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褒める指導が正しいの?〜コーチの本質に迫る〜

¡Hola!
 スペインに1ヶ月間、日本人として初めてフィジカルトレーナー研修に行っていました、畠中です!
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 さて、本日は「褒めて伸ばす指導」が一種のブームのように話の中心になっていることが指導界では出てきていることについて触れていきたいと思います。
 すみません、長くなります。笑

 私が教員を目指すために学び始めてから10年ちょっと経ちましたが、「叱る」と「怒る」論争、「褒める」と「怒る」論争をたびたび耳にしました。
 この二つのテーマについての本もたくさん出ていますが、どっちがいいの?という保護者の方から質問をずっと受けてきたので…今日は決着をつけます。

論争の背景①社会的背景

 まず、褒める指導がいいとここまで話題になったのには2つが挙げられると思います。第一に体罰が社会的問題となったこと、第二にマスコミによる褒める指導者の取り上げが多くあったことです。

 全国大会に出場する強豪校が体罰をしていたことが毎年のように話題となり、プロスポーツレベルでも体罰が明るみになったこと。
 そもそもなぜ体罰があるのか?を正確に把握する必要があります。
 「指導者がそうやって指導を受けて来ていたから」というのはあまりにも浅い意見だと考えています。いつだって歴史を見ることからだと私は考えています。

体罰は歴史そのもの

 そうなんです。え?と思われるかもしれませんが、そもそもスポーツなんて日本にはほとんどなかった文化です。今や、ウクライナとロシアの戦争が日々報道されて驚いていますが、ほんの100年前までは平気で戦争していたのが日本です。
 そして、戦争の兵士を作るところが学校と言っても過言ではなかったぐらいだったことがあるんです。そして、体育はその際たる教科だったんです。つまり、軍事力を高めるためには体罰がどうのこうのなんて関係なかったのです。
 日本のスポーツや指導にはそういった背景が100年前には常識だったことを忘れてはいけません。だから、体罰が悪だ!となるのは良いんですが、根深いということを捉えないといけません。

 つまり、強化=体罰も含まれていた ので、もちろん肯定はしませんが再教育が必要だということです。
 そして、後半で述べますが、強化=褒める というのも私は肯定はしません。褒めて強化されるとは思えません。そんなに甘くありません。

論争の背景②海外との違いから見る

 海外と言っても日本以外だと200ヵ国以上(国連では200もありませんが、FIFAでは200を超えます)あるので、一概には言えませんが…

 欧米諸国は日本ほどマナーや規律に厳しくない国民性があります。ドイツなどの日本に似ている文化の国もあります。
 しかし、例えば学校現場だと、そもそも日本のように制服や髪型などの規律は少ないわけです。日本は移民国家ではないので、多様性が世界に比べると低いわけです。本土の植民地の歴史もないわけで、純血日本人が多い。それに比べてヨーロッパだと〇〇帝国の支配下国家を右往左往してきているので、目や髪や肌の色が違うのなんて当然です。
 つまり、考え方も多様性がすごい幅なので、ルールで縛り付けることができない。という文化性です。

 私が滞在していたスペインはかなり多様でした。フランスを経由してスペインに入りましたが、フランスはかなりの黒人を見ましたし、東邦人はかなり少なかったです。
 前半に滞在していたアンダルシアはモロッコと目と鼻の先だったので、モロッコやエジプト系のアフリカ人が多めでしたし、後半に滞在していたイビサ島(バレアレス諸島の第二の都市)には観光地なのでイギリス人とドイツ人が多く、南米のウルグアイやアルゼンチンの人が多い印象でした。
 つまり、色んな人がいるので、文化や服装や見た目が多様すぎていちいち気にしてられないんです(笑)

サッカーでの指導の仕方

 スペインでのコーチの指導は、サッカーの育成年代(高校生以下)では、指導内容は「サッカーのこと」と「チームマネージメントのこと」です。もちろん遅刻などについてスルーするわけではありませんが、ある意味でコーチの仕事ではないのです。家庭の
仕事です。
 日本のコーチの役割はサッカー以外の部分が大きな割合を占め過ぎています。そのため、コーチの支配下に選手(子供)をおこうとする傾向が強いです。これが現代の体罰の根底だと考えます。

 スペインでは遅刻したら、試合に出られません。それ以上もそれ以下もありません。ネチネチ日本みたいに指導されたり、人格否定まがいのことも言われません。事象を見るんです。
 日本の場合はコーチが指導して、そして試合に出すことが多いです。

 子供自身が、「怒られるから頑張る」というのが良いのか、「試合に出られないから(自分に返ってくるから)頑張る」のか。これはどっちが正しいというより、本人にどっちが合うのか?だと思います。という忖度みたいなのは無視して、言語道断、後者の自分のために頑張るようにさせるべきです。怒られるからできるやつなんて、怒られない環境になれば腐ります。だから自由な大学生になってサッカー辞めて遊びに走る奴が多いんだと思います。

 子供に「なぜそれをしたの?」と質問すると「怒られるから」「こうしろって親(コーチ・先生)に言われから」と言う子がたくさんいます。あなたのお子さんは大丈夫ですか?

