僕は『卒酒』しました!
12月に入り『忘年会シーズン』ですね。お酒を飲む機会も増えることでしょう。コロナ禍もぶり返しているので会社を挙げて大々的には難しいでしょうけど、少人数での仲間同士、お酒を飲みながら、今年あったことを思い出すなんてのは、いいですね。
でも飲みすぎと体調管理にはお気をつけください。
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ところでタイトルに挙げた『卒酒』ですが。
そう書けばかっこいいですけど、今からお話しすることは全くいいことではありません。過去、お酒ではずいぶんと人様にご迷惑をかけました。
友だちや後輩の結婚式をぶち壊しかけ、住宅街の側溝(ドブ)で寝る、終電の終わった駅からつまみ出されることは数え切れず、ズラ疑惑のあった専務の正体を暴き、自分の吐いたゲロで背広を何着もダメにする、お持ち帰りは『バス停』などなど、それはそれは、いま思い出すと『冷や汗びっしょり💦』なことばかりやってました。
時効が成立しているので申し上げれば、僕は高校の頃から、バイト先の先輩に連れられて、居酒屋通いを始めました。最初はお酒の味なんか分からずに。それでも20代半ばに結婚するまで、晩酌は習慣になってませんでしたね。
飲酒エンジン全開になったのは、20代後半〜30歳になる頃です。携帯電話を持つようになると飲んでイタズラ電話や飲みの誘いがしつこかったらしく、職場でも札付きの『酒癖の悪さ』。そして次第次第にピークを過ぎた体力は下降線となり、40の声を聞く頃には飲むと記憶が飛ぶようになりました。
健康診断でも肥満体、高血圧、高脂血症、高コレステロール、脂肪肝との診断をうけ。エコー検査で腹部の皮下脂肪が厚過ぎて、超音波が届かないと言われる始末。しかし、それでも反省せず、飲み続けました。お酒に寛容な田舎暮らしを始めたのもあり、さらに飲酒エンジンが加速します。
普段の日は家で晩酌。土日となれば習い事(空手)の仲間と飲み歩く。もうお酒がないといられませんでした。暴力沙汰こそ起こさなかったものの、喧嘩や揉め事はしょっちゅう。妻は家で待たされてばかりだったと言います。
しばらくそんな生活が続き、40を少し過ぎたある日、決定的なことをやらかした。近所の工場で働いていた外国人実習生の送別会の席に僕らも呼ばれました。その会社の社長に声をかけてもらってです。
僕はそこに集まった近所の奥さんたちにものすごい「セクハラ」をやってしまったとのこと。そして、泥酔する180センチ90キロの大男(僕)を何人かでタクシーに押し込め帰らせたそうです。その時の記憶はブラックアウトして全く覚えてません。
翌日、社長が怒り心頭だと人づてに連絡があり、お詫びに行きました。しかし、直接会ってもらうことができず、持参した菓子折りを会社の人にお渡しして帰ってきました。けど、考えても考えても自分は何をやったかの記憶がない。もう虚しくてしょうがなかったです。
別の仲間からは僕を励まそうと「面白かったよ、問題ないでしょ」との電話を受ける。仕事の帰り道に行きあった町内の顔役の人からは「酒が悪いんじゃない。酒に飲まれたあなたが悪い」と怒られ。
でも、僕が知りたいのはそんなことじゃない。本当に僕は何をやったのかが知りたい。そしてどうすれば「許されるのか」、これからどうすれば「救われる」のかだ。と叫びたくなる心境でした。
そして、1週間後に父親が亡くなった。それは以前noteに書いた通りです。
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自分のことは自分で始末をつけるしかないと考えた僕は、お酒をスッパリ止め、以来お酒を飲んでいた頃の反省をずーっとしています。
なのでもう一生飲むことはないでしょうね。
いま思うことは、お酒がない人生も『僕はお酒を飲まないので』と言えば夜の付き合いも減るのでいいもんだなと。なによりシラフでいると、二日酔いもなく、時間を長く感じる。空いた時間は、自分の好きなことをできるのでいいものだと思っています。
毎年の年末、世間にお酒の匂いがしてくると、こんなことを考えています。
では、今日はこんなところでお開き。長々とお付き合いいただきありがとうございました。
それではまた。
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