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25歳の時、人生が語りかけてくるようになった話。【最強の味方はわたしの人生そのものである】

人生が語りかけてくる時がある。

こうやって書くとなんだか怪しい感じがするかもしれないけれど、もともと怪しいと言われる精神世界にどっぷりなので、まぁいいかと思いつつ、これとは別の表現をするなら、人生がわたしに望んでいることがある、とでも言おうか。

そうだとしても、怪しさは抜けない。人生なんていう抽象的な概念を人格化している時点で無理があると思うかもしれないが、どうにもこうにもわたしにとっては人生と言う名の別の自分がいる気がしてならない。


そんなことを思うようになったのは、ある出来事がきっかけだった。


年に数回は『こんな仕事やめてやらぁ!』と思うわたしだが、あの年はその回数がはるかに多く、わたしは一体なんのために生きてなんのために文章を書き、なんのために仕事をしているのか全くわからなくなった1年があった。

多分、25歳くらいの時だと、思う。


ちょうど20歳で起業して、5年くらい経って、気持ちも緩んできた頃だったのだろう。慢心もあったと思うし、どこか自分に対して無責任で無謀な期待もあった頃だ。


仕事に追われて追われて、そんな自分がどこか”ちょっといいかも”なんて思いながら心酔している自分もいつつ、明らかに日々蓄積されていくストレスに、どうにもこうにもバランスが取れずにいた頃だった。


心にまつわることなんて好きで始めたわけじゃないし、ましてやアンチ・スピリチュアルの自分がどっぷり潜在意識の世界でバリバリと仕事をしているもんだから、相当葛藤が強かった時期だと思う。


わたしは考えた。


なにゆえに、今ここにいるのか。

なにゆえにわたしは、これをやっているのか。


多分、誰でも一度は思ったことがあると思う。


自分はなぜ、これをやっているのか。

自分はなぜ、こんなことをすることになったのか。

誰のせいなのか。

自分のなにが原因なのか。


その当時のわたしは全てを過去の経験のせいにした。


祖父のせいだ。祖父があんなにもわたしに対して厳しく、そして過度の期待をしたもんだからわたしは精神を病み、そして今これをやっている、と。父のせいだ。父が0歳のわたしを置いてどこかに行ってしまったもんだからわたしの心の奥底に沈み込んだ不安定な要素が、わたしをこの仕事に結びつけているのだ。母のせいだ、スタッフのせいだ、お客さんがいるせいだ。


今思うととんでもなくひどい。だけどその時は、過去に何かを見出すほか、なにすべがなかった。


あるとき、全てが嫌になり、ちゃぶ台をひっくり返したように、投げやりになった。とは言ってもたった1日のことだけど、根っからのワーカーホリックのわたしにとって1日でも全力で仕事を放棄することは、天変地異が起こるくらいの異常事態だった。


あらゆることを辞める前提で考え、あらゆることをストップする前提で考え、つながりのある全ての人を断ち切ろうと決意した。そして、それに向かって着実に設計をしたのだった。完全な一人になろうとした、ということだ。イメージのつきまとう”はたゆか”を捨てて、誰も知らない”秦由佳”に戻ろうと決意した。


・・・1日中、わたしは未来に向けて、誰でもない何者でもない、なにも成し遂げたこともなく誰とも関係を持たない、本当に本当に孤独な人間に戻ろうという決死の覚悟で挑んだ。



その次の日。



わたしは、ブログを書いた。

何事もなかったかのように、書きたいことがわんさか出てきて、自分の中が知性の感じる言葉で洪水になった。


スランプから抜けたのか、と言われればそれまでだけど、実はこの間に不思議なことがあった。


やけくそになって、むしゃくしゃして。どうにもこうにもならなくて、誰もわたしのことなんて理解していないし、理解してもらうことも不可能だし、そんなの求めても虚しいだけだ!!と天に向かって暴言を吐き続けた結果、


わたしの人生、はわたしの味方であるという感覚でいっぱいになった。


わたしの人生はわたし以外の存在が歩みたくても歩めない道である。その道は、今立っている場所から10キロ先は見渡せないけれど、その間に霧がかかっていたとしても道は続いている。生きているということは道があるということで、歩もうと立ち止まろうと、常に道はあり続ける。


わたしは、わたしの人生があるということ、その事実のようなものに、励まされた。いい人生か悪い人生か、というのは分からなけれど、少なくともわたしには人生がある。わたしの人生は他の人のものにはならないし、わたし以外の人に続く道でもない。


その時に感じた言葉を今でもうまく言語化できない。

でも、確かな感覚として、「わたしには人生がある。わたしの人生はわたしの味方である。」というフィーリングが全身を巡った。そして、聞いた。



あなたは(わたしの人生は)

わたしになにを望んでいるのか。

どう、あなた(わたしの人生)という道を歩んで欲しいと思っているのか。

わたしにどう、踏まれたいのか。

どんな一歩で、道を埋め尽くしたいのか。




わたしになにを見て欲しくて、

わたしにどんなことを感じて欲しくて

あなたは続いているのか。



・・・答えは、はっきりとは分からなかった。でも、「答えはある」ということだけは感覚ではっきりした。そこからわたしは、人生とともに”人生を歩む”という生き方をスタートさせた。



日々、いろんなことがある。

人を好きになったり嫌いになったり、誰かに全部決めて欲しくなったり、誰にも関わらないで欲しいと拒んだり。

日々のいろんなことに意味がある、とまで大げさなことは言いたくない。でも、小さな点と点は線になり、面となった時にそこに形が生まれる。


あなたが今、何をどうして、どのような理由があってそのような経験をしているのか、わたしには分からないけれど、まだ線にも面にもなっていない、ただの点だということもありうる。


拾いきれていない過去の点も、たくさんあるだろう。掘り起こしたくない過去の点もあるはずだ。


だけど道は続いていく。時に非情に、わたしたちの感情は無視して人生の道は堂々と延々と見えない方向まで伸びていく。


止まってもいいいよ。しゃがんでもいいよ。あなたがそこにどんな風に立っていようが、道はいつも続いているから、って。ずっと言われているようだ。


歩もう。止まろう。時にはそこで出会った人と夜な夜なダンスして、クロスした場所での出会いを楽しんで。明日また”おやすみ”って言えない人もいるかもしれないから。今日、”おやすみ”って言えることを喜んで。


わたしの人生は、わたしだけのものだ。そしてわたしの人生は、いつまでもわたしの味方なのだ。







もし人生が無条件に自由で豊かだったら何をするかと言われたら書く、というくらい書くことが生きる上で欠かせない人間です。10年間の集大成を大放出します。サポートは全て執筆と研究活動に使わせて頂きます