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『永遠にひとつ』第12話 再生

 神田博士は、私の疑問に優しく答えてくれました。
「アンドロイド・DAPHNEダフネモデルは、そもそも『何かの役に立つ』ことを狙って作られたものではないんだ」
「じゃあ、なんで」
 博士は苦笑しながら、まあまあと私を宥めます。

「君は、人間の良きコンパニオンとして可愛がられる存在で良いんだ。『えっ、そんなので良いのか?』と君は思うかもしれない。だけどね。実は人間だって似たようなものなんだよ。愛したり愛されたりするのに、その人が役に立つかどうかなんて、あまり関係ない。その人の命の重みが決まるわけでもない。そのことの意義を問うため、実感するための存在として、君は生まれたんだよ」

 全く想定していなかった答えに、私は意表を突かれて、黙り込んでしまいました。博士の言葉には、とてもたくさんの意味があり、重みがあります。私は、真剣に理解しようと額に手をやり、眉の位置の皮膚を揉みほぐしました。……私のその仕草に、博士の目が眼鏡の奥できらりと光ったことには気づきませんでしたが。
「……博士、急に押し掛けたにもかかわらず、私の悩みを聞いてくださり、相談に乗ってくださり、ありがとうございました。私、これまでの中で一番、自分自身について理解できたような気がします」
 まだ博士の言葉が全て理解できたわけではなかったけれど、私は笑顔を作って立ち上がりました。ギャザースカートのウエストを掴み、左右の位置を整えると、博士が変なことを聞いてきます。
「今、スカートをくるくる回したけど、それはなぜ?」
「? 私、お転婆てんばなので、歩いたり座ったりしている間に、スカートの中心が、ずれてしまうことがあるんです。だから、立ち上がった時とか、折を見て直すんですけど」
「スカートの位置がおかしいとか、そうやって回して直すと良いとか、誰かに教わったのかな?」
「いいえ。遠矢は目が見えていた時から私のスカートの前後どころか、裏表が逆だって気付かないような人です。弓美さんは、活動的でパンツスタイルが多いから、スカートのそういうことは話したことはありません。私が自分で、何となくそうしたほうが良いと思っただけ」
 いぶかしげな表情を浮かべていたのでしょう。博士は苦笑いを浮かべ、私に謝ってくれました。
「変なことを聞いて申し訳なかったね。アンドロイドの行動としては、ちょっと物珍しかったものだから。つい聞いてしまったんだ」

 驚くべきことだと言って良いでしょうが、遠矢は芸術家として再起しました。視力は失われましたが、手で触って形を作れる彫刻にはこれまで以上に力を注ぐようになりました。絵画ですら、欲しい色やイメージする色を私に伝え、それに合った絵の具を私が用意して、絵筆を彼に渡すという形で創作を再開したのです。
「ダフネ、バーミリオンを」
「筆は硬毛よね。何号?」
「十四……、いや、十六号を頼む」
「はい。バーミリオンで、十六号よ」
 私は、絵の具を乗せて、筆を彼の手に握らせます。
「ありがとう」
 遠矢は注意深くカンバスを触り、自分で描いた下絵の線を確かめながら、色を塗っていきます。視力を失ってから、彼は、少し凹凸のできる画材で下絵を描くようになりました。
「その隣は、ビリジャン……では強すぎるんだよなぁ。何が良いだろう、ダフネ」
「そうね……、ビリジャンが強すぎるとしたら、パーマネントグリーンとか、カドミウムグリーンディープとかはどうかしら」
「ああ、それは良いね。カドミウムグリーンディープを頼む」
「はい」
 私は彼に絵の具を乗せた絵筆を渡します。
 下絵を確かめたうえで、あえて無視したり、はみ出したりして描くこともあります。
「筆の勢いが大切なんだ」
「そうね。心の目で描くんですものね」
「……心の目? ダフネ、それは君の言葉か?」
 遠矢は、はっと息を呑みました。
「あら、覚えてないの? 絵を描き始めた頃、あなたが私に教えてくれたのよ」
 私が、絵筆を洗いながら笑って答えると、彼は何か感じるところがあったのか、考えこんでいました。
「そうだな。私の心そのものだよな……」

 その日以来、彼の作風は、また更に変化を遂げました。これまでは、いかに視力があった時と同じように描けるかに腐心していましたが、大胆に、抽象的な色形の中に、自分の心の叫びを込めるようになったのです。

「……これはまた、すごいものを出してきたなぁ」
 とりわけ遠矢と懇意にしている画商を自宅に招くと、彼は作品を一目見てうなりました。
「天才・光崎遠矢の復活。……いや、覚醒かくせいだ。自らを燃やし、新たな生命を生み出したと言って良いだろう」
 彼は快く、むしろ前のめりに、遠矢の作品を彼のギャラリーに持ち帰ってくれました。遠矢を高く評価してくれていたお客様や評論家に、新しい作品があることを連絡すると、みんな一目散に駆け付け、唸り、あっという間に全ての作品の買い手が決まってしまったそうです。

「光崎さんは、前よりも制作に時間が掛かるので、次の作品が来るまでお引き渡しは待ってくれとお願いしているんです。次が描けたら、必ず連絡くださいね! すぐ取りに伺いますので」
 画商さんとの電話で、遠矢は微笑んでいました。
「私の絵を気に入って、家に飾りたい、コレクションに加えたいと思ってくださるお客様がたくさんいるなんて、ありがたいことだな」

 以前の遠矢なら、芸術家に制作を急かすなんて、と、憤慨していたかもしれません。視力を失うという、画家にとっては致命的な大怪我の後、彼の作風は大胆になったものの、人柄はむしろ丸くなったようでした。

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