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【文楽】美しい世界

生きているように華麗に操られる人形。

語り手の太夫の過剰と言えるほどに感情豊かな大きな声と、体にぶつかってくるような語り。

観客の体を直に震わせるかのような、低くて大きな三味線の音。

これらが一体となって迫って圧倒してくる。

自分が体験してきた映画のようなエンターテイメントとは全く違う、観劇後の強烈な余韻。

体の芯を揺さぶってくる芸。


文楽を観て「すごかった」という言葉を説明すると、こんな感じになる。


文楽のストーリーは特殊だ。

仕えている主君のためとは言え、そこまで恩があるとは思えないのに、自分の子どもの命を差し出す。

とても短気で浅はかで、死を選ばざるを得ない状況に自ら陥ってしまう。

はたからみると、そんな理解に苦しむあらすじでも物語の世界に入り込むと、そうなる必然性を感じるし、演者の芸が素晴らしくて物語に引き込まれると気にならなくなる。

そんな理解に苦しむ、極端とも言えるストーリーを生きる登場人物たちは、しかし文楽の世界では確かに生きている。

その世界は、とても純粋で美しい。

文楽の世界の最高に美的で、そうありたいと思う振る舞い。だが、現実にはそうはならない。ただ、そうはならない、その虚構を人形に託すことで文楽の世界は成立している。

設定を極端にし、人形が演じることで、世界を極限まで純化して美しくする。

文楽の魅力は、そこにある。

その魅力をぜひ劇場で生で見て、体感して欲しい。

だが、そう言っても響かないだろうと思う。


語られている言葉はほとんど、初めて上演された300年くらい前のままな上に、短歌のように七五調だから何を言っているのか、初心者にはほとんど分からない。

舞台の上や横に表示される字幕を頼りにして、やっと何となく言葉の意味をつかむ。


作品も同じように初めて上演された300年くらい前のままだから、価値観が違う。
しかも、上演されるのは物語全体の一部になることが多いから、余計に分かりにくい。

事前にあらすじを予習してからでないと理解できない。


ただでさえ古典芸能の世界は敷居が高い上に、文楽がそういう風に難しいと、まだ観たことのない人が劇場になかなか足を運びづらいのは分かる。

ただ、このnoteを読んで「文楽ってすごいらしい」っていうことが伝われば嬉しいし、もしかしたら何かのきっかけで文楽を観に行くことに繋がれば良いな、と思ってこのnoteを書いている。

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