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富士山のために登るわけではない

なぜ登る?

月1とか2で山へ行く人は相当に山が好きなんだなと思っていた。

きっと山頂で絶景に出会ったり、鳥のさえずりに心を洗われたり、澄み切った空気を思い存分吸い込んで心を癒やすんだろなと思っていた。

例えば富士山を見てその壮大さに感動する、真っ赤に染まった山紅葉の写真を撮ったり。

でも私には関係ないと興味なかった。
登山は疲れるだろうし。

登山にハマってから気づいたことがある。

わたしはあんま、景色とかには心惹かれないな、って。

写真や動画を撮って、いっちょまえに、きれー!とか口しても実はあんまり感動していない。 

いや感動はしてる。でもキレーではなくて、すげー。

富士山を見て心動かされるのは、あー、のぼりたいー!とか、滝を見て感動するのは浴びたーいと思うとき。
そして実際ちょっと飛び込んだりする。

たぶんわたしはニブいのかな。

目が悪いからなのか、視覚から入ることに喚起されにくいのか? 耳も人より悪くて悩んだときもあるし。

人が多いと富士山だってスルーする事がある。
見て写真を撮って去る動作は素早い。さ、さ、さっとやって去る。

それよりも、凍えそうな寒さの中、顔の一部は痛いほど冷たいのに、シェラフのなかで段々と温くなっていくときに涙がでたり、眠さにフラフラになりそうな夜明け直前、草むらに飛び込むように横になりウトウトする瞬間、叫びたくなるくらい嬉しくなる。 

だから、富士山のために登るわけではない。
なんで登る??? つらいことが案外多いのに??
帰りたい!と、ホンキで思うことも少なくないのに。

????

富士山を見たいのでなく、富士山に登るために登るみたい感じかな。

いいたい言葉が形にならない。
でも今は孵化は近いかな。

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