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東京レインボープライドの最低な回答についての考察

クラブイベントの問題に関して東京レインボープライドに対する要望書が提出され、私もその主旨に賛同するむね名前を連ねました。


そして、東京レインボープライドから以下の回答がもたらされました。

・正直、残念としか言い様がない。

さて、この回答を見たときのガッカリ感は多くの人が共有してくれましたが、大人の事情で回答を得たことで今回はおしまいとしています。

しかし、それとは別に、この回答の何が問題であるのか?をキチント書き留めておく必要があると思い、このトピックを書いています。

そこで、回答の問題点を改めて指摘しておきます。

まず、冒頭の部分。

『東京レインボープライドは、性別や性自認、性指向などを理由とするいかなる種類の差別も容認するものではありません。』

一見、まともそうな事を言っていますが、たとえば「差別をされている人の見た目が理由であればその差別は、性自認や性指向を理由としていないので問題がありません」となってしまいます。東京レインボープライドは、性別や性自認、性指向などを理由としなければどーでも良いです!と言っているに等しいわけで、何故こうなってしまうのか?といえば、端的に「あらゆる差別に反対し、差別する者に抵抗します」とすれば、こんな事にはならないのに、できるだけ表現を軟らかくしようとして差別に対する姿勢がこの文節で現れてしまったということでは無いでしょうか?

そして、この文節に続く文言でトドメを刺します。

『貴団体が指摘するトランスジェンダーの女性への差別や偏見の問題は、LGBTQ+コミュニティ全体、ひいては、社会全体で考えていくべき大きな問題だと考えて居ます』

東京レインボープライドは学者か何かか?プライドを持たない団体らしい文言で、当該パレードの基礎となったNYCプライドは、ゲイパワー運動を元にしていて、非犯罪化、非病理化、反差別を訴える行動だったわけですが「社会全体で考えて下さい」なんて言うことはありません。

私は今年の東京レインボープライドで次のプラカードを掲げて会場内を歩いていました。

これは、度々トランス女性の在り方を議論しようとする人達への抵抗であり、すでに生きているあたし達の有り様を「議論で何とかしましょう!」と言う姿勢が、私達の人権を完全に無視している行為ですという意味で掲げていました。

本来、東京レインボープライドのような団体であれば「多様性が受け入れられる社会を求めます」とか要求を行うものであって、「正直、トランスジェンダーの事なんて良くわからないから、どこまで差別して良いのかみんなで考えましょう!」的なバカな回答を出すプライド系の団体は見たことがありません。

『東京レインボープライドは、LGBTQ+コミュニティが共にこの問題に向き合っていけるよう、引き続き活動を続けていく所存です。』

これも結局「LGBTQ+コミュニティ」という具体性が無い相手にたいして、「共に問題に向き合っていけるよう」と、結局『東京レインボープライド自身は、具体的な主張は何も無く、かってに社会が差別なりしてくれればOKです。みんなその現実に向き合いましょう!差別は無くならないのです!』とでも言っているような、中身カラッポにトドメを刺している文章です。

・過去の他のPRIDE系の団体の声明では…

今年のユーロプライドにも反トランス女性なグループが声を上げていましたが、これにユーロプライド主催側が即座に反応「私達はトランスジェンダーと共にあります。」他にも反差別な事など語っていますが、この一言が重要な大部分を占めています。

同様な事は数年前にあった、プライドからトランスジェンダーを排除しよう!という署名活動が始まった時にも、海外の主要なLGBTQ+に関係する団体が次々と「トランスジェンダーと共にある」という旨の声明を発表しています。

・建前でもよいから強い声明を出して欲しい

プライドシーンにおける活動のベースには『反差別』があると考えます。なぜなら、自分たちだけの人権を訴えるということはあり得ませんし、また、あらゆる被差別な人達の中にもLGBTQ+はいるわけで『あの人達はLGBTQ+の対象者ではあるけど、○○だから差別してもOKです!』なんて活動はアリエナイのです。

だからこそ、世界中のプライドシーンでは多様性を重んじ反差別を訴えるわけです。何か、特別差別をしなければやってられない事情が日本に存在するとするなら、そんなレインボーフラッグとプライドはさっさと捨ててしまった方が良いと思っています。

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