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あじさい寺へ行きました。

 おとさんの仕事のお休みの日。おとさんがあじさいを見に行こうと言いました。

 5月の半ばくらいからずーっと体がグズグズ。良くなるかと思うとまた悪くなり、重い体。梅雨の空のようにスッキリしない日が続いているおとさんと私。家にいるとゴロゴロして、いつまでもどよよんだ。動き出しましょう。

 あじさい公園へ向かっていたら、5,6年前に行ったあじさい寺に行かないか?っておとさん。我が家にも、その時迎え入れた山あじさいが3種類くらいあって、今年はもう花を終えた所だ。
 あじさいは日に日に色が変わっていく。そして雨の日はまた色が映える。毎日あじさいの微妙な変化を楽しませてもらった。
 我が家のあじさいはもう終わりだけど、あじさい寺はどうかしら。

ゆっくり紅に染まっていく
毎日色が変わっていく
すっかり紅に

 山に近づくにつれて、空が重くなり、霧のような雨がふりだした。
 静かな山道を走り、ひっそりとした集落をぬけると、手書きであじさい祭りと書かれた立て看板のある細い道があった。
 細い道の先には何台もの車がとまっていた。そして、その周りは様々な色のあじさいがわっさわっさと咲いていた。
 なんだか夜道を歩いて来た旅人がぽつんと光る庵を見つけたような。
 あじさいの灯に導かれ、フラフラと入って行くと、簡素な本堂がある。
 本堂の前には大きな多羅葉の木があり、願い事が書かれていた。
 多羅葉の木は葉書の始まりと言われる。枝や石で願い事を書き、葉が落ちると願い事が叶うのだとか。
 どの葉にも願い事が書かれていた。叶うといいね。
 おとさんも喉がなおりますようにと書いていたけど、葉が落ちるまでだいぶかかりそうだぞ。
 わっさわっさのあじさいの他も様々な種類のあじさいが植わっている。地味な色、華やかな色、大きな花びらのもの、小さな花びらのもの、虹、柏葉、花火など様々な名前がそれぞれにつけられていた。


 どのあじさいも美しく、しっとりと咲いている。どれが優れているとか比べようのないくらいに、どれもあじさいはあじさいで、みんなちがってみんないいのだった。
 
 なんだか強迫めいた承認欲求に包まれた人間の中で生きていると、常に優劣や善悪に問われている気がして疲れてきていた。
 みんなと一緒のことをしないといけないような、空気を読まないといけないような。その中で、個性を発揮しなくてはいけないような。
 なんだかわからぬままに、ねばならないという強迫観念が背中を押してくるような日々。
 
 あじさいはそんな人間の事情に関係なく咲いている。
 人間が体調が悪かろうが、戦をしてようが。
 あじさいは6月に咲くものだと思っていても、もっと先にも後にも咲く。
 たくさん咲いてほしくても咲かない時は咲かない。
 人間の世界の都合にも、人間のあじさいへ抱く都合にもおかまいなしで、ただ咲いている。
 それでいいのだ。
 だから私もあじさいのように、生きる意味や価値なんて考えず、ただ生きる。 
 それでいいのだ。

なーんてバカボンのパパみたいなことを思いながら、あじさいと一緒に過ごした。
 そして、もう植える場所はないというのに、ピンクのガクあじさいを我が家に迎え入れる気満々のおとさん。おとさんの嬉しそうな顔と可憐なピンクのあじさいにほだされて、我が家に来てもらうことにした。

 

ようこそ

 あじさいを見て、おおらかな気持ちになって、ちょっと奥まで車を進める。
 
 廃校利用のレストランを見つけてお昼を食べることにした。
 地元の方たちの手作りのお惣菜がいろいろ。
 筍や山菜の天ぷらがうれしい。豆の煮物や混ぜご飯を味わった。贅沢な日。


コロッケもサクサク

 贅沢ついでにちょっと奥まで。ベトナムコーヒーも飲みにいった。
 先に座っていたお客さんも、カフェのオーナーもさっきのレストランで会った人たちで、みんなで笑った。

練乳たっぷり。

 ジメッとどよよんとしていた日々が、しっとりと穏やかな日に変わった。

 私は私
 あなたはあなた
 善悪も優劣もなく
 ただ今を生きよう

 安心と信頼に包まれますように🍀


 


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