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『永遠にひとつ』最終話

 それ以降、数十年後に異国の地で亡くなるまで、神田博士が私たちと会うことはありませんでした。セントラル・インダストリーで研究所長になっていた飯田さんは、泣き腫らした目で教えてくれました。
「神田博士は、延命治療を拒否されて、最後はご家族に見守られて安らかに亡くなったそうよ」

 神田博士と同年代だった遠矢も、ほどなくして天に召されました。風邪をきっかけに肺炎を起こし、老衰した身体では『あと二、三日だろう』と主治医から宣告されました。

「人間は死ぬものだ」
 遠矢は、自分の死が近付いていることを受け入れていました。この時代には、様々な手段で、自分の身体を一部アンドロイド化する人がいましたが、遠矢は自身のアンドロイド化を拒否しました。ですが、弓美さん夫婦や輝君のたっての希望で、彼の思考や記憶をクラウドコンピュータ上に移し、手足や目はないものの、外部から話し掛けたら返事をしたり、考えたりできる『頭脳』として残ってくれることになっています。

「今はすごい技術があるのね。月子さんが亡くなった時は、こんな技術なかったんでしょう?」
「そうだな。でも、生まれたり死んだりする時代によって、医療やITの違いで、助かったり助からなかったりするのは、自分ではコントロールできないことだから仕方ない。
 ……私は君と出会えて、幸せな人生だったよ、ダフネ。この身体はもうすぐなくなるが、魂は、私の心は永遠に君のものだ。いつか君も修理が難しくなったら、あちらで逢おう。その時こそ、私たちは永遠とわにひとつだ。
 少しだけ先に行って、君を待っている。ゆっくりおいで。焦ることはない。時間だけはたっぷりあるんだ。なにせ、もう死んでるんだから」
 遠矢は優しい微笑を浮かべ、私の手を握り続けながら、眠るように亡くなりました。
 享年八十八歳でした。

「ダフネ、あなたはこれからどうするの?」
 遠矢のお葬式には、飯田さんが来てくれました。
「弊社で遠矢さんのご自宅を買い上げて、ここで、これまで通り過ごすこともできるわ」
 私はかぶりを振ります。
「弓美さんや輝君も一緒に暮らそうと言ってくれているんですけど。遠矢がいない世界に私がこれ以上いる意味が見いだせなくて」
 その言葉を聞いた飯田さんは声を低め、少し苦しげに言葉を紡ぎ出しました。
「……私が提示できる選択肢は、もう一つあるわ。クラウドコンピュータ上に頭脳を移すこと。そこにいる遠矢さんと再会できる。その代わり、あなたは手足を失い、自由に動くことはできなくなるけれど……」

 私は最後に、遠矢と月子さん――そして私――の愛した家と庭を、一通り見て回りました。彼のアトリエや、二人で初めてイーゼルを並べた睡蓮の池。引き離されるのではないかと不安に胸を震わせて彼と肩を寄せ合い、夏の星空を見上げたベンチ。彼と一緒に植えた沈丁花の木。色褪せない葉。あの日と同じように甘く香る花。その木に立てた誓いを思い出しながら、艶々とした常緑エバーグリーンの葉と小さい花を、私はそうっと手のひらで撫でました。遠矢への恋心は全く変わっていません。これまでも、そしてこれからも。

 私にとっての恋は、永遠とわにひとつ。

「じゃあ、ダフネ。あなたのデータをクラウドに移すから、身体の電源を切るわね」
 飯田さんの言葉に、私は目を閉じました。
 暗いトンネルを通り過ぎていくと、次第に明るい光を感じます。私を迎えに来た、ひときわ明るい光の矢。もはや身体を持たない私ですが、自分の表面温度があがり、中心が熱く、痛いようなうずきを感じます。泣きたいような、嬉しいような切なさ。この懐かしい感じ。遠矢。私はもう、二度とあなたと離れない。

         (完)

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