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『永遠にひとつ』第4話 初めての旅行へ

 最初は、模写する絵を選ぶ時しか開くことのなかった画集を、自分から進んで眺めるようになりました。どうすれば、こんな色が出せるのだろう。どうしてこんな形に描いたのだろう。絵を描くことに対する人間の考えや気持ちは、とてもふくざつで、ややこしい。そこに、私はひきつけられました。

 何枚か模写を描き上げた後、遠矢が言いました。
「そろそろ、模写でなく、自分の絵を描いてみようか。今日はお天気も良い。一緒に庭に出て、睡蓮を描いてみようよ」
 私はうなずいて、いそいそと自分のお絵描きセットを持ちました。庭に私のイーゼルを立ててもらい、少し考えこみました。

(そうだ!)
 アイデアを思いついた私は、勢い良く描き始めました。
 初めて私が描きあげた自分自身のスイレンの絵は、夜の景色でした。星を映す池の水は、ゆらゆらとゆれ、月明かりに照らされた花は白く光っています。

「すごいな……。とても初めてとは思えないよ。こんなにお天気の良い昼間に、夜の景色を描くとは。ゴッホの『星月夜』『糸杉と星の見える道』みたいな勢いすら感じる。ダフネには、絵の才能があるかもしれないな」
 遠矢はうれしそうに目を細め、私の頭をなでてくれました。この家に来てから遠矢が一番喜んでくれたことに満足して、私は、にっこりほほえみ返しました。
「……ところで、一つ聞いて良いかな。この三日月なんだが。実際の月が満ち欠けしていく時は、縦に細長くなっていくことは君も知っているだろう? ゴッホの絵もそうだ。なぜ君は、三日月を横に倒したように描いた?」
「……なぜかしら。頭に思い付いたままを描いたの」
「あぁ、ごめんごめん。実際の月と違うことを責めている訳じゃないんだ。君の初めての絵が、あまりに独創的で驚いただけなんだ」

(あっ、まただ……。遠矢はうそをついている。私の描いた月の何かが気になっているのに、ごまかそうとしている)

 少し前までは、嬉しくてほおやむねがあつくなるほどだったのに、ぎこちなく片ほほだけを引きつらせた遠矢の笑顔に、私のうれしさは、しゅるしゅると音を立ててしぼんでいくようでした。しょんぼりとうつむいた私のかたを、やさしく遠矢はたたきます。
「アイデアや目の付け所が良い。敢えてデフォルメした月は個性的だ。まさに、君にしか描けない絵だよ。オリジナル一作目としては、申し分ないどころか、それ以上だ。素晴らしいよ」
「……そんなことないわ。プロの画家の有名な作品から、色々組み合わせて真似しただけ。遠矢だって、気づいているはず」
 すっかりいじけた私は、画用紙のはしっこの折れ曲がった部分を伸ばそうと、しつこく紙を引っぱり、遠矢の顔を見ませんでした。
「まぁ、この部分は誰それかな、と感じるところはあるよ。でも、君が初めて描いた絵だとは、とても思えない。他のプロの画家に見せても、アンドロイドが描いた初めての作品だと言ったら、驚くだろうね。それくらい良く描けている。……もうすぐ夏だ。一緒にスケッチ旅行に行こうな」

 旅行。遠矢と二人で。私は、一気にゆめ見心地になりました。これまで、ラボと遠矢の家、そして弓美さんの家しか知らない私が、外の世界に行けるだなんて。
 テレビや雑誌、インターネットで見るような外の世界を頭に思い描き、すっかり心をうばわれ、うっとりした顔をしていたのでしょう。遠矢は、私がきげんを直したことに、ほっとしたようでした。私は、遠矢が私のきげんを気にしてくれたこともうれしく思いました。遠矢にとって、私が大切な『そんざい』だと思えたからです。

「明日から奥入瀬おいらせ渓流けいりゅうに行くのね? ダフネと一緒に」
「ああ。一週間程度で帰ってくると思う」
 弓美さん宅に、私が育てている朝顔の鉢植えを持って行き、るすの間の水やりを輝君にお願いしました。輝君は、庭にいる犬と一緒に遊ぼうと、私をせかします。立ち上がり、居間を出る時に、私の後ろで遠矢と弓美さんが話しているのが聞こえました。

「……兄さん。あの子のこと、どう考えてるの。どうするつもりなの?」
「どうもこうもないさ。娘みたいなものだよ」
(弓美さんは、私のことを話しているのかしら。どうして、あんなに不安そうな顔をしているのかしら)
 弓美さんも、私の大好きな人です。私が不安の原因だとしたら、どうしよう。

 生まれて初めての旅行は、楽しいことばかりでした。電車やバスにも初めて乗りました。人間も、たくさん見ました。他のアンドロイドも、何体か見ましたが、残念ながら、お話しできませんでした。
 何よりすばらしかったのは『おいらせ』の自然です。木や、こけの緑色があざやかで、さやさやと流れる川は、白いしぶきを立て、涼しいです。
「遠矢。空気がおいしいね!」
「ほう。ダフネにも、奥入瀬の空気の味が分かるんだな。……イテッ!」
 遠矢が冗談で言っていることはすぐに分かりましたが、私は、大げさにほおをふくらませて、すねたふりをして彼の背中を叩きました。
「そんなに強く叩いてないわよ」

 それから二人で顔を見合わせて声をあげて笑いながら、川べりに簡単なイーゼルを立てました。ハイキングしている人たちのじゃまにならないよう、小さいものです。今回は、二人とも水彩とパステルを持ってきました。
「遠矢がパステルで絵を描くなんて珍しい。せっかく、こんなに遠くまで来たのに、簡単な絵しか描かなくて良いの?」
 不思議がると、遠矢はにっこりしました。
「これは『習作』と言って、練習なんだ。本当の作品というのは、心の目で見て、心で描くんだよ。だから、これで良いんだ」
「心の目……」
「うん。そうだなぁ、例えば、君と私とでは、同じ場所に立って、同じ景色を見ているのに、違う絵を描いているだろう? それは、感じていることとか、絵を見た人に、何を伝えたいかが違うからだろうね」
 遠矢は、だんだん難しい話をするようになっていました。私が彼と暮らすようになって、半年以上が過ぎていました。

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