「怒る」と「叱る」の違い

 怒るのはダメで、叱るのは良い。というわけのわからないものを私が教師を目指す過程で植え付けられました。いくつかの指導系のセミナーや講習会でも、当たり前のように言われます。
 そもそも「怒る」とは、感情的になって自分の怒りを相手に伝えることを指し、「叱る」とは、感情的にならず相手のために言うことを指します。

 そもそもここに優劣なんてないはずで、感情的にぶつかった方がいいこともあると思うんです。サッカーや野球のプレーに対して大人がごちゃごちゃと言うのは終わってることなんで、こんな時は怒るも叱るも必要なく見守ってヒントを与えてやれば十分なんですよね。
 じゃあ、どこで怒るを使うかって危ない時とか間違えたことを人としてしている時だけでしょう。
 叱ってたら伝わりません。ちゃんと怒ってやらないと伝わらない。子供といえど、人と人がぶつかるんだから感情的になるのは当たり前。

 怒るのはだめ、叱るのは良い、そんな指導の先に何も生まれません。怒ってあげられる人になってください。子供を子供と思って感情を抜きになんか、ぶつかれるわけがない。向き合いましょう。

褒めるvs怒る

 これは真逆にあるようで、意外と同じ領域の話のようです。サッカーや野球のコーチが怒鳴り散らすチームもあれば、褒めて伸ばすチームがあるのです。中間というのがなかなかないのか、どちらかに偏っています。私は教師出身なので、一定のラインを超えると怒ります。それは、人に迷惑をかけた時です。本人が損するかは本人が選べば良いので放置します。

怒る指導

 怒鳴り散らすチームは、ドンと呼ばれるボス的な人がいて誰も逆らえないという状況が多いようです。そして、保護者も「厳しく指導してくれるから」と怒鳴る指導をむしろ望む声が多いようです。でも、怒鳴り散らす指導と厳しい指導は別物です。
 本当に厳しいのは、怒鳴り散らす指導ではなく失敗を経験させて、見守れることだと思います。

褒める指導

 これは数年前に話題にもなりましたが、「怒らない子育て」や「怒らない指導」ってやつです。尾木ママなど、様々な著名人が本を出版されたのが有名になったのだと思います。また、体罰が社会問題として取り上げられたこともあったため、「褒める指導・教育は正しい」と刷り込まれた人も多いのではないでしょうか。
 「怒らずに質問をして傾聴してあげるのが大事」と褒める指導論者は主張します。私も、しっかりと傾聴することは大事だと思います。

 しかし、感情を我慢してぶつかることをやめてはいけないと考えます。怒られることも子供にとっては大事なスパイスです。もちろん、手を上げることを肯定はしませんが、「褒めて伸ばす」ことや「どうしたの?」と聞いてあげることがいいなんてものは机上の空論だと考えます。
 目の前でダメなことをしていたら、しっかり怒ってやるのもまた愛情です。

結局どうなの?

どっちも必要で、その論争そのものが低レベル

 これが本質です。伝える大人が気に食わないから怒るのは間違いですし、本人が間違えたことをしていて怒るのは正解です。
 間違える基準が「誰もが見ても」に限ります。特定の人が見た基準ではいけません。

 よくニュースで虐待が問題になりますが、虐待者はみな自分の思い通りにならないから怒るわけですね。一緒に生活してたら、赤ちゃんに限らず誰とでも思い通りにならないことはありますが、主張が正しくできない赤ちゃんや子供相手に大人は我慢の方が我慢が必要なのは当然です。

 特にこの時期の子育ては、かわいいだけでは済まないこともあります。なかなか俯瞰的に見れないこともあるでしょう。でも、あなた以上に赤ちゃんは「人間」という肉体に困ってます。自分の体がよくわからないわけでコントロールができないからおむつも必要なんです。

 私の場合は、基準を戦争時代にしてました。「戦争時代はもっと劣悪な環境でエアコンや風呂も食べ物も今よりよくなかった。手紙しかなくて気持ちをなかなか誰かに聞いてもらうこともできなかったし、調べることもできなかった。」と思うと、なんだか肩の力がスーッと落ちたものです。

※近く、スペインの子育て編を公開しますが、肩の力が抜けますよ!!

 まとめ

 最近の子供たちは褒められることに飢えているのも確かです。しかし、怒られていない子供が多いのも確かです。褒めるも怒るも感情です。感情的に大人がときにはなってぶつかることはとても大事です。

 ただし、サッカーにおいて褒めるも叱るも極論どうでも良いと思ってます。一人の人として子供と接していれば、褒めるとか怒るとかに軸をいちいち置く必要はないと思います。指導者の最大の役割をサッカーを上手くすることでしょう。褒めることでも叱ることでもないでしょう。
 良いことは褒めればいいし、あかんことは怒ればいい。勝ったら一緒に喜べばいいし、負けたら一緒に泣けばいい。そして、子供がサッカーのプレーに関して選択したことは基本的に何も言わなくていい。普段のメニューを工夫したら良いだけです。

 「褒める指導をします!」では何も生まれません。もっと本質的な話題が指導の真ん中に来ることを願います。

Preparador fisico
畠中 ひであき


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