男性性が傷ついた女性性を仕立て上げるとき、あなたは支配される【インナーマリッジ理論】
先日、10年の集大成シリーズ企画で今動かしているLINEアカウントの方に、音声解説をお届けしました。
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で。その中でわたしはこう、伝えました。
『自己(セルフ)と自我(エゴ)がつながること、それが男性性と女性性が統合することだ』
と。
しかし・・・
別の資料ではこう書いています。
おや?
男性性と女性性は自我の二側面である・・・?
(こちらの資料も、LINEアカウントの方でご覧になれます)
どういうこっちゃ?
男性性と女性性は自我なの?
女性性は自己なの?
どういうことなの?
と混乱した方もいらっしゃるようなのですが、これは一見矛盾していて実は矛盾していません。
壮大なお話となりますので、ゆっくり噛み砕きながらお付き合いいただければと思います。
基礎的なことはこの記事をザーッっとでもいいので読んでもらえると、理解しやすいかと思います。
まず、前提として
男性性と女性性
↓
自我の中に生まれる2側面
です。
自我の中に男性性と女性性がありますが、実は
自我の中の男性性
↓
不信感に取り憑かれている
自我の中の女性性
↓
自己喪失している
のです!
ワオ・・・
(と思ってほしい)
つまり、自我の中にいる女性性は本来いるべき場所にはいません。男性性によって作られた都合の良い架空イメージです。
シンプルにいうなら、
『本来の女性性は愛されたいと思っていない』
のです。
ワーオ・・・!!
(と思ってほしい)
愛されたいと思っている女性性は、男性性によって悲劇のヒロイン化され、洗脳され、自我の中に閉じ込められています。
(がしかし、それこそが安心安全だとも説き伏せられています)
女性性にとって本来のホームは自己です。言い換えるなら、女性性の本性は自己(セルフ)そのものです。
※ちなみにわたしの理論上では、魂(ソウル)は性別を持っていません。
自我の中にある女性性が目を覚ますと、女性性は自己へと戻る(セルフへと戻る)のですが、それまでは本来の自分に気づいていません。
イメージとしてはこういう流れがあります。
自我の中にいる女性性
↓
囚われの身の状態
男性性に囚われている状態
↓
自我の中の女性性が己の本性に気づく
↓
自我の中から飛び出す(というか、消滅する?イメージ)
↓
女性性は自己へとアップグレードし、男性性は自我の本質そのものとなる
↓
自己と自我がさらに統合する
↓
男性性と女性性の本格的な統合
ややこしいかもしれませんが、このように捉えるとわかりやすいと思います。
本来の女性性
↓
自己(セルフ)
本来の男性性
↓
自我(エゴ)
男性性も女性性も本来のホームに戻る、あるいは本来の状態に戻ると、それぞれの力を本格的に発揮します。
自我(エゴ)はやたらと邪魔者扱いされますが、それは本当の役割を果たしていない時です。
自我の持つ力はこの現実社会において足をつけて、着実に生きるために必要です。自我が持つ野望そのものがいけないわけではなく、それが自己とつながっていないから問題になるだけ。
でも。
自我(エゴ)は、とてもとても寂しがり屋で恐れててビビりでちっさくて可愛い。そう思えるのに何年かかったか。笑
自己と自我の繋がりが絶たれる
↓
自我が独立して不安定になる
↓
自我の中に、架空の男性性と女性性を作り出す
あらまぁ・・・!という感じです。(個人的には。笑)
女性性の本性は自己(セルフ)だし、男性性の本性は自我(エゴ)なのですが、この二つの繋がりが絶たれることで、自我は不安定さを安定させるために、自分の中に女性性を創ります。
・・・ただし、不安でいっぱいの男性性にとって都合の良い女性性を創ります。
その女性性は、必ず”傷ついた存在”である必要があります。
※本当はぜんっぜん、まったく、一度たりとも、傷つけられようのない、存在なんだけどね。。。笑
ここ重要なので、何回か繰り返し書きます。レッツ、リフレイン!
その女性性は、必ず”傷ついた存在”である必要があります。
その女性性は、必ず”傷ついた存在”である必要があります。
その女性性は、必ず”傷ついた存在”である必要があります。
その女性性は、必ず”傷ついた存在”である必要があります・・・
・・・・
なぜなら、男性性の支配下に起きやすいからです。
自我の中の男性性
↓
不信感に取り憑かれている(支配したいヒーロー)
自我の中の女性性
↓
自己喪失している(悲劇のヒロイン)
これが自我の中で完成するわけです。
なので、インナーマリッジまでには、何段階かあるのですが詳しく分けるとすればこのようになります。
▼この図も参考にしてネ!
①身体と自我が分裂する
これにとって、自己と自我の繋がりが絶たれる。
②自我の中に男性性と女性性が出来上がる
男性性は己の存在をサポートするための女性性像を抱く。
だいたいそれらは、かわいそうで傷ついていて何かしらに欠けている悲劇のヒロイン。
男性性は悲劇のヒロインを助けるためのヒーローとならなければならない(と思い込んでいる)ため、
自我の中で悲劇のヒロインとなる女性性を創り上げていく。(時に女性性にひどいことも平気でしちゃう)
③自己は必死に身体を通して、自我の中の女性性に目覚めてほしいとメッセージを送る!
・・・が男性性は自我の中の女性性(悲劇のヒロイン)が目覚めてしまったら、自分はひとりぼっちになって孤立してしまうのが怖いため、反撃する
女性性は、目覚めと抑圧の狭間を行き来する
④自我の中の女性性がとうとう気づく!
