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【ショートショート】ホテル屋サカキの命令違反「舌平目神社例大祭」

 舌平目神社の境内。日焼けした子供が鳩を追いまわしている。逃げ場を失った鳩が一斉に飛び立つと、近くにいた外国人観光客が甲高い悲鳴を上げた。編隊を組む鳩は、境内をせわしなく一周して本堂の軒先にとまる。わずかな間を置いて、鳩がとまった本堂の奥から祭囃子が聞こえてきた。年に一度の例祭。蝉の鳴き声と協演するかのごとく、太鼓と笛の音色が、厳かな空気を境内に満たしていく。そんな雅な雰囲気を台無しにするように、隣にいる老人が短く屁を放った。
「大変です、坂木さん」
 顔をしかめた坂木道夫のもとに、法被を着た丸顔の男が駆け寄ってくる。
「御神酒がやられました」
 来てください、といって腕を引く男の法被には、舌平目の背紋が描かれている。祭りの期間中、この法被を着た人物の権力は絶大であり、協力の依頼を断ることはできない。
 支社長の代理で奉納金を持参しただけのつもりが、思わぬトラブルに巻き込まれてしまったようだった。
「ウチの舎弟がやらかしたようで、誠に申し訳ございません」
 ヤクザ風の男の横で、チンピラが一人、額を地面に押し付けて土下座していた。
「すいやせん。許してください」
「てめえ、この野郎。顔を上げるんじゃねえ」
 ヤクザに顔面を蹴られ、チンピラが悲鳴を上げる。
 このチンピラは、奉納された神酒の中身をこっそり水道水と入れ替え、その酒をフリマアプリで売り払ったのだという。どうやらこの男は、神に捧げた酒は、その後、誰の口にも入らないものと思っていたらしい。現実はチンピラの思いどおりにはいかず、神酒は祭儀後に氏子に振る舞われ、水とすり替えられていたことが判明した。
「この罰当たりが!」
 ヤクザに便乗して、老女がチンピラに石を投げる。酒が水に変わったことを、戦後最大の凶兆だといって大騒ぎしたのがこの老女だった。
 老女の真似をして、近所の悪ガキまでもがチンピラに石を投げはじめた。
「どうでしょう、坂木さん」
 法被の男が期待を込めた目で坂木を見る。
「なんとかできそうですかね」
 今日が祭りでなければ。丸顔の男が法被を着ていなければ。自分が支社長の代理でなければ。冗談をいうな、と一蹴したことだろう。
 しぶしぶ了承すると、背を向けた瞬間に解決の刻限が告げられた。
「御神輿が戻る前にお願いします」
 参道の露店で般若の面を購入し、人目を憚らずその場で面を被る。いまの気持ちを体現するには最適な面だと坂木は思った。
 中平目商店街に入ったところで、少し前に神社を出発した神輿に追いついた。
 雑踏警備の警備員に見知った顔を発見し、神輿のルートを尋ねようと近づいてみる。すると警備員は、腰を低くして瞬時に警戒態勢を取った。般若の面を被ったままだということを思いだし、慌てて面をずらす。
「なんだ、坂木さんか……。俺はてっきり、ご先祖様が叱りに来たのかと思ったよ」
 警備員は帽子を取って額の汗を拭った。
 そこで仕入れた情報によれば、このあと神輿は上平目ホテルの前で休憩をし、それから舌平目神社へと戻るとのことだった。猶予はせいぜい一時間といったところだろうか。
 坂木は、商店街のなかほどにある目当ての菓子店へと向かう。
 創業百年を超えるその老舗菓子店は、店の前にテーブルを出して氷あずきを売っていたが、坂木はそれには見向きもせず、引き戸を開けて店内へと入った。
「あら、珍しい。和菓子は嫌いじゃなかったっけ?」
 意地の悪い笑みを浮かべる店番の中年女性に、自分用じゃない、とぶっきらぼうに答え、銘菓『ヒラメの舌』を一つ購入する。
「ヒトにあげるのに、一つだけってことはないでしょ。自分で食べるくせに」
 中年女性は、変わらず意地の悪い笑みを浮かべている。チンピラの尻ぬぐいなどという余計なトラブルに巻き込まれた挙げ句に、店番の暇つぶしにまでつきあうつもりはない。
