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『永遠にひとつ』第20話 生まれてきて良かった (2/2)

「……本当だよ」

 さっきまでとぼけていたのに、急に真剣な声になり、涼しげな笑みを浮かべるから、私は言葉に詰まりました。

「何だよ。人に言わせておいて。確かめて、どうしたかったんだ? ダフネ」
「あ、あの。愛してるっていうのは、娘としてじゃなくて、一人の女性としてという意味?」
「ああ。そうだ。一人の女性として、君を愛している」
「……初めてのキスを人前でしたことのお詫びを、まだしてもらってないわ」
「そうだったな。埋め合わせをすると約束した。何が良い? もう決めたのか?」
「今夜、私を全部あなたのものにして」
「…………それって、『そういう意味』で良いのかな」
「もう! 意味なんか一つに決まってるじゃない! これ以上私に恥ずかしい思いをさせないで」
 私は彼を引っ張って立ち上がらせ、壁に押し付けて自分からキスをしました。

「そんなに焦るなよ、ダフネ……。私も、こういうことは久しぶりだから、かなり心許ないんだ。失明してからは初めてだしね。ゆっくり愛させてくれ。……ああ、今ほど、目が見えたら良かったと思うことはないよ。君の表情を見たかったなぁ」
 いつの間にか口づけの主導権を奪い、彼はキスの合間に優しく囁きました。
「君は半永久的に今の外見のままで生き続けられる。私は日一日と年老いて、死に近付いていく。なるべく長生きしたいとは思うが、いつかは必ず死ぬ。……でも私の心は、この身体が朽ちても、永遠に君のものだと誓う」

 この夜、私は遠矢と初めて結ばれました。

 神田博士が私たちを訪ねてきたのは、委員会の決議が出て数日後のことでした。
 私はこれまで通り、遠矢をマスターとして一緒に暮らして良いことになりました。但し、実在・特定個人の記憶をAIに組み込むことは、社会通念やこれまでのガイドラインを尊重すべきであり、変更の検討は慎重にすべきである、と。

「まぁ、要は『二度とやるな』と。ダフネは、ますます貴重な存在になりますからね、誘拐されないように気を付けてくださいよ。光崎さん」
 彼は私の淹れたコーヒーを味わいながら、茶化すように言います。彼は、セントラル・インダストリーを辞め、ヨーロッパの同業他社に転職するそうです。会社にもう未練はないと、さっぱりした表情の彼は、差し支えない範囲で、プロジェクトのことが報道された経緯についても教えてくれました。

「ニュースに出ていたキャシー・キング博士を覚えていますか? 彼女は学会発表を聞いて、我々の研究に疑念を抱いたんでしょう。四谷のノートパソコンからデータを盗み、ジャーナリストにリークしたようです。彼女は数年前に小さい息子さんを突然死で失っているんです。どうにか息子さんのようなアンドロイドを作ろうと必死だったようですね。表沙汰にはなっていないが、実はその過程で、我々とほぼ同じようなことをやっていた節がある。だから我々の意図が手に取るように理解でき、成功に対して嫉妬したんでしょう」
 様々な業界関係者から聞いた話や状況証拠を組み合わせると、全容はこんなところだったようです。あの意志の強そうな才媛さいえんも、幼い息子さんを亡くして心を痛め、どうしても取り戻したいという欲求が研究のモチベーションになっていたとは……。私は、やるせない気持ちになりました。

「光崎さん。月子さんは、あなたを後に遺していくことを、本当に申し訳なく思っていましたよ」
「……自分は遠矢を永遠に愛していると。そう伝えるために、同じ顔のアンドロイドを注文したんですね」
「ええ」
 短く答えると、神田博士は、自分の伝えるべきことは伝え終わったとばかりに、コーヒーを無言で飲み干しました。

 神田博士自身は日本を離れますが、部下の飯田さんとデータは守ったので、もし私に何かあれば、飯田さんに連絡するように。また、彼女が困ったら神田博士が相談に乗れるよう、連絡が付くことになっていると教えてくれました。

「光崎さんは、ご自身のアンドロイドに、プロジェクトコードネームそのまま、ダフネと名付けたんですね。その語源や由来はご存じですか?」
「ギリシア神話で、キューピッドの矢に射られたアポローンが恋をした人間の乙女の名前ですよね。その名が、今は沈丁花に与えられている。花言葉は『永遠』『不滅』。我が家の庭にも、この子を迎えてから植えました」
 遠矢の返答に、神田博士は頷きました。

「その通り。乙女ダフネは、願ってその身を植物に変え、永遠の命を持つことになった。人間には得られない『永遠の命』『不滅の魂』。それが、ダフネに込められた意味です。彼女は、あなたよりも遥かに長い寿命を持っている。そして、文字通り自分の全てを賭けて、あなたを愛している。そのことを、どうぞ理解してあげてください。いや、もう十分ご理解いただいているとは思いますが。彼女を作った者からの最後のお願いです」

 その時の博士の表情から、もう二度と彼は私たちと会うことはないだろうと感じました。

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