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新鮮なベランダ
新居のベランダが広くて好きだ。
5階に住んでいるから、まあまあ高い。
よく地面を見下ろしては、差し迫る鮮やかな本能的恐怖を感じている。
私はここから飛び降りることができない。
13の時に「死にたい」と思ってから、早10年が経とうとしている。
人生はささやかな絶望でできている。
希望なんてのは、夏の夜の夢で、だいたい起きたら消えている。
こちらの記事で紹介した友人と、最近歩幅が合わなくなってきた。
十年の仲で、最愛で、家族よりも上位存在だった彼女は、あまりに呆気なく、私の希望ではなくなってしまった。
神様、どうか。
私の、大事な大事な神様を、返してください。
ここでしんどいことは2つあって。
1つめは、誰よりも私を助けようとしてくれた彼女が、私の助けを打ち返したこと。
思わず、「話さなければ良かった」と漏らしてしまった。
私も大抵、最低な人間である。
2つめは、自分自身「好かれる側」の振る舞いをしていたことが、浮き彫りになってしまったこと。
結局、私の「好き」とか「愛してる」とかは、彼女がくれた同じ言葉に返事をしていたに過ぎなかった。
言葉全部が嘘だったわけではないが、その言葉に胡座をかいていたのは事実である。
その上で彼女に期待して、勝手に失望したのだ。
最近気がついたけど、私は余裕がない時、人に求めるハードルが高い。
普段なら、大抵のことは許すことができるし、怒りもしない。
彼女に連絡する時の大半は余裕のない時だ。
だから私は彼女に過剰な期待をしている。いつも。
申し訳なかった。神にも懺悔しようと思っている。
彼女が実質的に別の何かになってしまったことについては、もう不可逆なので諦めるしかない。
人間は変わる。
時間は一方向にしか進まず、止めることはできない。
彼女との口約束の話をしよう。
彼女が最近「死ぬ時は呼んでね」とよく言う。
ではそのように、と約束できるほど、私は彼女の命を軽くみてはいない。
そう決意したとき、彼女に礼くらいは言うだろうけども、その場に彼女を連れ出すことはしたくないと思う。
例え、そのあと彼女が地獄を見るとしても。
生きようね、なんて全部嘘だよ。
戻ろうね、友達に。
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