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『永遠にひとつ』第10話 彼の大切なもの

 弓美さんは、半ば冗談で、
「光崎遠矢事務所の本当の社長はダフネよね。私の名前は登記だけで、まさに『名ばかり社長』だわ」
 時々、そう言っていました。

 私ができた時から、既に目覚ましくアンドロイドやAIの技術は進歩しています。現在、国会では、アンドロイドを『人』として認めるかが議論されているほどです。契約行為や財産の所有、果ては選挙権や被選挙権を認めるべきか? 弓美さんも、法律がもし変わったら、ということが頭にあったのでしょう。

「私は、今の立場が気に入ってるから。欲しいものは何でも遠矢が買ってくれるし、何より、遠矢が喜んでくれれば、私はそれだけで満足なの」
「ああ、兄さん! あなた、愛されてるわね。人間の奥さんだって、こんなに健気じゃないわよ。やれお小遣いが少ないだの、あなたは私の話を聞いてくれないだのって文句言うのに。ダフネ、あんまり兄さんを甘やかしちゃだめよ?」
「まるで私がダフネに『おんぶに抱っこ』みたいじゃないか。私だって、ちゃんとダフネを大切にしているさ。そうでなきゃ二人の関係性は成り立たないよ。なぁ? ダフネ」
 二人から憤慨した表情で同意を求められ、思わず私はプッと噴き出しました。
「遠矢と弓美さん、さすが兄妹ね。そっくり」
 そうかなあ、と不満げに遠矢は立ち上がります。

 今日は、大型絵画を描くためにアトリエに足場を組む予定です。遠矢のアトリエも、最近は大型の注文が入るので、改築して以前の倍以上の広さになっていました。
 弓美さんをお送りした後、足場作りの手伝いのため、私も動きやすい服装に着替えてアトリエへ向かいます。
「遠矢。上には私がのぼるわ」
「ええっ? 危ないんじゃないか? いいよ、私がのぼるから」
「ダメよ。こないだ、足を滑らせそうになったじゃない」
「……ダフネに、あんまり重い物を持たせたくないんだがなあ。君は、そういう作業用に作られたアンドロイドじゃないし」
 遠矢は私を心配していました。

(ふふふ。遠矢だって、十分私に甘いのよね)
 そんな風に思いながら、私が足場にのぼりはじめると、遠矢は心配げに声を掛けてくれました。
「無理するなよ。ダメだと思ったら、数日遅れたって、業者を呼ぶから」
「遠矢。板を取って」
 足場に渡す板を、資材置き場から持ってきて、下から遠矢が私に手渡します。緊張しながら、受け取ろうとした時。資材置き場にあったパイプが、数本倒れて大きな音を立てました。驚いた私は身を竦めます。遠矢から受け取った板を落としてしまいそう。慌てて身を乗り出して掴みなおそうとしましたが、遠矢は逆に板を引き戻そうとしています。

(危ない!)

 恐怖にこわばった視線を交わした次の瞬間、私は地面に転落していました。
 叩きつけられ、しかも、私の上には遠矢が乗っかっている。地面と衝突した衝撃と、遠矢の重みに私は呻きました。そして、遠矢の重みが、彼の体重の何倍もあることに気づきました。

「遠矢!! 遠矢!? ねえ、大丈夫なの?」
 彼は意識を失っています。身体がぐにゃりとしている。脈はありますし、呼吸もしているので、生きてはいるようですが、私をかばってこんなに重い資材の下敷きになって、大丈夫なのでしょうか? 初めて私は、自分の身体に付いている緊急通知ボタンを、力一杯押しました。

 間もなく救急隊が駆け付け、崩れた足場と、その上に倒れてきた資材の山の下から、遠矢と私を救出してくれました。遠矢は頭と顔を強く打ったようで、ひどく顔が腫れています。手足にも、無数の傷がありました。一方、私は殆ど無傷でした。
「先生、兄の状態はどうなんでしょうか」
「手足や体幹に擦過傷さっかしょうや打撲傷は多数ありますが、いずれも軽症だと思います。危険なのは、頭部強打です。出血せず内部に血が溜まっていました。眼底を圧迫しているので、脳や視力にも影響があるかもしれません」
「そんな……。先生、兄は画家なんです。視力に障害が出るなんて……」
 取り乱しかけた弓美さんを、医師は慌ててなだめます。
「あくまで、可能性の話です。光崎さんの意識が戻ったら、詳しく検査をすることになります。それと、怪我に対する治療は、可能な範囲で既に始めていますので」
「ごめんなさい、弓美さん。遠矢は、高いところにのぼるのは危ないって言ってくれたんだけど。聞かなかった私が悪いの」
「いえ、ダフネ、あなたのせいじゃないわ。いつもやってる作業だものね。兄さんは、あなたが可愛くて仕方ないのよ。咄嗟とっさに身を投げ出して、あなたを庇ったんでしょう」
 泣きじゃくる私の肩を抱き、弓美さんは慰めてくれました。そして二人で、遠矢の頭と目が無事であることを祈りました。

 神様は、私たちの願いを半分だけかなえてくれました。

 遠矢の脳に問題はなく、思考や記憶はしっかりしていました。一方、彼は、視力を失っていたのです。

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