「あれ?わたしって本当は傷ついた悲劇のヒロインではないんじゃない・・・?」
やべ!!気づいちゃった!!
未熟な男性性による抑圧の猛攻撃を食らう!
(これをストーリーアタックと名付けました)
⑤女性性は自己の呼びかけによって目を覚まして、自我の男性性とおさらばする
マイホームの自己(セルフ)に女性性が戻る。生命そのものとつながる感じにちかいです。存在以外に何もないという感じともいえるでしょうか・・・うまく表現できませんが。
⑥本来のホームに戻った女性性と本来のホームにいる男性性がつながる
自己と自我の繋がりを通して再び女性性と男性性がつながる
・・・という結構壮大なドラマです!笑
悲劇のヒロインにされた女性性と英雄になりたいヒーローの男性性が
一度くっついて
一度離れて
本来の姿となってまた出会って・・・
という感じ。
ロマンを感じますね。(え、わたしだけ?)
わたしがこの理論の中で特に押し出していきたいポイントを書き出しましたので、頭の整理にお使いください。
★女性性のホームは自己、男性性のホームは自我
★愛されたい、愛に渇望している女性性は悲劇のヒロインだと思わされた、自我の中で男性性に飼いならされている女性性なので自分を見失っている
★自我の中でひとりぼっちになりたくない男性性は、悲劇のヒロインに本当のことに気づいて欲しくない
★自己は女性性を取り戻さないと、本来の居場所に戻れない(自分の存在を本当の意味で実感することができない)
★いったん、男性性は自我でひとりぼっちにされる。そうなると、男性性はヒーローの夢が敗れ去る(アイデンティティクライシス〜♪)
★女性性の本来の目的は供給すること放つこと、男性性の本来の目的は遂行し、守ること。(ヒーローになることじゃない)
★自己は魂からのエネルギーを全て身体へ供給し、身体から受け取った自我はそれを遂行する、必要な時は、身体や自己(女性性)を守る
・・・わかりやすく書いたつもりなのですがね。
まだ????????????????????となるかもしれません。
なぜなら、誰の中にも男性性によって仕立て上げられたかわいそうな女性性がいるから。
悲劇のヒロインだと思わされた女性性は、自ら矛盾に立ち向かい、男性性の与えてくる闇を葬り去ることができます。
しかし、そうするためには、
『愛だと思わされていたすべてのこと』を捨てる必要がありますし、
『愛だと思っていたこと』が愛ではなかったと受け入れるプロセスを通過します。
女性性は、それを受け入れることができます。そして、与えられる闇の世界ではなく、自ら創る光の世界のみを信じるとしたとき
男性性から与えられる記憶の束を、切り抜けることができるのです。
わたしの中にいた、自己喪失していた女性性は
自分は置いていかれて捨てられた存在だと、
男性性に言われ続けていました。
わたしは何十年もの間、そのような存在として生き続けてきました。
そんな女性性にとってのヒーローとなるために、わたしの男性性は誰からも捨てられることのない自立した力を手に入れようとしました。
いや、
誰からも捨てられることのない自立したヒーローでいたいために、わたしの女性性はいつも捨てられ忘れられ置いていかれる存在であるという記憶を見せられる必要があったのです。
わたしは途中から、気づくようになりました。
「おかしいな?」
幾度セラピーをしても、幾度深い癒しを経ても、わたしの中の傷が癒えない・・・。
「そもそも、わたしの存在は初めから一度も傷ついていなかったとしたら?」
初めはものすごい恐怖感が襲ってきました。
たちまち聞こえてきました。
『傷ついたことないなんて、そんなわけがない!』
『一度も傷つけられたことがないなんて、そんなことにしたら、あいつも、あの野郎も、誰も反省しないじゃないか!』
『間違っている、お前は確かに傷ついていて、そして確かに傷を負っているから、それを良くする必要があるし、強くなる必要があるんだ』
ひとつひとつ耳元で大きな声だったのを、距離を置いて小さく小さくしていきました。最後は、ちっさな小人みたいなのが激怒して叫んでいるくらいになりました。(ピィーって怒ってるの。笑)
わたしは思いました。
『わたしは、傷つけられた存在であるというベールを被って守られていたかもしれないけれど、もうその必要はないわ』
わたしの未熟な男性性は、女性性をかわいそうな存在で、恐れるものが多くて、欠乏していて、欠陥している存在であると思わせたくて仕方がないのだ、と。
だから、必要のないところにまで、わたしがそのような存在であるかのように見せつけるのだと。
実際はそうでもないにも関わらず。
わたしの男性性が最も恐れているのは、わたし(女性性)にとってヒーローは必要ないということ
だったのです。
日常での出来事を通して、わたしは疑いを持つようになりました。
「わたしは誰かの許可がなければ存在してはいけない、だなんて一体わたしの中の誰がそんなことを言っているの?」
男性性のヒーロー願望(ただの恐れ)と向き合い、女性性の自己喪失(妄想と落胆)に付き合い
少しずつですが、わたしの女性性は、ほんのり・・・でも確かな感覚として・・・本来の自分の存在を、確信していきました。
途中には色々あったのですが(笑)わたしの実体験談はまた今度お届けしましょう。
今日はひとまずここまで。
すべての人の内に宿る女性性に捧げるコールとしてこの記事は終わりにしたいと思います。
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