 ショーケースの上に紙幣を滑らせ、釣りはいらない、といってすぐに店を出る。
 ――ヒトにあげる、か。
 たしかに、ヒトにあげるために購入したものではない。もちろん、自分で食べるわけでもなかった。ヒトではないナニか、忘れ去られて久しい土着神へのお供え物にするつもりだった。
 商店街を抜けて上平目地区へと向かう神輿を尻目に、坂木は反対方向にある下平目地区へと向かう。口笛を吹きながら歩いていると、町を東西に分断する一級河川へとたどり着いた。
 アーチ型の大きな橋の隣には、老朽化のため使われなくなった古い人道橋が見える。入り口はバリケードで封鎖され、目立つ文字で立ち入り禁止と書かれていたが、坂木はそれを無視して橋を渡りはじめた。
 橋の真ん中で欄干から身を乗りだした坂木は、橋脚に沿って打ち込まれた梯子を下りていく。橋脚が立っている場所は中州になっており、橋桁の下にひっそりと祠が佇んでいた。
「ご無沙汰しております。シタビラメ様」
 菓子店で買ったヒラメの舌をお供えし、祠に向かって手を合わせる。
『よお、みっちゃん。久しぶり』
 祠のなかから声が聞こえる。
『おっ、ヒラメの舌か。気が利くね』
 ヘリウムガスを吸ったあとのような間の抜けた声だった。
「年に一度の祭祀ですから。好物をお供えしようと思いまして」
『神体がないと誰も構ってくれないし、寂しいもんだよ。いやあ、それにしても、久しぶりに食べるなあ』
 現在の舌平目神社は、歴史の教科書にも載っているトランスジェンダーの天皇の時代に、この場所から奉遷されたものだが、移転したと考えているのは人間だけであり、当のシタビラメ様は、いまもこの中州に鎮座している。
『ほむほむ。それで、ホテル屋の稼業のほうはどうよ』
「命令違反が目立つといわれ、始末書ばかり提出しています」
『ふへへ。さすが、みっちゃん。怖いものなしだ』
 ヒラメの舌が完全に消えるのを待って、坂木は本題を口にする。
「あの……、じつは頼み事がありまして」
『神頼みってやつ? 珍しいね。みっちゃんもそんなことするんだ』
「いえ、あの……、そういうのお嫌いだってことはわかってます。でも、これは自分のためではなく、地域住民の平和のためでして」
『地域住民の平和のため……ねえ。そういわれちゃあ、土着神としては一肌脱がないわけにはいかないか』
「ありがとうございます」
 祠に向かって一礼をし、坂木はそれまでの経緯を説明する。
『なるほど。うん、それは大変だ。特別に格安で引き受けよう』
 神頼みを終えて舌平目神社に戻ると、坂木のもとに法被の男が駆け寄ってきた。
「ああ、坂木さん。よかった。なんとかなりましたよ」
 フリマアプリを使ってチンピラから神酒を購入した人物が、不良品だといって返品してきたのだという。
 これで一件落着。
 ――いや、待てよ。なにかおかしい。
 返品された神酒は宅配会社によって運ばれている。この時間に届くということは、最低でも前日には荷物を引き受けているはずで、つまり、神頼みよりもずっと前に、事態は解決していたことになる。
「くそっ、やられた」
 坂木は玉砂利の上で地団駄を踏む。
 神輿が町を一周して戻ってきたようで、男たちの威勢のよい掛け声が聞こえてきた。
 支社長代理としての本来の役目を思いだした坂木は、奉納金を納めようと懐に手を入れるが……。
 ない。大切に持っていた現金が袱紗ごと消えてなくなっていた。
 格安で引き受ける、という言葉を思いだし、なにが起こったのかを理解する。
「まあ、いいか」
 舌平目神社に奉納したところで、それがシタビラメ様の手に渡るわけではない。
 そう考えれば、本当の意味で役目を果たしたともいえるのではないだろうか。
 細かいことは考えず、いまは、この瞬間を楽しもう。
 今日は祭りなのだから。
 般若の面を被り、坂木は雑踏のなかに姿を消した。

(了)