【ショートショート】ホテル屋サカキの命令違反「乙種税金泥棒」
とあるホテルのデリカテッセン。そこで不健全な行為が行われているとの通報を受け、坂木道夫は店内に盗聴器をしかけていた。
『ちょっとマネージャー、そんなとこ触らないでください』
『いいじゃないか別に。減るもんじゃあるまいし』
男性マネージャーと若手の女性社員。問題となっているのはこの二人だった。
『営業中のお触りはルール違反! 二人でそう決めたじゃないですか』
『頼むよ、我慢できないんだよ』
二人の会話に聞き耳を立てる坂木は、店内で行われている行為に想像を巡らせた。
『ダメですよ。ダ~メ。あっ、お客さんだ。いらっしゃいませ!』
この二人はいつもこの調子だ。勘違いさせるような発言が多く、全体像を掴みづらい。会話の内容から状況を把握するのは、とても骨の折れる作業だった。
――こんなことなら、監視カメラも設置すればよかった。
坂木は盗聴した音声をラウンジで聞いており、デリカテッセンはそこから離れた場所にあるため、店内の様子を目で見て確かめることはできなかった。
『今日も私の勝ちですね。お疲れさまでした、マネージャー』
閉店時間まで粘ってようやく、先ほどのやりとりを理解することができた。
テイクアウトとイートイン。どちらの客が多いか二人は賭けをしていた。
イートインに賭けていたマネージャーは、客の一人が店内を見てからテイクアウトに変更したことを受け、これではまずいと、賭けの途中でレイアウトを変更しようとして、女性社員に制止された……というのが、先ほどの会話の真相だった。
――けっきょく今日も最後まで聞いてしまった。
下された命令は賭博の証拠入手であり、それは数日前の時点ですでに完了していたが、二人のやりとりが気になるあまり、坂木は本部への報告を遅らせていた。
――明日はなにが起こるのだろうか。
期待を胸に、坂木はホテルをあとにした。
『税金泥棒!』
女性社員の叫び声を聞き、坂木は思わずコーヒーを吹き出しそうになった。
客に向けた言葉であることは間違いないようだが、なにをどうしたら、ホテルのデリカテッセンでそのような暴言が吐けるのか、まったく想像がつかなかった。
彼らは今日も、期待を裏切らない。
『また私の勝ちですね。お疲れさまでした、マネージャー』
この日も坂木は、事態を把握するために閉店時間まで粘ることになった。
軽減税率。女性社員の吐いた暴言は、税率の違いに端を発したものだった。
購入した食品を店内で食べずに持ち帰る場合、外食とはみなされず、減税の対象になる。このデリカテッセンのように、イートインとテイクアウトの両方に対応する店舗においては、客側は会計時に意思表示を行うことになっていた。
ところがこの日、テイクアウトを申告した一人の客が、会計終了後に、持ち帰るはずの品を店内で食べはじめた。
それを目撃した女性社員が客に向けて放った言葉が「税金泥棒」だった。
デリカテッセンでの賭博行為について、本部は不問に付すという結論を出した。外部からの圧力なのか、裏取引なのか、坂木がその理由を知ることはなかった。
半年後。別の用件でホテルを訪れた坂木は、盗聴器の存在を思い出し、久しぶりに二人の会話を聞いてみることにした。
『あんにゃろう!』
乱暴な第一声に耐えられず、坂木はコーヒーを吹き出した。
『行け! 追徴課税だ。税金泥棒をひっとらえろ』
女性社員の暴言は過激さを増していた。
『かしこまりました、マネージャー』
答える男性社員は、女性社員のことをマネージャーと呼んでいる。
思えば、賭けは、いつも女性社員が勝っていた。
負け続けることで賭けるものがなくなり、男性社員はついに自身の役職さえも……。
そこまで考えて坂木は首を振った。
――バカバカしい。
それよりも、女性社員の勘違いのほうが気になる。いつか気づいてくれると期待していたのだが、半年経ってこの調子では、死ぬまで勘違いしたままという可能性もある。
坂木は迷っていた。
脱税は泥棒じゃない。税金泥棒という表現は間違っている。
そのことを指摘しようにも、盗聴によって知り得た内容であるため、どのように申し出てよいものかわからなかった。
少額の脱税であの扱いなのだから、盗聴がバレたらなにをされるかわからない。下手をすると、腕の一本や二本、簡単に折られてしまうかもしれない。
声しか知らない女性社員。粗野で乱暴な容姿を勝手に想像して、坂木は身を震わせた。
いっそのこと、彼女に合わせて、認識のほうを変えてみるというのはどうだろうか。
そうだ、そうしよう。
たったいまから、脱税者のことは乙種税金泥棒と呼ぶことにする。
(了)