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なぁ〜あのさ、犬、飼わない?

犬との付き合いは長い。30歳の時に初めて飼い始めたのでかれこれ22〜23年となる。

20代半ばで結婚し、それからしばらくは千葉県内のURに住んでいた。今に比べれば電車バスの便は良い場所で、最寄りのJRの駅までバスで5分の距離。当時は妻も働いていて、JRの駅までは同じバスを使っていた。

結婚から数年経った(1998年頃)ある日。僕のほうが帰宅が早く、妻の帰りを待っていると、

「今朝さ、バスの中に盲導犬がいたんだよ!」と帰ってきた途端少し興奮気味。話は続く。

「ご主人の座った椅子の下に丸まってて、でもバスを降りたら、尻尾がピン!って上がってちゃんと誘導してた!!」

「そうか。バス停のとこのコンビニで、白杖を持った人は見かけたことあるけど、盲導犬はまだ見たことないなぁ〜」

「多分、私が乗るくらいの時間なら、会えると思うよ!」

そのURのニュータウン集合住宅には「老若男女」「外国人」さまざまな人が住んでいる。中にはお身体に障害を持った方も。多分「半公営住宅」なので優先的な入居制度があったように思う。視覚障害を持った方も何人かニュータウン内で見かけたことがあった。

けど僕は盲導犬に会えなかった。

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そして2000年。2月に僕は勤めていた航空貨物の会社を辞め、当時勢いのあった業界、IT系企業の営業職へ転職をした。ところがこの会社は「超ブラック企業」。朝6時に家を出ると、会社に着くのが7時ちょい過ぎ。当日の営業予定を『アポイント票』に書き込み、ホワイトボードに一枚一枚全て貼り出す。朝礼声出し気合い出しで体と頭に『喝!』を入れ、朝9時から活動スタート。そして夜の8時までテレアポからの外回りが続く。終われば終わるで、営業会議と称した「大反省会」。反省会で起こったことはご想像にお任せするが、身も心も使い古して悪臭を発する雑巾のようにボロボロに疲弊し、ほぼエブリデイ家路に着くのは終電ギリギリ。毎日毎日僕らは鉄板の、上で焼かれて、ツラいよツラい。

ただ『いいこと』が一つだけあった。

その外回り営業で「青山」「広尾」「目黒」「高輪」の高級住宅街を歩いていると「ラブラドールレトリーバー」を連れた人をよく見かけた。

そう言えば妻が前に言ってた「盲導犬」てこの犬種がなるんだよなぁ〜と思い出す。

「かわいいですね」と飼い主さんに声を掛ければ、大体の人は「ありがとうござます」返してくれる。すると少し会話が交わすことができた。営業先で犬を眺め、飼い主さんと話をした時だけは、100%の確率でシワが寄っていたであろう「眉間」が緩んでいたのではなかろうか。

それは一服の清涼剤になった。が、すぐ『鉄板の上』に戻らなければならない。

そんな労務環境で働くのは半年が限界だった。発作的に6月末で退職。前々職を辞めるときに「ウチに来ませんか?」と声を掛けてくれてた会社があったことを思い出した。それが7月のこと。面接を経て8月に入社。それが現在の勤務先である。

だが、若気のいたりか、今度はやってやるとの意気込みからか、面接のときも入社後にも相当な「大ボラ」を吹いた。

「私、体力もありますし、航空貨物業界には8年間おりました。なので業界事情には精通しております。またですねぇ〜営業の経験もございますので交渉ごとはお任せください」と言ったあと「ドン!」と胸を叩く始末。

当時の上司は、これ幸いと、入社直後から色々な仕事を振ってきた。自分なりに全力投球した。しかし、仕事は同じでも会社が違えばやり方が違う、一緒に働く人も違う。それでも僕は、勘違いした「大ボラ」を吹くほどのプライドがあってか、同僚に対して仕事を教わるために頭を下げることができない。そんなことで当然のように、人間関係はうまくいかず、その報いの『ザ・我慢』の約5ヶ月間であった。

