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Uprooted

サムネイルはDONATO GIANCOLAによる挿画。著者のNaomi Novikは若者向けのファンタジー小説の書き手。閉鎖された魔法の学校という舞台設定に現代米国の大学・高校や社会制度に対する風刺が複層的に含意されているScholomanceが代表作。それ以外にも、「これ一本でtrilogyが書けちゃうのでは」と言いたくなるようなよく練られた作品を2編出している。私も魔法学校の代表格であるホグワーツに進学する身であるので、Scholomanceシリーズは必読と思って読んだ。その後、Spinning silver、Uprootedと読んだ中では、いちばんUprootedが好きかも。いずれ、英語非ネイティブにもついていきやすい平易な英語と、大人でも楽しめる練れたプロットは大変ありがたい組み合わせである。

舞台設定は中世のポーランドだが、魔術師が塔に住んでいたり、戦う相手がLord of the Ringsの序盤ボスに当たる「敵対的な森」であったり、何となく現代ゲーム的なルールや相場観に応じて物事が起こり勝ちなところもある。時代考証がしっかりできたファンタジーを読みたい人向けではないかもしれない。ただ、JRPG的な敵のインフレ具合やお約束が仄かに感じられ、読みやすいといえば読みやすい。

「なろう」系もそうだけれど、現代のファンタジーは世界観の根幹を他の(より有名な作品であったり、よくある設定を拝借したり)作品と共有することで世界に関する説明を省き、手っ取り早くストーリーの中心に向かっていく作りになっているものが多い気もする。これらの作品群は、時代が経過した後の読者にはどんな風に読まれるようになるのだろうか。当時の宮廷における社会常識が分からないと源氏物語を読めないのと同じで、「ドラクエ」を遊んでいないとなんでそうなるのかわからなくなったときに、「ドラクエ」とそれに依拠する物語はどうなるんだろう。Novikは丁寧に世界観を構築するような物語を書く実力がある著者なので、自発的に選んでそうしたのだと思うけど、ではそれはなんでなんだろう。まあ、確かに私もホグワーツに通うからと思ってNovikの作品を読み始めたのであって、舞台が米国の高校だったら読んでいなかった。不要に卑近で読者を指名するかのようなディテールをあえて削ぎ落し、共感して読める人の範囲を広げる手法が、皆が子どもの頃から馴染んでいる「ドイツの童話集」や「中世ファンタジー」的な世界観の共有なのかもしれない。

そういえば、この作品には「これは人種差別なのでは」と思うような表現が出てこない。2000年代くらいまでの海外の児童書では、蟹を割って中身を啜る醜い鬼や、異常に厳しく詳細な茶会の作法を持つ上流階級なんかが滑稽に描かれていたものだった。有名なナルニア王国シリーズでも肌の色が黒い人種が差別的に描かれている。Uprootedもそうだが、この著者の作品には引っかかるところがない。著者の努力もあろうし、意図して差別的な表現の検出・排除を行うようなProofread過程があっても不思議ではないクリーンさである。

王子の自己中心主義の描写、王子を補佐する魔術師のshort-sighted clevernessの描写がとってもいい。絶妙にいそう、というか絶対にモデルがいる。あくまで自分の利益を追求し、そのために人を巻き込むことをいとわない二人がいるからこそ、対比的に、誰にも肩入れせずに最大多数の最大幸福を追求する狷介な塔の魔術師に好感がもてるようになる。一人塔に引きこもって、合理的に、孤独に森と戦う塔の魔術師はさらに、野山を裸足でかけて家族と友人の住む村を守る主人公とも対比的に描かれる。世界造型の中心であるはずの塔の魔術師は、あくまで他の登場人物と対照されてはじめて人物像が浮き彫りになるのだ。一歩引いてアウトサイドに留まることと、土地のコミュニティに根を下ろすことの対比がこの物語の主題である。

その一方で、良くも悪しくも強い癖がない。Scholomanceシリーズの主人公の人格の屋台骨であり、そのナラティブを支える不公平に対する強い怨嗟のようなものはない。Spinning silverはJewishの家族の貸し銭家業と、一家に対する周辺住民の僻みや偏見が一つの重要なテーマを成していた。Uprootedは特定の集団に訴えるような力はない代わりに、普遍性のあるcoming-of-age storyであり、自己実現の物語となっているところが強みだろうか。

もう一つの、Novikの作品群に共通する一つの主題は、外見の美しさではなく人柄の本質を見せることだろう。Spinning silverとUprootedはいずれも、女性が主人公で、外見が美しくなくても成立する(そして面白い!)ストーリーを書いている。いずれも近年の作品なので、欧米のジェンダー思想の潮目が人物描写から見えていると思うべきか、それとも著者の個人的な思い入れなのか。すくなくとも、いつでも着ているものが汚れていて、髪の毛はボサボサである主人公は外見主義への明確な否定である。

これはUprootedとは直接関係ないけれど、米国の近年の作品は中国人がしっかり人物として人格が構築された形で描かれる一方で、日本人は、その文化や作ったものだけが出て来て人間そのものは遠めに背中だけが見えるような描かれ方がすることが多い。Scholomanceシリーズもそうだし、別の作家ではNeal Stephensonなんかその典型だ。単純な経済力(そして出すことによる売れ行きの変化)という意味での影響力の衰退というだけではなく、著者の友達に中国人はいても日本人はいないのだろう。社会状況の趨勢が見えるという意味でも、たまにcontemporaryな小説を読むのもいい。

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