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”就活”をしながら考えた、資本主義社会と私

自分の未来を決める就職活動ってワクワクするもんじゃないの?
仕事って楽しいものじゃないの?
履歴書の書き方、顔写真の張り方、リクルートスーツ。
BULLSHIT(クソ)みたいなルールに縛られた”就活”に自分を殺されるな!!

私は今春には大学四年生になります。

私も他の大学生と同じように卒業後の進路を考えています。

でも大学生が一般的に行う就職活動にならって進路を探そうとすると、

「あ、就職活動ってクソだな」と肌で感じる。

これって誰が決めたの?何でこんな風に決められているの?
というような暗黙のルールが山ほどある。

でも私は、まだ社会に出たことがないから、

就職活動って本当は自分の未来が広がるもので、ワクワクするものであるはずじゃないの?とか思いつつ、

社会で働くとはこういうルールを守れることが必要なのかな、とも考えてしまっている。

でも今回、Choose Life Project さんの「クソみたいな仕事は誰のため?」という議論を視聴させて頂いて

私が感じる就職活動への不満や違和感は、決して間違ったものではなく、就職活動はクソみたいなものなんだなと、改めて感じた。

そんなクソみたいな就職活動のことを私は、皮肉を込めて”就活”と呼ぶことにする。

逆算の大学生活

大学生は”就活”から逆算して動く。

四年生の三月ごろに行われる新卒一括採用に合わせて、

大学三年生にもなれば”就活”準備は始まり、着たくもないリクルートスーツを揃え、表面的な自己分析をして、とりあえずインターンシップに行き、評価を得るためだけの面接の練習をして、エントリーシートの少ない文字制限の中に自己PRを書いて、、、

“就活”のために決められたことをしなければならない事があまりにも多い。

また、大学生活での活動まで”就活”のために時間と労力を費やす人もいる。

「就活で有利だから~する」みたいな。

それらの行動の全ては、いいと思う企業に入るため。

でも果たして、その”就活”のために使われる時間は私たちに何をもたらすのか。

またその時間は、高い学費を払ってまでしなければいけない時間なのか。

”就活”に奪われる時間とエネルギーは膨大で、
みんな「仕方ない」と、自分を殺して”就活”をする。

BULLSHITな”就活”

こないだ大学で行っていた就職関係のセミナーを受けてみたが、

証明写真が少しでもズレていたら落とされるとか、締め切りギリギリにエントリーシートを出したら時間にルーズな人に思われるとか

今現在日本で行われている"就活"にはほんとにがっかりする。

求められる行動に疑問を持たず、とにかく決められたことをやるしかないのだ。

こうして企業からの内定を貰うためには、逆算的で超効率的で画一的なルールに従う行動が求められる。

でもそれらの行動が、自分の為になるモノならいいが、ほとんどが「企業に入るため」という目的で行われている。

そこに従うものは社会に迎え入れられ、背けばその社会からは相手にはされない。

社会経験がなく、将来に不安を抱えているほとんどの大学生にとっては、そこに従わざるを得ない人がほとんどだと思う。

大学生という社会的経験が薄い弱みに付け込んで、企業側の都合のいいように会社に取り込もうとする違和感を感じる。

対して学生は、就職できなかったら、、、という恐れやプレッシャーから”就活”をせざるを得ない環境がある。

それによって奪われる時間と労力は甚大だと思う。

等身大の自分で判断されず、プレッシャーを与え、企業が大学生を商品としか見ていない”就活”は、

”今はそういう社会だから仕方ない”のか?

それに従うか、またはその社会から飛び出すしかないのか?

このクソみたいな”就活”は一体どこからくるのか?

終わりのない資本主義社会

社会に出ると、こういう理由も根拠のないことを嫌でもこなさなければならないのか。

きっとそうだと思う。なぜなら、現在の世の中の流れでもあり、”就活”を形作っている「資本主義社会」が目指しているのがそういう社会であるから。

Choose Life Project が企画した「クソどうでもいい仕事は誰のため?」のなかで紹介されたクソどうでもいい仕事。

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”就活”のテンプレートのように、自己分析と自己アピールを繰り返して、

自分をさも、その会社に向いているように振る舞い、会社にようやく入れたはいいものの、仕事や残業に時間を追われている人が多いかもしれない。

それは、会社が生産性を上げようと他の会社と競争しているから。

その競争に負けないよう、みんな自分の会社が生き残るために必死に働く。もちろん自分の家族や生活を守るためにも。

でもこの競争の終わりは一体どこにあるのか?どこがゴールなのか?