そして12月には、

いよいよメンタルを病み「うつ病」との診断を受けた。

その症状は突然顕著となった。ある日の朝、目が覚めても寝床から起きることができない。服を着替えようにも全く体が動かない。食事も全く味がしない。舌の「味覚芽」が反応するのは、毎日通っていた「養老の瀧」のビールと味の濃いおつまみだけ。そして、秋ぐらいから気分が重いなぁ〜と身体を引きずるようにして出勤する感覚はあったが、まさか『うつ病』とは思わなかった。妻も秋頃から全く笑顔がなかったと後になって僕に言っていた。

幸いなことに、その新しい職場(=現所属先)で兄弟のうつ病を経験した人がいて「精神科病院」の受診を勧めてくれた。本当に親切な人で当時の上司にも掛け合ってくれて、受診日には休みをもらえた。

通うことになった「精神科病院」は例のJRの駅近く。通い始めた当初、その病院はとにかく混んでいた。診察を効率よく受けるにもひと工夫が必要だった。それはというと、通院日の朝早く、バスからJRに乗り換える妻が、診察券を「受付箱」に投げ入れ同時に「受付票」に名前を記入、僕に順番待ちの何番目かを電話する。そして時間を見計らって診察を受けに行くとのことを繰り返した。

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年が明けても受診は続いた。けど通い始めた年末ほどの混雑は緩和されていった。2月に入ったある日、妻が電話で「今日は1番目だったよ。だからもう起きて病院に行きなよね!」とのこと。

こんな早いのになぁ〜。会社行く時間と変わらないじゃん。でもしゃぁない。出かけるとするかぁ〜と着替えを済ませ、家を出る。そしてバス停に並ぶ。やがて遠くからバスが近づいてきた。

『プシュー!』『JR XX駅行きです。ご乗車どうぞ!』と後部ドアを開けてからの運転手さんのアナウンス。

整理券を取り、ステップを上がる。動き始めたバスの前方にある座席に『パッ』と視線を移す。するとそこには、この姿が!!

伏せをしてをするラブラドールレトリーバー<イメージ画像>

これには思わず涙が出た。
そして、やっと会えた感じがした。

妻がずーっと前に会った『あの子(犬)』とは違うだろう。しかし、これぞまさに、彼女が見たのと同じ、パートナーの座席の下で『クルン』と丸まって伏せをする『盲導犬』だ!

バスを降りて歩き出した「パートナー」と「盲導犬」。尻尾はパートナーに尽くす喜びを表すかのように「ピン」と真っ直ぐ立っている。先にバスから降りた僕は、その場で立ち止まり、その姿を朝の駅の人ごみに消えるまで見送った。

そして病院の診察を終え、一旦帰った。その日は妻の帰り時刻と合わせて、再び駅に出向く。駅近くのレストランで食事をした。

食事中、妻に「今朝さ、お前が前に言ってたのと、同じ感じの盲導犬にあったよ。思わず泣いちゃった」と話した。

「やっぱりバスにいたでしょう!かわいいよね!健気でさ!」

「それで、なぁ〜あのさ、」

「なに?」

「犬、飼わない?」

「え!」

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この食事の後の週末、買い物に行ったホームセンターの犬の生体コーナー。ラブラドールではありませんでしたが、カプセル状の展示用ケージではなく、外のサークルに出ていた「ビーグル犬」と触れ合い。そのまた数週間後『その子』を家に迎えることとなりました。

一番最初にウチに来たビーグル犬の『エピちゃん』9歳の頃。2009年1月撮影 

そして犬がくると笑顔が増えて僕の「うつ病」は忘れたかのように治まりましたとさ。

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ここまで、僕らの夫婦が犬を飼うキッカケとなったお話でございます。

まだまだ、語り尽くせぬ感じがいたしますが、そろそろお別れのお時間となりました。長らくのご辛抱誠にありがとう存じます。

それではここで、犬との出会いの話は『終演の運び』でございます。

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