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『永遠にひとつ』第11話 存在意義

「光崎さんの視力を回復するのは、現代の医療では難しいと思います」
 医師の診察結果を聞いた弓美さんは泣き崩れましたが、遠矢は落ち着いていました。
「それで、ダフネはどうですか? 直せないほどの損傷とか、そういうことはなかった?」
「ええ。ダフネさんは、ほぼ無傷です。どこも壊れていません」
 困惑気味に答える医師に、遠矢は、まだ包帯だらけの顔を向け、口元には笑みを浮かべながら語り掛けました。
「ああ……、それなら良かった。
 先生。アンドロイドの為に自分の身を投げ出すなんて、私を馬鹿な男だとお思いですか? 実は私、三十代のうちに妻を亡くしているんです。パートナーが病で弱っていくのを、手をこまねいて見ていることしかできないのは、我が身を切られるような辛さでした……。ダフネは血を分けた我が子にも等しい存在です。大切な人を自分の手で守ることができて、自分も生きている。目が見えないだけで、健康な手足もある。こんな幸運なことはありませんよ」
 遠矢の言葉に、弓美さんの嗚咽は更に止まらなくなりました。あまりに泣くと、遠矢が辛くなると思ったのでしょう。彼女は病室を出ていきました。遠矢は、弓美さんが出て行ったことに気づいたのでしょう。出入り口のほうに顔を向け、大きく溜め息をつきました。

「ダフネ? 君は今、そこにいる?」
「ええ、遠矢。ここにいるわ」
 彼の手を取り、私の顔に触れさせると、彼の口元が嬉しそうに笑いました。そして指先が、額から眉へ、そして鼻へ。瞼や唇、頬にも順に触れていきます。
「ああ……。触っただけで分かるよ、君だって」
 笑っていた彼の口元が歪み、震え始めます。
「……不思議だな。もう涙なんか出ないのに、泣きたい気がするんだ。こうして君に触れていると、改めて感じる。生命は力強くて、豊かで、そして美しい。
 ……君は本当に綺麗だ」

 私は、機械のアンドロイドだというのに。彼は『生命』だと言ってくれた。私の頬を涙が濡らします。遠矢はそれにも気付き、優しく私を慰めます。
「ダフネ、どうして泣くんだい? 私は幸せだよ。君という大切な存在を守ることができたからね」
「私は機械だから、壊れても直せるのに」
「でも、身体が押し潰されたら、きっと、ものすごく痛いじゃないか! 私は、君に苦痛なんて感じて欲しくないんだ。……それに、君への気持ちは理屈じゃないんだ。気が付いたら、君の上に身体を投げ出していたんだよ」
 大怪我をして、画家の命とも等しい視力を失ったのに、微笑んで私を慰めている遠矢。
 壊れた部品は交換さえすれば直せるアンドロイドなのに、マスターの遠矢の身体を犠牲にして守ってもらい、しかもめそめそ泣いて慰められている私。ますます、私は惨めな気持ちになりました。

(私の目が見えなくなったほうが、どんなに良かったか)

 心の中では、そう思いましたが、もちろん彼の前では言葉にできません。
 私の前では、おくびにも出しませんが、遠矢一人の時には、絵を描こうとして、思うようにゆかず苛々したり、腹立たしげに画用紙を破り捨てたりしていることを、知っていました。絵の具チューブに点字で色名を書いたシールを貼り、自分で欲しい色を探そうとしていましたが、まず、点字を覚えることに苦労していました。夜、病室に一人でいる時、彼は唸り声をあげていることもありました。痛みや、芸術家生命の危うさに対する苦悩でしょう。

 私は遠矢に何もしてあげられない。
 マスターの遠矢から、一番大切なものを取り上げただけで、何の役にも立っていない。もどかしくて、申し訳なくて、私は居たたまれない気持ちでした。

 一体この世界で、私は何のために、誰のために存在するのだろう。

 女性として遠矢に愛されなくても、彼が娘として私を必要としてくれるなら、それで良い。一度はそう考えて気持ちを整理した私でしたが、自分が何の役に立っているのか、そもそも何のために存在するのか全く確証が持てず、足元が崩れていくような気分でした。

「……あの。私は、こちらのラボで作られたアンドロイドのダフネですが、神田博士はいらっしゃいますか?」
 白いコンクリート打ちっ放しの壁とガラスで直線的に作られたモダンなラボの建物の受付でスピーカーに話しかけると、女性のような機械音声が返事をしました。
「神田博士にお繋ぎします」
 何度かコール音が鳴った後、不機嫌そうに博士が出ました。
「……はい、神田ですが」
「神田博士。私、アンドロイドのダフネです。光崎遠矢の」
 おずおずと名乗ると、ひゅっと息を呑む音が聞こえました。
「……そのまま、右のエレベーターに乗って三階に来て。私の部屋は分かるね?」
「はい。場所は分かります」

 博士が何も聞かずに会ってくれることにホッとした私は、言われた通り三階に向かいました。博士のお部屋に行ったのは一度だけですが、アンドロイドの私には、覚えるにはそれで十分です。そのことを、生みの親である博士は当然知っているのが、今は頼もしく感じました。

「君のほうからアポ無しで急に来るなんて珍しいこともあるもんだ。……そういえば、光崎さんが大怪我をしたと聞いたが。君は大丈夫かね」
 お部屋に通してくれるなり、単刀直入に聞いてきた博士でしたが、遠矢と私の怪我を気遣う表情には純粋な心配が浮かんでいます。私の目からは涙が一気に噴き出しました。

「……私は、どこも何ともありません。遠矢が守ってくれたから。でも、遠矢は、遠矢は……。画家なのに、目が見えなくなってしまったんです。私のことなんかほっといて、逃げてくれたら、こんなことは起こらなかったのに!」
 最後は泣き叫ぶようになっていた私の背中をぽんぽんと撫でさすると、博士はティッシュの箱を差し出しました。
「大事なマスターに怪我をさせてしまって、そんなに責任を感じていたのか。可哀想に。光崎さんは、君のせいじゃないって言ってくれたんだろう?」
 私は頷きながら、ティッシュを数枚箱から引き抜き、涙を拭きました。
「遠矢は、これ以上、大切な人を亡くしたくなかったから、私のことを自分で守ることができて嬉しいって……。でも、私は、彼のパートナーですらないのに!」
「光崎さんは、それだけ君を大切に思っているということだろう。パートナーであるかどうかに拘わらず、ね。これからも彼を支えてあげなさい。それだけで、光崎さんは、自分のとった行動は報われたと思うはずだから」
 一度拭ったはずの涙が、また湧き出て来て、私は顔をしかめました。
「おやおや。ダフネはずいぶん泣き虫なんだな。そんなに光崎さんが好きなのか。……君たちは幸せだよ。こんなにお互いを大切に思っているマスターとアンドロイドは、なかなかいないからね」
 神田博士は、からかうような口調で口元には小さな笑みを浮かべていますが、目元には同情が浮かんでいます。私は、思い切って一番の疑問を博士に直接ぶつけてみることにしました。

「なぜ、博士たちは、私のようなアンドロイドを作ったの? 力が強いわけでも、知能が高いわけでも、何かの技術を習得しているわけでもない。何の役にも立たない。私は何のためにこの世に存在しているの? 存在していて良いの?」

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