自分らしさが開花するとき、自分の存在が居場所になって全ての苦しみから解放される【インテグリティno.01】
自分らしく生きる、あるがままの自分を生きる・・・そんな言葉は随分と普通に聞かれるようになりました。
あなたは、自分らしく生きたい、と思ったことはありますか?あるいは、「あるがままの自分を大切にしていきたい」と感じたことはありますか。
自分らしく生きるためにも、あるがままの自分を生きるためにも、そもそも『わたしという存在』をどう定義するか、はっきりその軸を持つことが大切です。わたしが何者であるのかわからないまま、”自分”を生きることはできないからです。
じゃあ、あなたの言う”自分”ってなーに?
何が自分で、何が自分ではないと、言う?
そんなことを唐突に聞かれてもわからない人がほとんどだと思います。そしてわたしも20歳の時、まさにこの壁にぶち当たり、そして潜在意識の探求がスタートしました。
■生きているだけで罪を背負わされている
自分らしさに出会う、あるいは自分らしさを知ると人は、生きているだけで発生していた緊張や拘束感から解放されます。
それはどんな緊張や拘束感というと『何者かに成らなければいけない』といった感覚です。誰もが背中に十字架を背負っていますが、この無自覚に植え付けられた『何者かに成らなければいけない』『社会や他者にとって価値のある人間に成らなければいけない』といった十字架は、本来の自分の道を苦難の道へと変えます。
生きることそのものが罪であり、生きていることがそもそも苦痛の前提となるからです。
十字架を背負いながら、自分らしさと出会うと、背中の荷物を降ろしていいということへの安堵感と、十字架を降ろした後にどんな世界が待ち受けているのかがわからない恐怖心との葛藤が始まります。
占いや強み診断やヒーリングやセラピーなどで”らしさ”を知ったとしても、自由に楽になれない理由はここにあったのです。
十字架を降ろした後の世界、つまり『何者かに成らなければならない』という世界から、『自分自身に集中して自分自身を極める』という世界へ移ることが怖いのです。
罪を手放すこと、存在として許されること、ただ存在しているだけで素晴らしいということ、ただいるだけで完全であるということを実感することはとても大きな変化をもたらします。
いきなりは怖いですから、少しずつ、少しずつ、変化していって・・・少しずつ少しずつ『自分らしさ』というパズルのピースを集めていっているのではないでしょうか。
そういう風に考えてみると、毎日の小さな出来事や胸の高鳴りや、あなた自身の感情が教えてくれる『あなたらしさ』というサインはいろんな出来事に隠されています。
辛いと思うことも苦しいと思うことも、すべては『何者かに成らなければいけない』『社会や他者にとって価値のある人間に成らなければいけない』と自分自身に背負わせていた罪を、手放していいんだというお知らせだと思ってみたら・・・
次の扉はどこか、その奥の世界が少し垣間見えるのではないでしょうか。
■あなたの生きる意味がそこにある
この記事シリーズでは、そんな『何者かに成らなければいけない』『社会や他者にとって価値のある人間に成らなければいけない』という罪意識を手放して、『自分らしさをどんどん表現して生きる』『あるがままの自分を極めていく』という人生へとシフトした後の世界・・・について書いています。
そう、つまり。自分らしさを追求し表現する世界のことを、インテグリティの世界とここでは呼びます。
そんなわけで、ここまでが序章でした。(笑)ようやくここから本題に入りたいと思います。
あなたの生きる意味は、あなたのインテグリティを表現すること。
強く優しくあたたかく、すべての生命が命の瞬きにキラキラと躍動している世界、インテグリティの世界へようこそ。
■インテグリティとは何か
インテグリティという言葉に出会ったのはおそらく26歳くらいの時。現在は、個々のインテグリティのこと、あるいはその領域の世界観のことを”コア(本質)”と呼ぶこともあります。
自分自身のインテグリティに目覚めて、自分のインテグリティを軸にした生き方を実現する、ということをゴールとした意識学を「コア学®︎」と名付けました。
なので、コア学の方を学んできた方は、コア=インテグリティ、と認識してお読みください。
インテグリティ(integrity)という言葉は、単純に直訳すると高潔、誠実、清廉、完全な状態、無傷といったような意味を持ちます。この英単語の語源を調べるとこのような表現が出てきました。
英単語のインテグリティは、ラテン語の「全体または完全」を意味する形容詞 Integer から派生し、
integer (feminine integra, neuter integrum)
全体の, 完全な, 無傷の
無事, 大丈夫な, 健全性
