あったらいいな
じわじわと疲労感がつのり、動けなくなっていた。やらなくてはならないことが山積みになって、焦燥感と疲れとが後から後から降り積もっていく日々。大好きな読書も老眼がすすんでいることと、この疲労感とで集中できないから、読みたい本を図書館で借りてはページをめくることなく延長。結局は返却するという事ばかりが続いていた。
あれもできていない、これもできていないがいっぱいで、やらねばならない宿題につぶされそうな毎日だった。ああしんど。
夫婦で次々事故をおこし、(幸い誰かを傷つけることがなかったけど)、大金が飛んでいき、心はへこむ。そこに、義母は亡くなる。なんだこれ。その後、夫も不調、もともと不調だった息子もますます不調、私自身も不調。とことん不調。お祓いでも行こうかと思うほどに不調不調不調。
仕事は精いっぱいやっているつもりだが、要望をだしたことはほとんど返事がない。そもそも話す時間がないから、メモ書きを渡すだけの一方通行で不安ばかりが募る。ため息ばかり。なんとかしたい。この閉塞感から飛び出したい。口から出るのは愚痴ばかり。
そんな暮らしの中で、天からこれを読みなさいと言われたように思えたのが未来ノートという本。
こんな本が出るので読んでくださいとお知らせがあった時、おつきあいでとかでなく、これは買わねば読まねばと思った。自分に必要な本だと確信があった。
出版された翌日本屋さんへ買いに行った。たったいま売り切れましたと言われ、予約するかと迷う。いや、今読まなくちゃと次なる本屋さんへ。ちゃんとあった。お会いできました。ようこそ。
早速読んでみる。びっくりするくらいしみとおる。今まで感じてきたことが、そのまま言葉になって目に飛び込んでくる感じだった。長い人生の中でがんばってきた宿題の答え合わせをしている感じ。
つまっていた何かがスーッと通った。なんだか自分の生きている世界がよーく見えるようになったような感覚。苦しいことばかりを捕まえては悩み苦しんできた時間が、視界がひらけたら、ほーらもっともっと違う世界があるんですよ、案外その苦しみも捨てたもんじゃないですぜってちょこんとすわっているような感覚。今までネガティブなものを真正面に見据えて向き合ったり、必死で追い払おうとしてきたことが、ああこれはこれでおもしろい存在ね、今度は違う面から見てみよう、あんまり時間をかけても辛いだけだから、違った世界も見に行こうくらいに思えるようになった。否定ばかりしてきた自分の人生も、案外おもしろくて楽しいものかも。
未来ノートの物語は2人の女性を中心に描かれている。過去に傷つき、そこから動き出せない女性と、理想の自分と現実の自分がかみあわない女性。
不登校の男の子と娘さんが2人をつなげる存在となる。感性の豊かな子どもたちと未来ノートのたこさんによって、2人の女性は自分を認め、自分らしさを受け入れ、いきいきと人生を楽しんでいくきっかけをつかむ。
どちらの女性にも私は過去の自分が見えた。残念ながら2人の女性ほどにしっかりと暮らしてはこなかったけれど。生きることをどこかあきらめきって生きていたから。
私自身も学校嫌い。勇気がなくて学校を休めなかっただけで、いつだって学校に反発していた。そんな私の中学生になる息子も毎日学校に行きたくないと言いながら、私同様休むきっかけも見つからぬまま登校中。学校行ってきてあげるねと言いながら。
そんな過去の自分と息子のことを考えたくて、この4月から学校の心の教室の相談員というものになってみた。学校ってなんだろうって見てみたかった。中学校に配属予定が今年から小学校も配属されることになって、思わぬことに小学校に配属された。思い通りにはいかないものだ。大丈夫か私。
何をしたらいいかわけのわからぬまま、学校にはがんばって登校してきたが、教室に入れない子との時間が始まった。あれこれ誘いかけても見事に拒否。断固拒否。それではと、何も求めず子どもからの発信を待ち、ただひたすらに応える時間を重ねる。子どもを否定しない、求めない、評価しない。命に係わること、相手を傷つけることは口を出すけれど。ただ目の前の子どもをすべて受け入れる。子どもは先生(本当は先生ではないけど、学校にいる人はみんな先生だと思っている)が先生らしくない対応をしてくることに驚きつつ楽しんでいる。ちょっとやんちゃをしてみても注意されることはない。だんだん警戒心をといてくれると、子どもたちも視界がひらけてきたように、活動的になった。素直に好奇心をむきだしにして、私が予想する以上におもしろい世界をくりひろげるようになった。
そうは言っても毎日心は揺れ動く。揺れ動く心の中にちらちらと見えるのは自分の教室に行きたいという気持ちだ。心の教室で過ごす日が続くほど、自分の教室に自分の居場所がなくなる。授業もどんどん進んでいく。今の学校に心の教室と教室をつなぐだけの余力がない。今つないでくれているのは、昼休みに時々遊びに来てくれる友だちの存在だ。
そして、遊びにくる子たちも自分たちの話をしたり、教室ではできない遊びができるのを案外楽しんでいるように見える。自分を解放して帰っていくように見える。
そんな姿を見ていると心の教室がもっと充実して、いつだって出入り自由の場になったらいいなと思う。疲れたらちょっと休みにくる場所。学校と家庭との間をつなぐ場所。そんな場所ができたらいいなと夢見ていたら、未来ノートにでてきた。
さくらさんと百合子さんが出会う場所。子どもと心をあわせ、息をあわせ、お互いの心が解放された場所。
そんな場所が学校の中に作れたらいいなあ。
私もゆらぎながら生きてきた。52才の今。本気出して生きよう。
何をしたいか、何ができるか最善をつくして生きようと思いを新たに学校を考えようと思っている。
そして、自分が見る世界も暮らしも変えることができたら、息子の見る世界も暮らしもまた変わっていくかもしれない。
毎日の暮らしが楽しいものであるように。自分に正直に生きていけるように。
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