それはきっとこの社会のトップにいる人たちですらわかっていないと思う。

ライバル会社に勝っても、新たなライバルが現れるかもしれないし、時代の流れは速くて、一つの産業だけでは競争に勝てないからどんどん新しい分野でも競争しなければいけない。

私たちは、目の前に必死で、どこに向かっているのか、どこを目指しているのか、いつ競争が終わるのか分からない船に乗っている。

私たち大学生が必死になって、乗ろうとしている船はそんな船のように思う。

資本主義社会の中のフェミニズム

保育士や看護師、介護士や家事育児の低賃金あるいは無賃金労働は、この社会が生み出した産物である。

これらの仕事は、エッセンシャルワーカーorケアワーカーと呼ばれる、私たちの生活を維持する上で欠かせない職業であるのにも関わらず、労働力と対価が見合っていない場合がほとんど。

家事や育児に至っては対価などはなく、無償で行われる。

それにも資本主義の影響がある。

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デヴィッド・グレーバーは、資本主義社会の下では、

ブルシットジョブ(クソどうでもいい仕事)こそ好待遇な労働条件で、

エッセンシャルワーカーのような日常生活に必要な仕事こそ対価が低かったり、残業が多かったり、待遇がよくない傾向にあると指摘しています。

そのような構図になったのは、戦後の歴史の流れから、男性が家の外で仕事をし、女性が家事や育児などのエッセンシャルワークを担うようになり、男女の社会的・経済的格差が生まれたから。

国の予算を決めている国会もほとんどが男性で、エッセンシャルワークに対する理解がない。

今回のコロナ禍でも、過酷な仕事に追いやられているエッセンシャルワークへの補助金よりもGo toキャンペーンなどの、経済を回す方にお金が優先されている。

対してエッセンシャルワーカーは、忙しすぎて社会運動など声をあげることもできない。声をあげることがなければ、メディアにその声が取り上げられることもないし、社会にその声が届くこともない。

私はエッセンシャルワーカーの賃金が安いという違和感は感じていたが、それがなぜなのかはわからなかった。

でも今回の議論を聴いて、それらは資本主義社会の産物だったんだと気づいた。

資本主義社会の中でどう生きるか

正直私は、生意気で頭でっかちになって、ただ社会を批判しているだけかもしれない。

でも私は日本の未来を面白くしたいし、生きやすい世の中になってほしいと思っている。

けど、履歴書の写真の張り方や就職活動のマナーとか、もちろん郷に入れば郷に従えという言葉もあるように、それがその会社のルールなのかもしれない。

ただ、私はその人自身ではなく、何か根拠のないルールのようなもので判断する会社が、社会に面白いものを提供できるとは思えないのだ。

将来が決まっていない若者は不安だし、会社に入ってお金を稼がないと死ぬとみんな思っている。

それだけみんな格差社会に生きているうちに無意識的にお金に対してプレッシャーを背負っているし、それによって今までの人生の選択をしてきた。

だから新卒一括採用の時期になると大学生は必死になって、取り残されないようにと、嫌でもたくさんの企業に猛アピールし、”就活”する。

またその新卒一括採用というのを逃せば、次に募集がかかるのはまた一年後になってしまう。ただ、もうその頃には新卒として扱われないため企業側の視界に入らないことも多い。

だから、大学生活をかけてその新卒一括採用を目指して、とりあえずお金を安定して稼げるような企業に自分を売り込みにいくのだ。

今私は、社会に問われているような気がする。

「どうすんの?社会に入るのか、抜けるのかはっきりして」

私はこの休学中の一年間でだいぶ寄り道をしてしまったようだ。人生の豊かさを学んだけれど、同時に社会との距離感も感じてしまった。

そんな社会の進む道と自分の進む道のジレンマに挟まれた私に今できることは、ワクワクを感じる方へ進む決断をすることなのかなと思う。

それが後々、社会と自分の豊かさの感じる所とでいいバランスを取ってくれるのではないかと思う。

迷っている今は現実にある。今後私がどこにたどり着くのか分からない。

こんなこと言っているけど、何年後かにはもしかしたら

「資本主義最高~~~!!!」

と叫んでいるかもしれない(笑)

自分の未来が分かる人なんていないのか。なるようになるんだ!

Choose Life Project:&nbsp:https://cl-p.jp/


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