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子どもの苦労は買ってでもするべきだ。

子どもたちには困難との出会いが必要である。

良いことよりも「苦しく、つらいこと」に出会ったときこそ、子どもたちの成長のチャンスである。

昨日、夫が友人を連れてきた。
初対面の圧力が半端なかった。

子どもたちに焼き立てメロンパンを買ってきてくれたのだが、
「おい、ガキ!メロンパン食えよ!!」と、
差し出された袋を、末っ子長男は手だけ伸ばし、受け取った。

「おい!長女、名前なんて言うねん!」と聞かれた長女は、目を赤らめ、涙目で、名前を答える。

マイウェイな次女だけが、彼に近づいていき、興味津々な顔をしていた。

「繊細さん」である長女からしたら、初対面で、いきなり「おい!」と言われたことは、恐怖を通り越し、身の危険を感じたにちがいない。

挨拶を済ませ、「ペットボトルの炭酸水、3本買ってきて」と、長女におつかいを頼んだら、よっぽど怖かったのか、走って買いに行った。そして、おつかいから戻ってきた手には、1本しか炭酸水がないのだ。

「おい!なんで1本やねん!」と、彼からツッコミを入れられ、また長女は涙目になる。もう一度、買いに行き、戻ってきた長女に、「おう!さすが長女はしっかりしとるな!」と声をかけられたが、長女の目は涙目のままだった。

コンビニから戻り、ごはんができるまでの間、長女は、お客さんである彼に背を向け、一人でポッキーをかじっていた。その背中が「あなたとは関わりたくありません」と物語っている。

繊細な長女からすれば、「おい!」と言われた時点で、理由なく怒鳴られたと感じたのであろう。

夫から彼の人柄や話し方をすでに聞いていた、大人のわたしですら、内心は「こわっ!なんやねん、こいつ!」と、心臓がバクバクしていた。人生経験の少ない長女からすれば、かなり怖かったにちがいない。

でも、本当は、彼は根はやさしく、「おー!ガキ!ちゃんと野菜食えよ!無理って思ったところから、あと1歩頑張るねんぞ!」と、次女のお残しに付き合ってくれたり、ピアノの楽譜を見て、「夜に駆ける弾けるんか。すごいやんけ」と、長女に聞こえるくらい、大きな独り言を言ってくれた。

選ぶ言葉は高圧的ではあるけれど、彼の人柄にふれたことで、子どもたちも徐々に初対面の恐怖から解放された。彼の「おい!」から始まる言葉にも慣れ、帰る頃には、子どもたちは怖いおっちゃんをようやく少しだけ受け入れることができたのだ。

慣れたとは言え、「おう!また、来るわ!」と言う彼にバイバイした後の長女の顔は、安堵に包まれていたのだけれど。

子どもたちに幸せに生きていってほしいと、親は願う。子どもたちが困難やつらいことにぶつかる姿を見ているのは、確かに親としてはつらい。できることなら、子どもたちの障壁になるようなものは、取り除いてあげたいと思うのが親心である。

でも、よく考えてほしい。
人生に困難や問題はつきものなのである。

親が、先回りして、その困難や問題を取り除いてやることが、本当に子どもたちのためになるのだろうか。

子どもたち自身が、自分の力だけで乗り越えてなければならない課題にぶつかったとき、果たしてひとりで乗り越えられるのだろうか。

答えはNOである。

自分で困難に向き合った経験があるから、「あの時はこうできたから、今回はこうしよう」と自分で考えることができるようになるのだ。

子どもたちは、多くのことに未経験・未学習である。様々な体験や経験をしていくことで、目の前の問題に対して、知恵をしぼり、自分なりの解決策を見出すのである。親がつらい体験や苦しい経験を子どもたちから取り除くことは、子どもたちの成長を邪魔していることと同じなのである。

心の折れそうな些細な経験を積んでこそ、ようやく心が強くなっていくのである。「今の若い子はすぐに心が折れる。」とか「メンタルが弱い。」というのは、心の折れる経験値が少ないだけなのである。だからこそ、小さいときに、できるだけたくさんの困難に出会い、自分で考え、立ち向かう経験が必要なのである。

長女の怖かった気持ちを想像すると、胸がぐっと痛くなるが、今回の「怖いおっちゃん」との出会いが、「言葉がきつい人でも、実は優しい人もいる。」という気づきを彼女の心の中に刷り込み、彼女の今にも壊れそうなガラスのハートを少しだけ強くしたことに変わりはない。

その経験こそが、次の人との出会いに生きてくるのである。学校の先生や、公園で出会う大人が怖かったとしても、「そういえば、世の中には怖い人もいるし、怖くても優しい人だっている。さぁ、どうやって、この人と付き合っていこうか?」と考える力につながるのだ。

だからこそ、大人が子どもたちから困難を奪ってはならない。

彼が帰った後に、「このおっちゃん、めっちゃこわいって思ってたやろ?」と、長女に聞いたら、「えっ、うーん。そんなことは…」と言葉を濁していた。

「あのおっちゃん、めっちゃ怖い。意味わからん。」と、遠慮なく自分の気持ちを言えるようになれたら、もっと良かったのになぁと思ったが、それは、彼女にとれば、次のステップであろう。そんな繊細な長女のためにも、また「怖いおっちゃん」を我が家に呼ぼうと企んでいるのだった。






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