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アクリル板の向こうからー2020年初夏

週一回、夕方になると微熱が出るという患者さんが来ていた。

「今流行りの病気だったら嫌だなと思って」
「コロナじゃないですよね?」

大丈夫と言いかけたが、患者の気持ちを少し想像して言葉を置き換えた。

ーコロナじゃないですよ。

耳が遠くてもコロナという言葉は届いたようで、納得したようだった。

「こっちは田植えが早いね、うちの方はまだだよ」

遠方から来た患者さんは、薬の話をした後にこういう話を切り出してくれる。冬なら積雪量の多い少ないが話題になる。

みんな自分が暮らす町が好きなんだなあと思う。

今年は田植え作業の始まりがバラついているなあと思っていた。思うように外出できないこと、本来なら学校に行っているはずのお子さんたちが家にいることや、いわゆる「田植え帰省」をしてくれる若い人たちを頼れないことなど、農家さんもそれなりにイレギュラーな春を過ごしていたのだろうと想像した。

それでもどの田んぼも田植えが終わり、水田の水鏡が美しい景色を演出する季節になった。

眺めているだけのワタシも、心が整う。
一年で一番好きな季節だ。

アクリル板を挟んで眺める空の色が青い。

***

『コロナの時代の僕ら』という本を読んだ。イタリア・ローマで新型コロナウイルス感染症が流行していた二月末から三月頭にかけて、書き下ろされた二十七本のエッセイ集だ。

わたしが好きなのは、最終二十七章の「日々を数える」。

日々を数え、知恵の心を得よう。この大きな苦しみが無意味に過ぎ去ることを許してはいけない。P100

地球規模の病気にかかっている今。人とかわす言葉や四季折々の景色、何気ない日常が尊い。

5月14日、一部地域を除いて緊急事態宣言が解除された。まだコロナが終息したわけではないが、一息つけるニュースだった。

それでも、世界で終息宣言が出ない以上、感染予防を意識しながら過ごす日々は続く。毎日のニュースで報告される国内の感染者数、他国の状況、コロナに効果を示すかもしれない医薬品の臨床試験の状況。いろいろな数字に意識を向けながら、『終息』する日まで生きるのだ。大きな苦しみの意味なんて、きっと終息しないとわからない。

その日まで淡々と、粛々と。
目の前の人生を生きるのだ。
明日もアクリル板の掃除から始めよう。



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