【豊竹咲太夫】義太夫節の世界へ導いてくれた人。

義太夫節
歌舞伎や文楽で用いられる、浄瑠璃の流派の一つ。文楽の語り手である太夫が使う。

豊竹咲太夫
文楽の語り手である太夫。最も重要な場面を語る「切り場語り」を務めた。人間国宝。今年1月31日に亡くなられる、79歳。


豊竹咲太夫さんの義太夫節を初めて聴いたのは、今から9年前、2015年3月。春を目の前にしながらも、まだまだ底冷えのする京都での公演だった。初めての文楽鑑賞だった。

咲太夫さんの語る義太夫節の感情豊かで、体にぶつかってくるような大きな声に圧倒された。

義太夫節と言えば、低音でハスキーなくせのある声のイメージがあった。だが咲太夫さんの声は、声楽のテノールのような高音で艶のある声で、文楽初心者には耳にすっと入ってきて聴きやすかった。

咲太夫さんらが語る義太夫節以外にも、3人で動かされる人形の華麗な動きや、太棹三味線の腹に響く太くて大きい音。それらに圧倒された衝撃と余韻はすごかった。そのせいか、当日の劇場の受付やロビー、観劇の行きや帰りの風景は、9年経った今でも覚えている。

文楽に魅了された私は、咲太夫さんが出演されていた翌月の大阪にある国立文楽劇場の公演へも足を運んだ。
この時、咲太夫さんが語られていた一ノ谷嫩(ふたば)軍記「熊谷陣屋の段」は、私の一番好きな演目となった。

「熊谷陣屋の段」では、武将の熊谷次郎直実が、主君のために我が子の命を差し出したことに苦しむ。その懊悩する心を昇華させる咲太夫さんの語りは素晴らしかった。

後日、テレビで放送された「熊谷陣屋の段」は、録画して何度も見返している。そこでの咲太夫さんの語りに、今でも惹きつけられている。

初めての文楽鑑賞から9年経った今。ラジオでの義太夫節の放送を楽しみに、録音して聴いている。それくらい義太夫節が好きになった。

その義太夫節の魅力を教えてくれたのは、義太夫節の世界へ導いてくれたのは、豊竹咲太夫さんだった。

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