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世界一愛してる友人へ

今のいままでこの関係を言葉にしようと、Googleをサーフィンしまくったが結局徒労に終わった。
特別な友達って誰にでもいるわけではないし、私と彼女の文脈が稀有でありすぎるのだろう、似た例が見つからない。
ならば仕方ない、もう自分で言葉を見つけるしかない。

私は彼女ともう10年目の付き合いになる。
出会ったのは10年前の春、入学したての頃、初めて座った席、隣にいたのが彼女だった。
私は右利きで右側に、彼女は左利きで左側に座っていた。
腕が当たらなくて良いと彼女が話していたのを覚えている。

彼女は私のことが好きだった、私も彼女が好きだった。
当時は、仲良しの友達の間でまるで挨拶のように軽々しく「好き」と言い合っていたので特別なことではなかった。
少なくとも私は他の友人とも言い合ってたわけだから、そういう文化だったと認識している。
それがいつのまにか「好き」ではなく「愛してる」に変わっていった。
いつ?分からない。
互いに悩みを打ち明け、誰も知らないことを吐き出して共有している間に、とっくに「大切」になっていた。

中学生の〈私〉も、高校生の〈私〉も大好きなので、数学的帰納法で、幼稚園生の〈私〉も小学生の〈私〉も、大人の〈私〉も大好きと言うことになります。
高校時代もらった手紙より

恥ずかしいからあまり人には話したことがないが、彼女は私をしばしば「天使」や「女神」に例えた。
彼女はいつも私を褒めてくれる。
可愛いとか、優しいとか、云々。
褒めてくれたところは無限にある、人格に始まり、容姿のことから、果ては存在全てまで。
それでも彼女は「自分の語彙が足りない」と言った。
言い表せない良いところが沢山あるが、ただの人間である自分には表現し尽くせないそうだ。
対して綺麗でもない筆跡まで褒めてくれるところを見ると、ほんとに特別なフィルターがかかって見えてるんだろうと思う。
最近聞いたが、私が8.9年前にメモに「メソポタミア」と書いたもの(ゴミ)を捨てようとした時に彼女が欲しくて奪った(って言ってたけど私の記憶には全くない)のをいまだに手元に置いてるらしい。
シンプルに捨ててほしい。

生まれてきてくれて本当にありがとう。
今まで一回も死なないでくれてありがとう。
喋ってくれて、笑ってくれて、泣いてくれてありがとう。
高校時代もらった手紙より

彼女はバイ(いわゆる同性も異性も好きになれる人)だ。それは大昔から知っている、基本的に男と付き合っているのも知っている。
今までもお互い恋人が何人もいたし、互いにそれを知っていた。
彼女が多少私を特別に思ってくれているのはなんとなく感じていたが、それが初めて明確に現れたのは卒業してからのことだった。
2人で話していた時、当時付き合っていた彼氏の話題になり、ふと彼女が「好きになった女の子のことは忘れないよ」と私の方を見て言った。「もう(彼氏がいること)知ってるから(大丈夫)。普通に幸せになってほしい」とも付け加えられた。
幾重にも繰り返された「好き」の中身が思ってるよりずっと真実に近いものだったのだと、このとき初めて気がついた。
おそらくこのとき私は何も言わないうちに彼女を振ったことになっている、それさえも後で気がついた。
彼女の好意と私の好意の質を比べるのはナンセンスなのでしないが、私もこのとき「彼氏とその子のどっちかしか選べないならその子を選ぶ」くらいには1番大切であった。
彼女にもそれを話したりした。
わりと残酷な人間だったのではないか、と後から思う。
叶わない相手に特別だと言われ続けるなんて、この上ない呪いだ。
でも付き合えば終わりがあるし、特別と引き換えに永遠を失うことを明確に認識していたから、私は彼女と付き合うことはできなかった。
死して永遠の愛を望むくらいには、私の最愛に対する考えは揺蕩うもので、それは今もそうだ。体裁上、情けない、とは言っておきたい。強くないことの裏返しであると理解している。

