今夜は、『自我』について語ります。
今まで黙っていたわけではないのですけど、僕の「書くこと」は自我を打ち破る修行と思ってやってました。そして継続中です。
さらには、「自我が分かったと言えるのか?」と自問しております。
それでもこの問題が人生の苦しみの根源ではないかと最近感じたことがありましたのでnoteにまとめようと思います。
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それは勤務先のマネージャー(と言っても後輩)の姿を見ていたて感じました。
彼とは前々から、他部署からねじ込まれた休日の仕事めぐって、僕ら一般社員と軋轢が生じていました。話し合いを続けた結果、それぞれ依頼元の部署に差し戻したいとの意見がある。それを会社の上層部に挙げると、マネージャー氏が折れたんです。
そして昨日(金曜日)の朝のこと。朝出勤するや、僕らのところに駆け寄ってきたマネージャ氏。続けて開口一番「やっぱり会社は意見を聞き入れず、どうしてもこのチームでやって欲しいと言われました」と僕らに告げたんです。その結果、
「なんでいつも俺たちばっかりなんだ!」
「ねじ込まれた仕事で大変なんだぞ!」
「この前の約束と違うじゃないか!」
とオフィスが過激な労働争議の場と化しました。マネージャー氏は土下座する勢いで「お願いします!お願いします!」の一点張り。
そのあと「話になんねーよ」とみんな不貞腐れ気味に仕事を始めたのです。それからというものマネージャー氏はデスクに伏せて調子が悪そーな感じに。すると「めまいがするから帰ります」と僕らに言い残し早退したのです。
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彼の人物評はというと僕ら一般職の間では、
「格好をつける」
「プライドが高い」
「一貫性がない」
「自分の意見がない」
でした。
たしかに僕に対しても「ロレッ⚫️スをしてると信用度が増しますよね」とか言いて腕時計を自慢したり。「スーツを着て来ない人は仕事が出来ない」と言ってみたり。「XX君から尊敬していると言われました」と(全部いらねぇーw)、とにかく『かっこツケ』がすごかった。
しかし、この彼のメンタリティーの根源はなんなんだろう?といつも考えてました。けれど昨日、早退する彼の背中を見ていて、これは自我が原因ではないか!と気がついたのです。
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強い自我を持っていると、調子のいい時は「俺はすごい」「俺は尊敬を集める人物だ」「俺は評価されて当然だ」「俺以外は皆んなアホだ」となる。すれば自然と「人を見下げる=上から目線」な言動となって現れるんだと。けれども中身が伴っていないので着飾ったり、身につけるものでしか自分を表現できない。もっとタチが悪いのはウソを言って自分を大きく見せたりね。
逆に調子の悪い時は「俺が悪いんじゃない」「アホが騒いでいるだけだ」と他責思考になっているように思うのです。そして、他人(ヒト)が変わるべきだとの「硬い鎧」をまとった「変われない自分」がそこにいる。
ここに気が付かなければ「無間地獄」の苦しみがずーっと自分に降りかかるだけですね。かくいう僕もこの苦しみに今も悩んでいます。けれども最近少しづつ気がつき始めました。
それは「苦しみのない人生はない」ということと、それと同時に「僕は僕にしかなれない」というのも分かったのです。
その考えを持ったので、人をうらやむことがなくなりました。本当に人と比べなくなった。どんなにお金を持っていようと、どんなにいい車に乗ろうと、どんなに美味しいものを食べようと、他人に対しては「それは良かったですね」としか感じない。
そして「僕は僕であっていいんだ」と腹の底から思っています。僕の存在は「親のせい」でも「他の誰のせい」でもなく自分が選択した結果です。自分で選択で起こる「苦しみ」「悲しみ」「怒り」「寂しさ」のどれも受け入れざるを得ない。受け入れるには許すしかない。許せないのなら、未来の自分を変えるために今を懸命に生きるしかないぞ!と、そう思うのです。
懸命に生きるための修行、それが「書くこと」だったんです。これは本当に運命の出会いでした。今後も「書くこと」「考えること」の素晴らしさを皆さんと共有していきたいと思っています。
おっと!大変長くなってしまいましたね。でもこれはとても大事なことです。
最後までのお付き合いありがとうございました。
それではまた。
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