高校生で出会った本
人生を変えたというと大袈裟ではあるが、
京極夏彦さんの、「姑獲鳥の夏」とは『出会った本』として思い浮かぶ。
高校生の時に知人が教えてくれたのだ。
その時はミステリーばかりを読んでいて、その流れで教えてくれた。
忘れられないフレーズがある
一言一句を覚えているわけではないのだが
「砂糖菓子の入った壺がここにある。しかし、この壺は実は骨壷でこの中には骨が入っているのだ。そして、この壺には骨が入っていると思っている間は壺の蓋を開けるまで骨が入っているのだよ」
といった内容だったと思うのだが、この内容が当時の私にはものすごく衝撃的だった。
実際に見るまでは、自分の思い込んでいるものがその中にはあって、
しかし、その思い込んだものを見ようとして、実際に見えているものでも、
自分の思い込んでいるものに見える。
そんなことも言っていたと思う。
目に見えているものは、真実を見ていると思っていたが、全ては自分のフィルターを通して世界を見ている。
もし真実としてそこに砂糖菓子があったとしても、骨壷と思い込んで砂糖菓子を見てしまったらその砂糖菓子は骨なのである。
なので、他人の見ている景色と、私の見ている景色が同じものとは限らない。
同じ場所で見ていたとしても、である。
その時の私はこの考えがとても合点がいったのだと思う。
人は皆自分のフィルターを通して世の中が見えている。
それはすなわち、自分のフィルターを付け替えたり、
外したりすれば自分自身の感じ方も変わる。
そして他人のフィルターは私にはどうすることもできないのだから、
他人のフィルターをどうこうしようとか、感じていることを変えようとか言うことはどだい無理な話なのではないか。
そんなようなことを思ったのだと思う。
理屈っぽいなと思って読んでいた。そして哲学っぽいなとも思っていた。
何度も読み返したいとも思うのだが、
何せ分厚くてそんなに読み込めていない自分の能力が歯痒い。
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