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『永遠にひとつ』第18話 ただひとつの願い (2/2)

 委員からの質問に、一呼吸置いて、遠矢は淀みなく答えます。
「他のアンドロイドには興味がないので、ダフネと比較のしようがない、というのが正直なところです。ただ、機械のわりに、という言い方には語弊があるかもしれませんが、『随分この子は人間臭いんだな』とは思いました。拗ねたり、はしゃいだり、嫉妬したり、彼女の感情はとても豊かでしたから。
 かと言って、月子を思い起こさせる場面があったかというと、それも殆どありません。二人は、似ているのは顔だけで、性格は全く違っています。物静かで大人っぽく、皮肉屋の月子と、お転婆で悪戯好きで感激屋のダフネでは、正反対なくらいです。
 ……一つだけ月子を感じたことがあったとすれば、ダフネに初めて絵を描かせたときのことです。夜空のある景色でした。三日月の描き方が、現実とは違っていて、なおかつ美大出身の月子と同じでした」

 ああ……! 遠矢があの時、私の描いた三日月を見て変な顔をしたのは、月子さんと同じだったからなのか! 長年の疑問が解け、私は叫び出しそうでした。

「では、あなたは、見た目が奥様と同じだけの普通のアンドロイドを手に入れたと思っていて、ダフネ固有の個性を気に入り、可愛がっていたと。そういうことになりますか?」
「ええ。その通りです。……彼女なくして、私の創作活動はありえません」

 女性委員が、遠慮がちに聞きます。
「彼女がいなければ創作できない、というのは、あなたが盲目だから、手伝いをしてくれる彼女がいないと作業自体が困難だと、そういう意味ですか?」
 遠矢は口元に笑みを浮かべ、ゆっくり首を左右に振ります。
「そういう実際的な意味もありますが。言い方を変えましょう。あなたは、芸術家にとっての『ミューズ』をご存じですか? イマジネーションを刺激し、創作意欲を掻き立ててくれる存在です。彼女は私のミューズだ。生身の人間である妻の死と、アンドロイドである彼女の見せる活き活きした姿のコントラストに、私は生命の尊さを深く敬うようになったのです。……ダフネ、持って来た作品を皆さんに見てもらおう」

 私はおずおずと立ち上がり、事前に立てておいたイーゼルから布を外し、幾つかの遠矢の作品をお披露目しました。委員の方々からは、おおっ、という声が上がりました。
「左の二点は、月子が生きていた間に描いた風景画と、月子の肖像画です。真ん中の二点は、ダフネと暮らすようになってから描いたもの。ダフネの肖像画です。右二点は、私が視力を失ってから描いた作品です。評論家からは、ダフネが現れてから、私の作品には生命力が増し、視力を失ってからは、より純粋な魂の叫びがストレートに表現されるようになったと言われています。では、次に、制作している時の様子を撮影した動画をご覧いただきます」
 天井からプロジェクターが降りて来て、事前に提出していた動画が始まりました。私の顔を触り、彫刻で再現しようと粘土で型を作る時に、顔を撫でられてくすぐったがってクスクス笑ったり、変な表情を作って作業を邪魔する私。口を開けて大笑いしている遠矢。そうかと思えば、絵の具の色で言い争う姿が映し出されます。
『コバルトブルー? ダフネ、私はコバルトブルーヒューって言ったろ』
『だって前に、遠矢、ヒューは耐光性がないから良くないって言ってたじゃない』
『この絵の中では、ヒューのほうがイメージに合うんだ。それに、注文主の方には小さいお子さんがいるから、画材の毒性はなるべく減らしておきたい』
『……分かったわ。はい、コバルトブルーヒューよ』
『ありがとう。手間をかけたね』

 委員会は、水を打ったようにしんとしています。遠矢はゆっくりと噛んで含めるように訴え始めます。
「これで、ダフネが単なるペットや愛玩の対象ではなく、創作活動においても二人三脚のパートナーだということがお分かりいただけたかと思います。彼女は私の創造のミューズです。そして魂の半身として、今では唯一私が愛している人です」
 委員たちはざわつきました。アンドロイドを『愛している人』と言い切った遠矢に対する驚愕でしょう。気を取り直したように、質問が再開されました。

「……なるほど。あなたはアンドロイドを愛していると。敢えて、意地悪な聞き方をします。画家の生業に不可欠だから彼女を愛しているんですかね?」
 遠矢は全く動じた様子もありません。少し楽しげに口元には小さく笑みすら浮かんでいます。
「アンドロイド、アンドロイド、と仰いますが。彼女が私の手許に来た時は、文字通り、まっさらな子どもでした。絵を描いたことすらなかった。その頃から、私は彼女の魂を愛しています。そもそも、愛というのは、そういうものではないでしょうか?」

 遠矢は、手元のファイルから、二枚の紙を取り出しました。
「ええと……、たぶんこちらが、ダフネが初めて描いたオリジナルの絵です。月や星が輝く夜空の下に揺らめく池と白い蓮の花が浮かび上がっている。そして、こちらが、彼女が誕生日プレゼントにと初めて描いてくれた私の肖像画です。裏には手紙も書いてある。……ダフネ、これを皆さんにもお見せしたいんだが、良いかな?」

 私が小さく「ええ」と答えると、委員の一人が、遠矢から私の絵を受け取り、委員の間を回して見ています。
「嬉しくて何度も読んだから、今でも手紙の内容は覚えています。確かこうだ。『とおやへ いつもわたしにやさしくしてくれてありがとう。またらい年も、おいらせにつれていってね。大すき。ダフネより』」
 遠矢は懐かしそうに私の手紙をそらんじました。

 それまで、俯いて無言だった若い男性委員が、思い切って顔を上げました。
「光崎さん。私も、息子から似顔絵を貰ったことがあります。だから、嬉しいお気持ちは我が事のように分かります。三年経ちますが、未だに取ってあります」
 嬉しそうに遠矢は何度か深く頷きました。
「そうでしょう。子どもからのプレゼントや、真心のこもった手紙は、嬉しいものですよね」
 男性委員と遠矢の言葉を聞き、私の描いた下手くそな似顔絵を見た複数の委員が涙ぐんでいます。つたなくて素朴な、子どもらしい心が、委員たちの親心に響いたようでした。

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