない被告への、勝手なあてつけだ。

一人暮らしなのに、宅配ピザ。
いいじゃないか、残したってレンジでチンしてまた食べる幸せが私にはある。


隙を埋める楽しさも術もたくさん知っているし、これからもたくさん知ろう。

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