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着ぐるみアカウント

僕は、SNSを覗いているうちに何かを発信したくなってきた。最初は覗いているだけの見る専用のアカウントだった。好きなアーティストの告知はSNSが主で、ホームページを検索しなくても簡単にスケジュールを把握することができる。しかも、普段から日常を発信してくれるので一緒にいるような感覚になる。もちろん、僕以外にもたくさんのファンがいて、その人たちはファンの交流をするためにもSNSを使っていた。

僕は混ざらずにファンのアカウントを見ることにした。
日常に発狂している人、ライブへ一緒に行く人を探している人、交流で冗談を言い合っている人たち。発信することは十人十色だが、軸としては全員ファンであることを忘れていない。忘れていないって言い方はおかしい気がするが、ここまで見ていると、楽しそうな人たちだと感じた。
僕は、試しに交流をしてみることにした。まず最初に、

『はじめまして。見る専だったのですが交流してみたいので、よろしくお願いします!』

アーティストのタグをつけて発信。待っているだけでは進まないので、積極的にフォローをしに行った。反応はまちまちだけど新しく仲間入りをすることができた。


僕は声を発信した。歌ったことでこのアカウントは自我を出した。
音程、声、気分はどうか。客観的に評価されたわけじゃないからどんな言葉をかけられるか正直怖い。怖すぎて僕は浮かんだ言葉で壊れていく。

見た人がどう思おうとも僕が嫌われるのではなく、このアカウントが代わりに嫌われる。耐えきれないと思うのであれば、人生を終わらせてしまおうアカウント消去。今の僕は人権を甘く見ている気がした。けれど、対象にしているのは、アカウントという着ぐるみを被ったSNS上の僕だ。このアカウントに人権は通用しない。僕は命を1つ増やして挑戦したんだ。行動したことを盛大に評価するべきではないのか。

…もし、このアカウントが実在していたなら、僕は恨みを感じながら今生きている人生を一生過ごさなければならない気がした。責めるのはやめよう。少なくとも、僕が生んだこのアカウントの名前を借りてSNSの世界に立っている。ごめんよ。
こういった情緒の不安定さは、いわゆる性格の1つだ。表には出さないが心の中ではこういったことが行われている。けれど、僕的にはこれをした後の気持ちはとても清々しくなる。
僕は、聴いた人がどう思うかわからないけれど、趣味のパートナーとしてこのアカウントと1人の存在を大切にしようと思う。

通知には1件。ハートのアクションがついたことを知らせていた。


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