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競歩で進め。

私は登校する朝が苦手だった。
電車から降りて改札を通り、ちょっと複雑な道を通り出口へ。横断歩道を渡ったら、道なりに進むだけ。単純なうえに代わり映えのしない朝を過ごしていた。

脳科学者は、違う道を歩いてみましょう。とアドバイスをするが、学生の他に会社勤めの通勤ラッシュで別の道は混雑する。軽い気持ちで歩いたら最後盛大に遅刻する。ストレスを抱えながら朝を過ごしたくない。

そんな私が、朝を変えようとしたきっかけは、とある漫画だった。
ちょうど、漫画アプリでスポーツ祭りが始まっていた。そのなかで、小学生向け雑誌に掲載されていた漫画の絵柄に懐かしさから『マラソンマン』を読み始めた。
導入は、堕落したお父さんが息子のために、もう一度マラソンを走るというもの。私に当てはめると、堕落は変わり映えの無い登校時間。誰かのためには私のため。そこで私は、誰よりも早く学校に着くことを目的とした「大会」を開催することにした。

速くといっても、大股で速く歩くが重要だ。走れば今にも遅刻しそうな学生になってしまうし、何よりそんな体力はない。マラソンマンは、「マラソンは、長い距離を自分のペースを守って走ることが大切」だと言っていた。無理のない範囲で早歩きすればいい。競技名は変わってしまうが、本質は一緒だと思っている。

大会のルールは、歩きで学校に到着すること。急ぎで走っている人はノーカウントとする。ルートは、横断歩道から学校まで。あくまで通勤ラッシュの邪魔をしないためだ。
スタートラインとなる横断歩道の前には、わざと赤信号になる瞬間に立つ。理由は2つ。1つは、青信号になっている場合は、どうあがいてもその組の1位を取れないから。もう1つは、私の組では先頭に立ちたいからだ。モチベーションのためなので、ズルいという意見は受け付けない。

登校時間に大会を開催することで、意識がだんだんはっきりしてくるし、その上で運動にもなる。さすがの脳科学者もケチは付けられないだろう。


今日も、電車を降りて改札を通り、出口を目指していつもの道を歩いていく。
群を抜いて走る社会人。リュックにキャラクターのグッズをジャラジャラと付けている人。その中でも目立っていたのは、70歳過ぎの老人の集団が1か所に集まっていた。男女の割合は半々くらいなので、ツアーかなんかだろう。

人間観察をしていると、あっという間に、出口前の少し長い下りの階段に着く。ここで毎日、あの出囃子を頭で流しながら、ファイナリストの真似をする。降り終わった瞬間、外の冷気が両手に伝わってくる。今年も、あの大会の季節。楽しみだ。

駅の出口を出て、横断歩道に向かう。時間は30秒もかからないので、少し歩くと交差点がすぐ見える。通学路へ渡る歩行者信号は、青で点滅していて、遠くからでも急いで渡っている人が見えた。赤になった時には、誰も前にいなかったので、ゆっくりと横断歩道の前に着くことができた。
後ろから遅れて選手たちがぞろぞろと集まりだす。談笑する声がよく聞こえる。

さあ、ここから私のスポーツが始まる。

この交差点を通る車を確認する。歩行者信号が青になっているのに、飛び出してくる車がないように、遠くまで気を配る。
車側の信号の点灯が黄色に変わる。交差点に差し掛かる車はなく、停止線まで減速し、止まっていく。
赤に変わった。最後の左右確認。両側の車は完全に停止している。私は、右足を軽く浮かせる。

歩行者信号が青になった。完全に安全を確認。今、大会が始まった。
浮いた右足で横断歩道を強く踏みつけ、同時に左足も浮かせる。浮かせた左足をさっきの歩幅より大きく踏み出す。同時に右足を浮かせる。同じ歩幅で素早く歩いていく。まだ見えない学校を見据えて歩き続ける。

途中、小走りで抜かしてきた少年がいたがあの人はもちろんノーカウント。
少年が歩き始めると、私は歩きですぐ抜いた。それに気が付いた少年は、また小走りで抜いた。そんなに抜かされたくないのか。人のことは言えないっけど。

1分は経っただろうか。前を見ながら、ポケットからスマホを取り出し、ぶつからないことを確認したうえでロック画面をチラ見する。カンは当たっていた。
後ろから、靴を擦りながら歩いている音がする。しかし、その音は離れることなくずっと聞こえている。あれから少し経った後もまだ聞こえている。やばい、今大会は連覇が危うくなってきた。

学校まで、およそ4分。しかし、音は途絶える気配がない。1歩進めるたびに不安と緊張が迫ってくる。途中で挫折しそうになった。が、諦めるわけにはいかない。ここまで積み上げてきた自分の栄光を、見捨てることはできなかった。

歩く、歩く、歩く。もう少し、もう少し。
励ましながら自分を支えた。

しかし、状況は一変する。
足音は私の右側で大きく聞こえるようになってきた。これは、抜かされてしまう。
そして、何の因果か学校前の歩行者信号に捕まった。つまり、短距離で決着をつけなければならない。
最後の横断歩道の前に立ち、息を整える。白い息が汽車のように、何回かに分けてまとまりをもって口から出てくる。長めに深呼吸。
よし、整った。あの信号が青になったら行くぞ。と意気込んだその時。

後ろにいただろう人の足音がどんどん遠くなる。わたしは思わず周りを観察した。右に目線を移すと、リュックを背負っていた男性が向こう側へ渡っていた。
確かあっちは、美術の校舎があるあの学校。ということは、同じ学校ではなかったのか。少し安堵した。きっと、最初の横断歩道で向こうに渡れなかったことと、じっとしているのが好きじゃないことが転じて、張り合う形になったしまったのだろう。
でも、ナイススポーツマン!

いろいろ考えて腑に落ちたことで、青になった時の最初の一歩は軽かった。ゴールは違っていたが、こんなに白熱した戦いを行えるとは思ってもみなかった。渡り始めると、少年が走って横断歩道を渡ってきた。再度いつ抜かしたか覚えていないが、ここまでデッドヒートについてこられなかったのだから、本当にすごい戦いをしたんだなと感じた。

そして、無事に学校前にゴール。スマホを取り出し、時間を見ると、いつもより2分弱早く着いていた。そこまで本気になれた証拠だ。
さあこれで、座れる時間の貯蓄ができた。今日も頑張ろう!


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