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ゲイリブで何故(どうして)婚姻の平等を訴えてきたのか!

・Stonewall後に始まったゲイ解放運動

今年は『Stonewallの暴動』から50年の節目の年になります。暴動が起きた根本的な理由は『日常的に行われるドラァグ、トランス、ハスラーなどへの暴力』『ゲイ(LGBTQ+)を排除しようとする社会』『法の執行として、度重なる嫌がらせをする警察』そう言ったすべての事に対する鬱憤が蓄積されていたことです。

そして、3日3晩の暴動の末、警察という社会・行政の嫌がらせに抵抗した事を切っ掛けに『もう、黙っていられない!』と声を上げるようになっていきます。

そして次のようなことを訴えるようになります。

・アナルセックスなどを禁止するソドミー法の撤廃
・異性装を禁止する反異性装に関する法律の撤廃
・雇用差別の撤廃
・ゲイバーやコミュニティスペースなどLGBTQ+が集まる場所に対する警察の嫌がらせの禁止
・ゲイ(LGBTQ+)の非病理化

そして、これらはゲイ(LGBTQ+)の人権擁護と平等の訴えとして広がり始めます。

Stonewallの暴動から1年後、当時ミネソタ大学の大学生だったリチャードJJベイカーとマイケル マッコネルの男性カップルが婚姻許可の申請を行ったのですが拒否されてしまいます。そして、2人は『ミネソタ州では同性婚を否定していない』とこの受付担当者を訴えるのですが、州の最高裁判所で棄却されてしまいます。

StoneWallから1年後、クリストファーストリート解放パレードと銘打った第一回のNYCプライドパレードが開催され、ゲイプライドと名付けられたLGBTQ+の人権活動が本格化して、このムーブメントはアメリカのみならず世界中へと波及していきます。

この運動に対するバックラッシュも激しく、1973年のメリーランド州を皮切りに1994年まで全米全ての州で『同性婚を禁止する法律』が作られてしまうといったこともありましたが、世界的なゲイプライドの声はどんどん大きくなっていくのです。

1979年にオランダで同性カップルの事実婚を認める法律ができ、いよいよ同性カップルの社会的認知が高まっていき、以後世界各地で同性カップルの婚姻について本格的に語られる様になっていきました。

・求めているのは人権と平等

ゲイプライドの活動は21世紀になり世界的にも『人権』の問題であると認知され、そして、国連の人権理事会において『性的指向と性同一性に関わる国際人権法の適用に関する原則』(通称 ジョグジャカルタ原則)が承認されます。(重要な事ですが、この時に日本は国連人権理事会の理事国の1つであり、日本もこの原則の承認する旨投票しています)

ジョグジャカルタ原則のかく原則に、国や地域に於ける法のあり方への言及もされていますが、基本的なことは前文の最初に語られています。

『性的指向並びに性同一性に関連して、我々、国際人権法専門家会議一同は、万人は尊厳と権利において自由で平等であり、性別、国籍、人種、皮膚の色、言語、宗教、政治的またはその他の意見、民族的または社会的出身、財産、出生、あるいはその他の身分によって差別されることなく人権を享受する権利があることを再確認する。…ジョグジャカルタ原則前文より』

短く言えばLGBTQ+であっても、社会的に差別されたり不利益・不平等な立場になってはならないと言ったところです。

そして、婚姻の平等の訴えはまさに『差別されることなく人権を享受する権利』を実現するための1つであり、半世紀の訴えの声がやっと日本にも届いてきたという状況にほかありません。

・同性婚否定派な人達の意見について

ちなみに、今回の同性婚一斉提訴の報道を受けて、かなりの人が『同性婚などを求めなくても、事実婚や養子縁組などで対処できるじゃないか!』との声を上げていて、さらに政府関係者は『伝統的家族観が崩壊する』といった声を上げています。

まず、事実婚や養子縁組で得られない部分がとても重要であり、それは同性カップルの社会的認知の話です。

異性愛カップルであれば、年齢条件等を満たしていれば簡単に婚姻ができ、お互いの同意があれば簡単に離婚もできます。そして、この婚姻の考えが常識化しているため、異性愛カップルが『パートナーです』と言えば、例えその2人が婚姻していなくても社会は事実婚を含む婚姻関係であると認知してくれる訳です。

ところが、同性カップルの場合『パートナーです』と言っただけでは社会的認知は得られず、さらに、何かしらの証明を得るための行動をしないと、異性カップルであればもっと簡単に得られる立場でも、同性カップルでは多くの手順を踏まなければならず、それをしたとしても社会的な『カップル』としての認知は容易に得られないのです。

つまり、同性婚を求めているのは単純に『婚姻の平等』を求めているだけでなく、婚姻の平等があるという社会状況を求めているのであって、それにより同性カップルが異性カップルと平等である社会的な立場が得られる、逆にいえばそこが達成されなければ、社会的平等が得られないという話なのです。

さて『伝統的な家族観の崩壊』な部分ですが、伝統的な家族観とは何なのでしょう?日本が西洋の法体系を取り入れた明治以後、当然それ以前も同性カップルは存在し、その人達もまた『伝統的家族』の中のあり方の1つです。

何か大きく勘違いされていると思うのですが『突然、同性カップルが出現した!』なんてことはありません。ずっと私達はいるのです。当たり前ですが家族観は法で縛られるものではなく、また、社会は否応なく変化していきます。例えば今サザエさんの様な家族が日本にどれだけあると言うのでしょう?

日本は黒船の来航により大きく世界観が替わり、さらに、敗戦によりその価値観を大きく変化させてきました。

日本はサンフランシスコ講和条約に於いて占領下から主権を復権したわけですがこの条約で『日本国としては、国際連合への加盟を申請し且つあらゆる場合に国際連合憲章の原則を遵守し、世界人権宣言の目的を実現するために努力し~』と『世界人権宣言作ったから、ちゃんと人権を擁護するんだぞ!』と念を押されているわけで『伝統が~』などと言っている場合じゃないのです。

・人権と平等を!

前述したとおり、同性婚の訴えはLGBTQ+が声を上げた中での象徴的なものではあるものの、そのなかの1つを取り上げているにすぎません。求めているのは性的指向、性自認のありようによって差別されない社会です。そして、それらを差別しなくても、本来社会はなんら困ることはありません。現に多くの国でそれらの差別の撤廃をしようと、社会システムを変えているのですから。


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