派生語として英語の「整数(Integer)」を意味する。
Wikipediaより
また、続けてこのようにも書かれています。
この文脈において、インテグリティは誠実さや一貫性などの内なる資質から派生する「全体性」を意味することになる。
ゆえに、ある人にインテグリティがあるどうか、という時に、その人が自分が保持すると称する価値観と信念と原則に従って行動している場合においてのみ、その人は「インテグリティ」がある、持っている、という事が出来る。
単に自分には高い道徳・価値観・信念を持っています、というだけではインテグリティがあるとは言えない。
Wikipediaより
インテグリティの世界というのは、全ての統合性やつながりを感じられる世界のことです。そして、インテグリティを内側に感じること。その内側に感じる世界そのものがその人のインテグリティ性(=その人のコア、本質)です。
つまり、その人自身が自分のインテグリティを知り、自分のインテグリティ性を発揮して生きるということは、個として全体とのつながりを保ったまま個としての生を全うする、ということになります。
自分という個は全体を構成する替えのない一部であり、全体は自分という個なくして完成することはない、がしかし全体もまた自分という個を個たらしめる必要要素であり、全体と個の関係性そのものが人生であると知っていること。
つまりこれを知っていることがインテグリティ(全体性)に目覚めているということです。
そういった意味では、インテグリティの世界は、人が人として知覚できる真理に最も“近い”世界であると表現しても良いでしょう。それ以上の次元となると、肉体を失ってしまうので“個として存在”はできません。
つまり、インテグリティとは、最も日常的に触れることが可能な“悟りの世界”と表現することもできますし、“愛の世界”と表現してもいいですし、普遍的な真理の溢れる世界と表現しても良いです。
個である意識を持ちながら、全体とも一体化している状態が、インテグリティの世界で生きている状態です。そして、インテグリティについてあるいはその世界について理解するということは、自分自身の内側に流れている普遍的な真理とのつながりを思い出すこととなります。
自分の命を突き動かしている根源とつながりを内側に感じ、それに生かされているということを実感することで、自分の存在を全体と分離して考えることがなくなります。
人が分離意識を幻想だと気づき、全体意識に目覚めることがインテグリィに目覚めることだ、と言い換えても良いのです。
全ての苦しみの大元にある”分離意識”は幻想だったんだ、と気づいて個が全体とつながりを取り戻すと、個は全体の一部になります。自然の一部として自分を認識するようになると、自分の命そのものが居場所になります。
そうすれば、誰かに認められるとか、誰かに愛されるとか、誰かに必要とされるということが居場所になるのではなく、『自分の存在そのものが居場所』となっていくのです。
■自分の存在が居場所になるとき
もちろん、四六時中インテグリティの意識状態でいることは難しくもあります。今の社会では、ノイズが強いため、すぐに引き戻されてしまいます。
さらに言えば、インテグリティを生きることが正しいというわけではありません。わたしたちは、インテグリティと片時も離れることなく生きていますが、それを忘れているだけです。
家がどこにあるのか思い出したところで、ずっとその家にいなくてはならないわけなどありませんよね。それと同じで、インテグリティに目覚めたとしても、
・誰かに必要とされたい
・誰かと愛し合いたい
・誰かに認められたい
という気持ちや感情は有って良いのです。むしろ、インテグリティを見つけた後の方が、こういった承認欲求や孤独心から生まれる感情というものは味わい深くなります。人間を楽しむ心の余裕が常にある状態なのか、そうでない状態なのか。それはインテグリティ性をどれだけ発揮しているかによって左右されるだけなのです。
わたしは、人格者や聖人になろうと言いたいわけではありません。素晴らしい悟りの境地に自分がいるとも思いません。よく悲しみよく怒り(笑)よく笑い、そして愛し合いたいといつも切に願っているただの人間です。
でも、インテグリティの世界を自分の内側に見いだすことができた時、自分の命を心から尊重する気持ちに満たされます。自分自身の存在に安堵することができます。
本講義は、自分自身のインテグリティに至るまでの、心・身体・魂・自我の成長プロセスを学んでいただくとともに、あなたの内側にあるインテグリティに繋がっていけるよう、誘導していきます。
ハートに素直になって、インテグリティの世界へと開かれていってくださいね。
続きます。
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