『永遠にひとつ』第9話 永遠の恋
日がすっかり上った頃。雨音に混じって、私の名前を呼ぶ声が聞こえます。……遠矢の声です。
「ダフネー! この近くにいるんだろう!? 私が悪かった……。お願いだから、帰ってきてくれー!」
私は、彼の耳からも聞こえるだろう、という距離まで彼が近づいてきたとき、返事をしました。
「遠矢、私はここにいるわ! 岩の陰よ」
ざっ、ざっと彼が走ってきた足音がします。次の瞬間、岩陰を覗き込む遠矢の心配そうな顔が目の前にありました。
「ああ……。ようやく見つけた」
彼は岩陰に入り込み、有無を言わさずに私を強く抱き寄せました。彼の体温の気持ち良さに、怒ったり抵抗したりすることも忘れ、私は彼の腕に身を委ねていました。
「きちんと説明しなかった私が悪かった。君を、若い頃の月子に似せて作ってもらったのは事実だ。でも、君は月子とは全く別の人だ」
「じゃあ、なんで、私には月子さんの存在を隠していたの?」
「……奥さんが死んだ後も、彼女と同じ顔のアンドロイドを身近に置いているような、未練たらしい男だと、君に思われたくなかった。見栄を張ったんだ。格好悪いだろう?
……君は、私の一番大切な人だ。帰って来てくれ、ダフネ」
「それは、遠矢の娘として?」
「ああ、そうだ」
女性として遠矢の心に入り込めないことに、私は改めて胸の痛みを感じました。しかし、寂しげに右肩を下げて傾いだ姿勢で私を離そうとしない彼を放っておくことはできません。家に帰ることにしました。車に着いたら、彼は大判のバスタオルで私を包み、その上に毛布を巻きつけ、更に自分のマウンテンジャケットを肩から掛けました。
「ねえ、遠矢。私はアンドロイドなのよ? 省エネモードにすれば、寒くても壊れないんだから、ここまでしなくて良いのよ」
私の言葉に、遠矢は少し怒ったような表情になりました。
「だって、冷え切っているじゃないか。君の身体は寒さも痛みも感じるんだろう? 壊れないから良いって問題じゃない。君に辛い思いをさせるのが嫌なんだ」
ああ。この人は、私を女性としては愛していないかもしれないけれど、一人の人間として扱うくらい、大切に思ってくれている。私は何も言わず、されるがままに彼の服に包まれ、助手席に座りました。彼は何も言わず、シートヒーターも付けます。車を走らせながら、なぜ私を見つけることができたのか教えてくれました。
「セントラル・インダストリーのラボに電話したんだ。そしたら、君の身体にはGPSが付いていると言われてね。ラボに行って、居場所を確認してもらったんだ。神田博士も飯田さんも、ひどく君を心配していた。私が何かしたと疑われたんだろうな。ダフネに何を言ったんだって、根掘り葉掘り聞かれたよ」
私が家出から戻って数日後。遠矢は、自宅の庭に植えようと、小さな花を付けた新しい木を一本、園芸店から持ち帰りました。
「うちの庭には、もういっぱい木があるのに。なんで植えるの?」
「この木は、君と同じ名前なんだよ。沈丁花の英名は、ダフネって言うんだ。良い香りだろう? 花言葉は『永遠』・『不滅』だ」
彼は嬉しそうに微笑みました。
(そうね。私のあなたへの気持ちは、きっと永遠。この人工知能がある限り……)
私は無言で遠矢に微笑み返しました。ダフネの小ぶりの花や、つやつやの緑色の葉を優しく手のひらで撫でながら、私は内心静かに決意しました。遠矢が私を女として愛してくれることがなくても、私は、何の見返りも求めない愛を彼に注ぎ続けようと。
私たちは、他の人たちからは本当の親子のように親密に見えたようです。弓美さんは、溜め息をついて嘆いていました。
「ダフネは従順で、兄さんとも仲が良くて羨ましいわ。それに比べて、うちの輝ったら……。反抗期なのか、言葉遣いもひどいし、全く親の言うことを聞かないのよ」
「男の子は、それくらい元気がないとな。大丈夫だよ、一時的なものだ。私もそんな感じだったぞ」
弓美さんを慰めながら、私との仲の良さを指摘され、遠矢は、満更でもなさそうな表情を浮かべています。ソファで隣に掛けている私の髪を撫でる仕草は、まるでペットを撫でている飼い主のようでした。
*
私の家出事件から、更に七年近くの時が経ちました。私をラボから引き取った時、三十代後半だった遠矢と弓美さんは四十代後半に。幼稚園の年長さんだった輝君は、中学生です。もう身長も私を追い抜きました。
画家としての遠矢は、数々のコンクールで賞を獲り、注文は数年待ちという、人気と実力を兼ね備えた画壇のスターになっていました。私は彼のアシスタントとして、制作作業のお手伝いや、注文やお金の管理をしています。
それと、モデルも。
月子さんの肖像画を私が見付けて以来、遠矢は、私の絵を描きたいと言い出したのです。描き上がった絵は、最初は自宅の中で飾っていましたが、家に来る画商やお客様の間で次第に評判になり、月子さんの肖像画と同様、私のも売られるようになりました。最初、遠矢は私に恐る恐る尋ねました。
「なぁ、ダフネ。月子と君の肖像画が欲しいというお客さんがけっこういるんだが。売ってあげても良いだろうか?」
「大事にしてくださるなら、良いんじゃないの? そんなこと、私が口を出すようなことじゃないから、遠矢が決めたら良いのに」
蒐集家の間では、月子さんと私の肖像画を並べるのが密かな流行だそうです。
「月子とダフネは、顔のつくりこそ似ているけど、まるっきり性格が違うから、表情が違う。描いた時期も違うから、私の作風も変わっている。なぜ二人を並べたがるのか、私には分からないね」
そう首を傾げる遠矢に、古くからの画家友達はクスリと笑いながら指摘するのです。
「天才・光崎遠矢の愛した二人のミューズ、月子とダフネ。しかも、アンドロイドのダフネのほうが生命力に溢れていて、光崎第二期の画風の特徴が顕著だ。こないだのコンテストでも、評論家たちが唾を飛ばすくらい熱心に語り合ってたよ」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?