恋とかそんなんじゃない次元にいる。
愛?そんな簡単な一文字じゃなくて、他の人の恋愛話聞いててもなんか違うな…って思う。
大学時代もらった手紙より

それからその彼氏とは別れ、他にも何人か付き合ったが、結局私は彼女以上に大切に思える人間とは出会えなかった。
そもそもそんな人間いないのかもしれない。
恋人には彼女の存在を話していた、暗に「恋人が第一優先ではない」と伝えようとしていた。
たぶん上手く伝わってはいなかった、友達を大事にする人なんだ、という認識がせいぜいだと思う。
彼女とは相変わらず文通と年に2.3回の遊びを挟みながら関係を保っていた。
彼女は私を誘うことは殆どないので、9割私が誘っている。
忘れられたくなくて、友達でいたくて、誘い続けていた。
2人で桜を見に行ったり、海辺で貝殻を拾ったりした。
夏にはもう1人誘って3人で花火をした。
ずっと観たいと言っていた映画を見に行った。
大学受験の時は1年会わなかったが、忘れて欲しくなくて春に2つセットの(確か金と銀の)指輪をあげて、片方を「また来年返すから預かってて良い?」と聞いて貰った。
彼女は「いいよ」と笑ってくれた。
わりと忘れっぽい彼女の性格もあり、おそらく忘れられてるんじゃないか(細い指輪だったので失くす可能性もある)と思いながら受験に励んでいたが、次の春再会すると彼女の手にはちゃんと指輪があった。ちょっとはしゃいだ。
預かっていた片方は無事返却され、晴れて大学生になった。

たくさん時間をくれてありがとう。
これからもずっと愛してしまうんでしょう。
好きだもの!
大学時代もらった手紙より

ややありつつ、誕生日にはお祝いのメッセージを送ったり、何でもない日にプレゼントを送ったりした。
彼女は忘れっぽいが私の誕生日は大体覚えており当日か、数日前に連絡をくれて祝ってくれる。
「生まれてきてくれてありがとう」と言うのは彼女くらいだが、私が聞いてきた言葉の中で上位に嬉しい言葉だった。

いやでも本当に、〈私〉がいない地球に興味ないっていうか、夏休みのない8月どころじゃないっていうか。
大学時代もらった手紙より 

しかし段々と、夜明けの空が白んでいくように、彼女からの愛が薄くなっていっているかのような感覚がしていた。
でもそれは大きな勘違いだった。
最近もらった彼女の手紙には、便箋12枚にわたり私への惜しみない愛が綴られていた。
大学で演劇部に所属して、私のことを考えて十数本の脚本を書いたこと。
いつも私が頭の隅にいること。
彼女の中で1番の席に座るのは私であること。
Twitterで私のことについてしばしば呟いていること。
それだけでは飽き足らず友達に話していること。
拗らせてんね、と言われること。
途方もない気持ち。
私たちは毎日連絡を取るわけでもない。姿を見るのも年に数回だけ。
私が思うよりずっと、彼女は私のことが好きらしかった。
私の人の愛し方と、彼女の人の愛し方は違うと思う。同質ではない。
それでも少しだけ理解できた。
彼女は彼女の世界の中で、ずっと私と生きてくれていた。
上で何個か引用した手紙の中にも、普通なら友達から言われたら躊躇するような言葉があったが、私は全く幸せにしか思えなかった。
これまでの2人の間で作り上げてきた時間が、背景が、文脈が、言葉全てを本物にする。

〈私〉はどこへでも飛べるよ。
だってもう羽は生えてるんだから。
高校時代もらった手紙より

手紙は詩的な表現が多い。
どちらかというと私に引っ張られているのだと思う。私がこう言う文章を好んで書いていたからだ。
彼女も昔は手紙が苦手で、上手く書けないから便箋一枚が限界だったのに、いつの間にか私より書くようになった。
どころか演劇の脚本まで手掛けているのだから、人間の成長とは恐ろしい。

一緒に生きてくれてありがとう。
私が送った手紙より

人に愛されると言うことは簡単なことではない。
誰かを好きでい続けることは時が経つほど難しくなる。
最高な君も簡単に死んでしまう。
だから、愛は伝えなければならないと思っている。
そのあと消えてしまっても、愛があった事実は残り続ける。
それはないより、ある方がずっと良い。

さて、最後に。
私は彼女のいる世界でどうやって生きていこうか、まだ思考の段階にいる。
この先、結婚して、子どもが生まれて、彼女をどうやって大切にしていけるだろう。
晴れ姿は彼女に1番に見てほしいけれど、そんなことができるだろうか。
過ぎていき、変わっていく生活の中で、彼女をどうやって特別にしていけるのだろう。
まだ分からない。
上手くできなかったら悲しいから、私の人生は早めに切り上げたいとさえ思う。
死して永遠を手に入れたいと思ってしまうくらいには、私は今居心地が良い。
否応なく時間は流れる。
いつまで同じでいられるかの方が問題かもしれないが、私は不思議と自分のことも彼女のことも信じているから、表面上の距離が振れることがあれど、心の距離は変わらないと思っている。
私たちは息を吐き終わるまで、互いのことを覚えている。

天国ってどんなところだと思う?
晴れてて、綺麗な海があって、花が咲いてて…花粉飛んでないといいね。
そんなところでまた探すから、いつか会おう。
2人で羽で遊ぼうね。
私が送った手紙より

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